2013年3月29日金曜日

3/29 ラジオの録音


今日はFMさがみで毎月最終土曜日に放送している『かぜ耕士の人生を変えないラジオ』の録り。
実は一昨日の夜、また軽いめまいがあったので、本気で、生きることに自信をなくして、実は遺書を書いた。
昨日はそんなわけで朝1で病院に行き、点滴を受け、MRIを撮って、入院の準備までしていた。
ところが結果は退院時との変化なし。
入院を免れた。

実は点滴の間に仕事の断り電話を2本していたのだが、1本は断りそのものを断られ、もう1本にはメッセージを残さなかったために返事がなかった。

返事のなかったのが、ラジオの仕事で、ないというのは誰かが「やれ」と言ってるってことかな、と思い直すことにして、急遽、録音の準備をした。

ところが、頂いた今月のお便り、結構長めなのですね。
実は一点を見つめることに多少の難があって、これでは番組、出来ないかも。でも、出来ないと思ってしまうと、番組そのものの続行から、また考え直さなくてはならないな、と堂々巡りに陥ってしまうので、お便りは全部印刷して、ぶっつけでやることにした。

で、今日である。
結果はみなさんに判断していただくしかないので、明日(30日)夜11時~のFMさがみをお聴きいただけると有り難いです。

曲は
①ゴティエ 『Somebody That I Used To Know』
②FUN. 『We Are Young』
③フィリップ・フィリップス 『Home』
④ブルーノ・マーズ 『When I Was Your Man』
を掛けてまして、相変わらずの若ぶりっこ。
ただし、選曲は極上と自負しています。

サイマルラジオでリアルタイムで聴いて下さると嬉しいです。

ちなみに録音後、月1を週1に戻さないか、というオファーを受けて本気で驚いている。
ハッキリ言うと自信はない。
だが、考えてみるつもりにはなり始めている。
仕事を全部断ろうとしていた昨日が嘘のような展開である。
どうなってる。俺の人生。

正直、健康不安は今もある。
今日はサロンパスを足に貼りまくって寝なければならないほど歩いた。
ちょっと頑張りすぎたと多少後悔している。


3/27 脳神経外科検診日


今日は退院以来初となるHSS病院での検診日。
10:20の予約だったんだけど、あまりギリギリだと駐車場に入れられないかも、と心配する妹の要請で付き添いの友人、妹と共に我が家出発午前9時。
9:30には着いてしまい、予約と保険会社用「入院証明書」2通を依頼。
かなりの待ち時間の末にやっと主治医A医師と面談、問診。

会計を済ませ、調剤薬局を出ると11:30だったので病院帰り、もしくは仕事終わりには豚カツを、の習慣通り、豚カツ屋へ。

満足。 このところ、またメシを喰わなくなっていたブレイク用にスーパーで唐揚げを買い1:30頃、帰宅。
 ブレイクはもちろん、喜んで3個ほど食べた。でも、3個…。

すぐ、ブレイクを散歩に連れ出したのだが、雨が振り始めたので早々に切り上げた。

気温が大分下がったようで、その急激な気温低下に耐えられなくて、身体が眠りを欲するのでベッドでウトウト。やがて本格的に眠ってしまったらしく目覚めたら午後5:30。 ラジオの録音スケジュールを確認して7時夕飯。

3月の『人生を変えないラジオ』はとりあえず、一人で1時間喋れるかを試してみる。
もし、とても一人では務まらないようなら、潔く、身を引かねばなるまい。

今日の桜は寒さで昨日と勢いが同じ。満開を維持してる感じ。
 しかし、寒い。

2013年3月22日金曜日

定期検診


友達に付き添ってもらって1ヶ月ぶりにお茶の水へ。
途中でへたっても友人の手がある、というだけで安心している僕がいる。
しかし、改めてこの町は歩きにくい町だなあ、と思う。
... ただ、今回は町の傾きのせいばかり ではなく、僕の体のせいでもあった。
どうも運動機能が少しおかされたらしい。
多少、歩行に難があって、ユックリとしか歩けない。
とは言え、歩けてるんだから良しとせねば。
ま、ブレイクとの散歩の時間を増やすことで、なるべくもとの状態に近づけるよう頑張るしかなさそうだ。

いつもの倍の時間をかけて病院へ。
採尿、採血、心電図、レントゲン。いつものように済ませて問診。
主治医M先生と相談の末、心臓関係は今まで通りココで、脳神経系は万が一、を考えて、この間までいた病院で診て貰うことに決めた
2つの病院にかかる面倒はあるけれど、イザというとき、結局、運ばれるのは近くの病院、ってことになるんだものなあ。

ま、東京にいるときには考えもしなかった柔軟なアプローチも求められていることになる。
ただ、この結果にたどり着いたことで、あの病院で味わった屈辱感を放っておくのもいけないと思うので、それはやっぱり書いておく必要があると思っている。

