2009年4月27日月曜日

トライ・トゥ・リメンバー

想い出そうあの秋の日
麦も実る頃…

先週は心底ツキのない一週間に思えた。

火曜日。大雨。
雨の日には、決まって、なので驚きはしなかったが階段を下りるのが危ういほどフラフラする。
天気の回復と共に体調も上向くサ、と楽観していたが…。

水曜日。上天気だというのに真っ直ぐ歩けない。
急に天気が良くなって身体が天候のアップダウンについて行けないんだ。
自分をそんな言葉で丸め込んだ。だが…。

木曜日。前日の好天を維持しているのに体調不安定は変わらず、思わず階段から落ちそうになる。
主治医にメールした。
すぐに返信をいただいて、今月初めに代えた血糖値を抑える薬が強すぎて低血糖を起こしているのかもしれない、と…。
僕も多分そうではないかと疑っていたので全く納得なのだが、既に、朝、その薬を飲んでしまっていた。
つまり木曜いっぱい、ふらつきは解消しないことになる。
金曜日に飛び込みで検査していただくことになったのだが、金曜日は僕のスケジュールがかなり手一杯。
朝8時台の電車に乗って検査を受け、12時までに検査結果をお聞きし、13時から学校、16時からFMさがみの録音。すぐに家に戻ってラジオのWebへのupと翌土曜に予定が組まれている僕のサイト『たむたむたいむWeb版』500,000 hit記念OFF会の準備をこなさないと、晴れ晴れとした気分で記念の日を迎えられそうになかった。

金曜日。昨日の薬から24時間過ぎているのでふらつきは幾分解消していて、朝8時27分発の電車で一路東京へ。
ところが早朝に人身事故があったとかでダイヤは乱れていて、徐行運転が目立ち、池袋着が10時過ぎ。
地下鉄はまだラッシュだったがとにかく乗り込んでお茶の水へ。
採血と心電図の検査を受けて結果、血糖値以外の数値には異常がなく、とにかく一旦代えた薬の服用を止めて、元の薬に戻した。
午後の授業は今年度2回目でまだ教える方も教わる方も手探り状態。受講者数は昨年度より微増。
90分の授業を終えてすぐに赤坂に向かい、『人生を変えないラジオ』今月分を録音。
空気は湿っていて、いつ、雨が落ちてきても不思議のない案配で、案の定、武蔵嵐山に着いた時にはポツポツとやってきていて、明日の大雨が予想された。

一日、奇妙に疲れ切ったたためにOFF会の準備にもラジオのupにも着手する気になれず無駄に時間が過ぎて23時。
無理矢理、睡眠薬を服用して眠りについた。
朝4時。OFF会の用意を何もしていない、ということが気懸かりで目が覚めてしまい、まず、Web RadioのUp作業を済ませ、OFF会から戻ったら、Click2回だけでup完了となるよう手はずを整えた。

OFF会の準備は…。
歌の詩の朗読はリクエストによってプログラムに組み込まれているのだが、前回と同様の『スライズ』1曲だけで済ます訳には行かないだろうなあ、とは思っていた。
だが、体調不良で新作は用意できなかった。
何にしようかと悩んだ。
『コーラスライン』のブロードウェイ・オリジナル・キャストによる『愛した日々に悔いはない』を用意してみたが感情が上手く乗せられない。
で、これまでやってみて何とかそこそこにやれたモノを1曲目に置くと少し気が楽になるかもしれないと思い、スザンヌ・ヴェガの『トムズ・ダイナー』を選んでみた。
22年ほど前、突然、WAHAHA本舗の公開忘年会に模擬DJをやれ、と言われて慌てて訳したのがこの歌だ。急場を切り抜けた実績のある曲なのでこれがこなせればあとは何とか進行させ得るような気がした。
声に出して読んでみたら一度のトチリもなく読めた。
2曲目に選んだのはジャニス・ジョプリンの『ミー・アンド・ボビー・マギー』。
クリス・クリストファソンが自作のこの歌でデビューした時、一度訳してみたことがあった。
『フォーク・カントリー・ベスト』という番組でのことだから37~8年も昔のことになる。当時の訳詞はあまり上出来とは言えなかったので17年ほど前に訳し直した。
割と意の伝わるモノになったが、語感に力がないので少し詩を変えてみたら、今度は声に出した途端、涙が止まらなくなってしまった。
この歌だけでつながっていた人間が僕にはいたからだ。
ま、涙が出た時はそれはそれで良いだろう、と腹を決めて3曲目の『スライズ』を声にしたらこれはすぐに胃の腑に落ちた。
前回はトチリにトチったのに…。