老人はわがままなものだ、という決めつけや切り捨てについて、僕は少なからぬショックを受けた。
多分、それをこれから年寄る人達に伝えるのが先に年取った人間の義務でもあるような気がする。

と言うわけで、またいつか。
我が家地帯の桜は昨日の2分咲きから一挙に4分咲きへ。
 
 

2013年3月19日火曜日

Blakeとの日々


友人が手伝いに来てくれている。

飯も作って貰っているのであまりリハビリになっていないかもしれない。

僕はブレイクと散歩するだけの日々だ。



... 正直なところ、寝るのがコワイ。

そのまま、目が覚めないような恐怖感がある。



物を飲み込むことにも多少の不便があって、水にむせたりする。


右半身が冷たいのは全然変わらない症状で、蒲団を被ると右半身が熱い。

気づいたのは風呂に入ると右半身だけが熱湯に浸かっているようなのだ。

風呂で温もる、という感覚がなくなってしまったわけだ。

知覚異常ってやつ?

パソコンも長く見ているとちょっとめまいを起こす。

こういうのも全部克服して行かないといけないわけだが、結構シンドそう。

こんな後遺症を挙げても退かれるだけだな~、とは思うのだが、ま、こんなだけど頑張ります、という決意表明といたします。


誰に? 自分に、ってことかも…。



2013年3月15日金曜日

退院しました

Blakeも今度は喜んでくれた様子。
入院の詳細はまた追って。

2013年3月4日月曜日

メシ

‎3/4 夕食

実は僕のフェイスブックは病院食写真のオンパレード。
そこでこんな一文。




変わり映えのないメシの写真に皆さん、飽き飽きされた頃だと思う。

エンターテインメントを提供しなければいけない仕事に就いている人間としてはかなりマズイ状況だ。

人を笑わせるのが使命のお笑い芸人ほどではなくとも人を楽しませるのは私の使命である。

... だから病気までネタにする。

ン、これしかネタがないからじゃないのかい?

ム、言われればそうかも…。

というわけで撮すモノもないのでまたこんなモノ。ゴメンね、ゴメンね~ってここは群馬でも栃木でもなく埼玉だよ。U事工事じゃないよ、かぜ耕士だよ。



ま、皆さんは食傷してるでしょうけど、僕のタイムラインにゾロリ並んだ料理とは言えないエサ、エサ、エサ、…。

作って下さった方たちには申し訳ないが2度と食べたいモノはないというこの記録、なんか壮観ではある…。

四の五の言ってももはやこの状況に慣れてしまい、近頃ではどういうわけだかメシの時間を待ってるオレがいる…。  

2013年3月2日土曜日

点滴中



2月24日、日曜日。

法事を終えて家に戻った。

夜7時。

テレビを見ながらパソコンに向かっていると世界がグラリと揺れて倒れそうになった。

まもなく普通に戻ったのでそのままテレビを見ていたが、9時。

法事で食べて以来、何も口にしていなかったので、突然空腹を覚え、珍しくラーメンを作った。

さて、ひと箸つけようとした瞬間だ。

目の前がグルングルンと左に回転し始め、気持ち悪くなった。

ラーメンはそのままにして、とにかく電話を、と歩き始めたが、床が回ってしまうので、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。

やっと受話器を掴まえてすぐ下の妹に電話。救急車を依頼した。

まもなくおさまったこれまでに経験したことがないほど強烈なめまいだった。



9時20分。救急車到着までにまた1度、めまいに襲われたが救急車には自分で乗った。

受け入れ先は我が家からはちょっと距離のある東松山市立市民病院。

僕が疑っていたのは「食物アレルギー」。アレルギーがある、と検出されたばかりなのに、法事で出た鮭のルイベに箸をつけてしまったことだった。

しかし、問診と検査の結果、「突発性頭位めまい症」。

耳鼻科を検診してください、と言われ、2時間後、家に戻された。



2月25日(月)。

横になっていれば楽なのだが、トイレに行こうなどと思うと床が揺れる。

モノや壁を伝って歩かないと危なくて仕方ない。

それでもメシと洗濯は何とかこなした。

メシは妹たちが買ってきてくれるコンビニ食で間に合うのだが、昨日、お墓に行く前に農協で野菜を買ったものだからそれが気になって、茹でたりなんかしてた。

歩くのに困る程度のめまいなのだが、「頭の位置、角度によってめまい症状が出る」というその角度や位置が自分で特定できないので、このまま病院に行っても上手く説明できないな、と思い、結局、一日目はどこの病院にも行かなかった。



2月26日(火)。

一日、ベッドの上。

めまい症状は歩く時のみ。

歩行が心許なく、めまいなのかどうかも判らなくなり、この日も病院行きをためらった。



2月27日(水)。

僕には心強い友達がいる。

現役の病院長やこの症状の経験者たちだ。

アドヴァィスを求めれば即座に返してくれる彼らの言葉に「僕は多分、死ぬことはあるまい」と気持ちを強く持つことが出来た。必要以上に怖れずにすんだ。

しかし、症状はぼやけるばかりで、結局、歩くのに方向が定まらない、という以外、めまいを感じることはなくなり、他人への説明には説得力を欠くことにしかならない。

この年齢の人間が発する曖昧な言葉を世間は割と許さない。

理知的な人はこちらの曖昧な部分を執拗に問い詰めてくる。

60歳を過ぎてからそんなシーンに度々出会い、今の症状のこのあやふやな説明なんて誰にも取り合って貰えないな、と萎縮したまま3日目も過ぎた。



2月28日(木)。

体調に異変を感じた。

朝、顔を洗う時、右手がほとんど水の冷たさを感じない。

炊事の時も同様で、おまけにレンジからミトンなしで皿を取り出しても、熱さを感じなくなっていた。

午前9時。

どうせ明日、膝に注射が必要なのだから一日早めてこの症状を聞いて貰おう、といつものクリニックへ。

ちなみに、僕には頸椎損傷の過去がある。

大酒飲みだった頃、深夜、自転車で帰宅中、道で倒れて20分くらい、道路で寝てた。

以来、頸椎の第5、第6がどこかの神経を触るらしく自転車のハンドルを持てなくなったり、頚の硬直感に悩まされた。レントゲンを撮るのにベッドに仰向けになることが出来ず検査が中止になったりもした。

ふと、そのことを思い出して、説明してみたが、、

「ンー、めまいとは直接関係ないでしょう。でも、頸椎のイタズラも起きちゃってるかもね。とにかく耳鼻科を受けましょう」

で、点滴して戻った。

暖かい日で、干すのを忘れていた洗濯物を竿にかけたのは午後の一時を過ぎていた。



3月1日(金)

朝一で耳鼻科へ。

4駅先にあるこの耳鼻科は近郷では名医と評判でこぢんまりした佇まいながら広大な駐車場があり繁盛を伺わせた。

僕はその日一番目の患者だった。

先生はいくつかのことを訊いたあと仰った。

「顔が左半分歪んでますけど、なんか異変はありませんでしたか」

そう言えば、と思い出した。

朝、うがいをしていたら口の左半分から水が噴き出してしまった。

おまけにご飯を食べる時も誤嚥しそうな飲み込みにくさを感じた。

「これはねぇ、耳鼻科より脳外科の問題ですねぇ」

すぐに紹介状を持たされて、救急車で運ばれた時の、あの、というか、この病院に戻って来ちゃったのでした。

結果、梗塞の痕はハッキリとは見えないが可能性は大。もしかすると一番危険だった状態は脱しているかも知れないが、一人で今晩を過ごさせるのも危険な感じがあるので、2週間位を目途に入院しましょう、ってことになった。

正直、僕自身も不安だったので提案に文句のあろうはずはなく、そのまま入院したというワケなのです。



3月2日(土)

イヤー、昨日までと体調その他は何も変わらないのですが、よく寝ました。

この一年間で一番ちゃんと寝たかも知れない。

そう言えばWAHAHA本舗の喰始から2日前に電話があって「土曜日の永さんのラジオに出るから聞いて」ということだったので8:25分にアラームを設定した。

TBSのHPを見たら出演は午後のことらしいので様々な機器を試したらケータイからのradiko,jpが一番入りそう。そのあと、当然、FBへ。

皆さんのお気遣いの言葉に感謝。

しかし、このツールはちょっと残酷でもあるね。

何も書き込んでくれない「ともだち」に気づいてしまうもの。

この人は読む時間を決めてるな、書き込むけど人の記事には関心ないな、この人は忙しいな、この人は渋々承認したけど僕の書き込みは見ないようにブロックしてるな(そういう機能はあるのか?)、なんて些末なことまでに気づいてしまうケースもあった。

だって暇なんだもの。

ああ、便利なツールって、逆に簡単に人の心も映したりしちゃうんだなぁ。



と、ここまで書くのに普段の2~3倍の時間がかかってる。

まだ、テーブルに向かうとものすごく疲れるのと、頭に霞がかかった感じで、「イカン。横になってないとヤバイ」と思ったりします。本調子ではない。

歩く時のふらつきと右半身の冷感がなくなったら一応元に戻った、ってことなんでしょうね。

その日が早く来ることを念じて、しばらくまた横になります。って、これも横向いて打ってるんですが…。



改めて

ケータイへのお見舞いメール、FBへのお見舞いコメントの数々、ありがたく拝読いたしました。

ご心配かけて申し訳ありません。

治療に専念いたします。



写真は朝食。

病院ならではの貧相メニュー。

でも、昔の病院食より味は断然。