ところが、さて、音を探そうとして困った。
『トムズ・ダイナー』のCDはない。おまけに絶対持っていることが解っているのに『スライズ』も出てこない。
焦っても仕方ないのでレコードからMP3に落とせるというプレイヤー買っていたことを思いだして、これを使ってみることにした。実はこんな日のあることを想定してもいた。
ソフトのインストールから始めるので手間はかかるのだが、11時28分の電車に乗れば約束の場所にはつけるのだから、と判断して落ち着いて取りかかった。だが!…
音質の良いスピーカー付き携帯プレイヤーに挿入するminiSDカードのアダプターが見つからない。
なにせ、いまだ引っ越し荷物が片付いていないので、こんなことが日常茶飯となっている。
だが、それがないとPC経由でminiSDカードに落とせないのだ。
仕方ないので通常のSDカードを使うことにしたのだが、こちらは再生機に一時停止の機能がないのでいちいち機械をONすることから始めなければならず間抜けな進行になることは目に見えていた。
ちょっとブルーな気分になりかけたが、今日のOFF会には北海道や九州からもサイトの読者がやって来てくれる。小さな障害を問題視してブルーになんかなっていられない。
第一義に考えなきゃならないのは自分なのか、読者なのか?
体調が不十分なので逆に冷静になっている自分がいた。

冷静になると全部が時間内で処理でき、僕は40分も早く渋谷に…。
雨は土砂降り。
ガード下の喫茶店でプレイヤーの電池を全部新品と交換して電池切れという間抜けな事態をひとつ未然に防いだ。
5年前までは雨が降ると呼吸が上がってしまい、人間として使い物にならなくなっていたのだが、主治医Mさんのおかげでその心配はしなくて済むようになった。
Mさんもかつて僕の番組を聞いていて下さった由。その縁でレドンドでお会いし、現在に至っている。

500,000hit記念OFF会。
渋谷のカラオケハウスPaselaで3年前から10万毎の区切りに行われるようになったのだが、毎回、幹事を買って出てくれているhecoちゃんの尽力で万事滞ることがない。
今回も30人を超える参加者の事前取り消しや駆け込み参加表明にまで柔軟に対処してくれて大層有り難かった。
こういう集まりは段々メンバーが固定化して行き、身動きがしにくくなると色んな人から聞いていた。
事実、前回はそんな気配が出始めていたのだが、今回は初参加の方がかなりいた。
その方たちの人数が上乗せされて30人を超えることになった訳だが、その効果は自己紹介で早くも表れた。
紹介もなく慣れきったメンバーで楽しく過ごすのとは違った初々しく新鮮なOFF会になった。
僕は嬉しくなった。心からこの会を開いて良かったと思った。幸せだった。
早い時期からの参加者も会における距離の置き方が自然で初参加の人たちが居易い状態を作ってくれる。初めての人も不必要な遠慮をせずに交流し合っているのを見て、「オレはなんて幸せなヤツなんだろう」と実感した。

hecoちゃん、アプリさん、みんちゃん、クーコさん、さんがつさん、ITSUMIさん、ハイパパさん、CHIHARUさん、むつらぼしさん、まつ坊、サイトの管理補佐をしてくれているらんまる君など、旧知のメンバーがごくフツーに座っていてくれる居心地の良さ。
手慣れた仕切りをされると新参の人たちは退いてしまうモノだが、この会にはそれがない。
こういうことに気働きの出来る人が揃っているのが嬉しかった。

今や広告業界のアイコンでもあるさとなおさんが「私もかつての聞き手の一人です」という立ち位置で乾杯の挨拶をしてくれた。しかも僕がDJになった頃からの聞き手だった阿鬼羅君とtsu-buさんが来てくれているこの空間が何とも心地よい。
今や中堅どころでサイトの書き込みを締めてくれているりみっとさんや落書君、ラジオ用お便りをいつも呉れた(最近はご無沙汰だが)くりおねさん、tamutamuさんも居てくれて、勿論、書き込み常連メンバーの欠席もあるにはあるが今回はメンバー的な過不足が小さい。
そして初参加の藤丸さん、デミさん、くすくすさん、ミスターボクさん、最近、掲示板を活性化してくれてる真田メイさん、北海道釧路から来てくれたWILLさん、同じく北九州から来てくれたアイナプーさんとなんだかバランスが良い。何となくスケール感も…。
二次会にはあくびさん、名古屋からの村崎きみどりさんも参加を表明してくれているにぎやかさだ。

自己紹介の後はコラアゲンはいごうまん君の独演リポート。
5年ほど前、WAHAHA本舗の社長で演出家の喰始が僕らのグループの恒例集会に彼を連れてきた。
この業界にデビューして3年目に組み、一年で解散した事務所の解散記念として毎年恒例の集会を行うのだが、地方で開催する時は夜が退屈なので、芸人さんに特別ゲストとしてきて貰う。
5年前の初夏、箱根強羅の温泉宿にやってきてくれたのがコラアゲン君とウクレレ英二君だった。

ウクレレ君はウクレレを津軽三味線のように操って聞かせる見事な技と、高倉健の物真似という一瞬芸があってすぐに商売になると判った。
一方のコラアゲン君の語り芸には大笑いさせて貰ったのだが、この特殊な芸は思いの外、売り方が難しいと思った。
売れるまで付き合わせて貰おうと思った。この芸が商売にならないのでは勿体ないもの。
この5年、彼のステージにはなるべく顔を出して、売り方を模索していたのだが、最近、僕の中では何となく方向が見えてきたような気がする。
僕の目論見が成功するかどうかはまだ十分な自信はないのだが、引っ越し騒動が一段落したら企画書にでもしたいと思っている。
今回彼はOFF会のために「社保庁」の対応を実感してみるという課題にトライしてくれた。
取材時間の関係で中身は通常より薄いがどんな課題でも笑いに持って行ける、報告して聞かせられるという確かな技を身に着けたことがよく判った。
ちなみに彼の4月23日付のブログをお読みいただきたい。
巧まない文章に彼の底力が垣間見えて、泣く。

次はハックルベリーフィンのOFF会恒例ライブ。
まーく君は現在、都内某病院の病院長という要職にあるのだが、医者特有の威圧感を人に感じさせない。
じょーじ君は広告代理店勤務なのでかつて自分たちが活躍していたニッポン放送などにも今も仕事として出入りしている。
メンバーの一人、さくちゃんもお医者さんで、僕との接点はなかったはずなのだが、まーく&じょーじ君とコンサートに出なければならないという成り行き上、このOFF会には欠かせない人になってしまった。
もう一人のメンバー、姫は僕の番組も知らなければ、ここへの参加者とは何の接点もないのだが、穏やかな表情でずーっと居てくれた。
34年も前、僕の番組の1コーナーのスター・グループだったハックルベリーフィン。こうして付き合いが今も続いていることを「幸せ」と呼ばずになんと呼べばいい?

ハイパパさんは東上線沿線の隣組になった。
尾崎亜美さんのファンサイトを展開している音楽通で、ご自身も楽器をこなすのだが、今回はウクレレに挑戦してくれた。
曲は僕が東宝映画のある作品に書いた『愛よこんにちは』。
オリジナルは坂崎、桜井の「アルフィー」コンビがまだ高見沢君の居ない「コンフィデンス」時代のモノ。
映画はお蔵入りししまい、この主題歌も陽の目を見なかった訳だがこの映画が公開されていたら「アルフィー」はなかったのかもねぇ。
のちに作曲の小室等さんがカバーし直して、多くの人に「愛? お前らはキリスト教の布教者かよ」と大不評を被った曲だが、ただ一人、音楽評論家の伊藤強さんだけが「こういう力強い歌が正面切って歌えるかどうかに音楽業界の明日はかかってるよねぇ」と評して下さった。

最後のステージが僕のそれこそ「模擬DJ」とも言うべき物だったのだが、演りながら、紙を持たずに台詞のようにやってみたら1テーマ1時間半くらいのステージが組めるかも、などと考えた。
まあ、この年齢では詩を覚えること自体が大変なんだろうが65歳でのステージデビューは無い話でもないんじゃ…。ヘッ!

二次会はまた今回もさとなおさん頼みの会場探し。
月の最後の土曜日にフリの客25人。まあ、普通なら「予約取れよ」と怒られる人数なのだが、今回も前回と同じ店になんなくOKが取れて、これがさとなおさんの神通力。
今や会社で重責を担って土曜日にも仕事が待っている売れっ子に何の迷いもなく二次会の店探しを任せている僕ら。いつも申し訳ないねぇ。

二次会は北九州からのアイナプーさんがお隣。
この方だけが単に『アメリカン・アイドル』好きでやって来てくれた奇特なお方。
「かぜさんをこんなに慕ってやって来た人たちの中でアタシ全然場違い。かぜさんがそういう立場の人だって知らなかったし」と本人の認識通り、違和感バリバリ。
僕は自己紹介の前からこの人がアイナプーさんであることにひと目で気づいた。
だが、海外のテレビ番組について僕が何でも喋れるのは現在この人だけ。
この人はとてもその方面に詳しいし、見るべきところをキチンと押さえてるので話がとても面白いのだ。
当然、僕にとっては二次会もまたとても楽しいものでした。

「生きてて良かったなぁ」はオーバーにしても「この歳まで生きてたのでこんな楽しい時間に出会えた」とは言えると思う。
僕は自分で思うよりずーっと、「ツイてるヤツ」なんだろうと思う。
昨日は、自分自身が心を強く持って楽しく生きていようと思うとどうやら本当に楽しさはやって来てくれるような気がしてきた。
参加して下さった皆さん、幸せな一日を本当にありがとう。
今回書き出した皆さんの名前に漏れはないかなぁ。
またお会いできる日までお元気で。