2013年4月27日土曜日

4/27  6月からの『人生を変えないラジオ』


大幅にリニューアルして週1放送にします。

タイトルも
『かぜ耕士の乾燥ワカメただいま増量中!』...
などというのを第1候補に考えています。
予想外に増える、スープにすると美味そう、というところからの発想です。

月1レギュラーお一人目に
シンガーソング・ライター兼ギタリスト兼音楽プロデューサーの清須邦義さん。
1週1アーチストの特集で「この人が聴きたい」というのをやってみたいかな、と考えています。

お二人目は
フラワーアーチストにして歌手の藤島新さん。
NHK『ステージ101』では「プリンス」の異名を取っていたこともあります。
新さんとは「101ナイト」をやろうと思っています。「ステージ101」の現役達の歌を1週1アーチストで特集したいと思っています。勿論、昔の歌もかけますが現役で頑張る人たちの応援ができればな~、という思いが強いです。
でも折角新さんとやるんですからちょっと骨っぽい企画もやりたいと思い「メッセージソング101」というコーナーを設けて古今東西のメッセージソングを1週1タイトルずつ紐解いてみたいと思っています。

三人目は
黒瀬守泰さん。ラジオの放送作家として大活躍した人です。何度か手合わせはすんでいます。
60~80年代にかけての「モノ物語」から話を始めたいと思っています。
そうだな~、サイクリング自転車、とか、咳止めドロップ、とか、ボーイスカウトとか、モノから始めて番組を作ってみたいなあ、音楽もその時代に則したものにしたいな~、なんて。

あと1週はやっぱりお便りを読みます。

月5週あるときは映画の話でもしましょうかねえ。
ともあれこの番組が人生最後のラジオ番組になるかもしれないので、ちょっとちゃんとしたことをやっておこうと思いました。
そのために人のてを煩わすんですから手前勝手な話ですが、ここからなにかいい展開は生まれないモノだろうかとも考えています。

あっ、『涙をこえて』についての本は永さんにもお話ししてしまったので早急に取りかかるつもりでいます。
ご期待いただきたいと思います。
とFacebookには書いたのだが、このサイトにお集まりの皆さんからの反応は思ったほどではなかったことを報告しておきます。

正直言うとかなりめげました。




4/26 そばアレルギー

大好物のそばにアレルギーがあると知ったのは去年の10月のことだ。
以来、うどんに切り替え我慢を続けてきた。
でも、どうしてもそばが喰いたい。
そこで、別の病院でもう一度アレルギー検査をしてもらった。
ちょうど目が充血して仕方ないので花粉のアレルギーも知りたいと思ったのだ。
...
検査結果が下の写真。



アレルギーは検出されなかった。
結果が変わった理由は解らない。
でも、
そばが喰えるぞォ! めでたい!

2013年4月23日火曜日

4/23 あの日のドッグラン

10日前にブレイクが逃走した、実家そばのドッグランに行ってみた。


ブレイクが逃走できてしまったことに対する「1回無料券」を無駄にしたくなかったからだ。ケチ、多分。

「直したんですけど1番柵の低いとこを使ってください」

低いところだと飛び越えちゃうんでこの間も2番目のにしたんだけどな、と思ったけど、言われる通りにした。

... ブレイクは遊び場に入った途端、様々な隙間をチェックしたが簡単には出られなさそう、と諦めたらしく、今日は目一杯走りを楽しんだ。

ただ、途中で一度、柵の下を掘ろうとした。油断ならないぞ!



実家そばから我が家まで徒歩30分弱。

途中でお袋の家にご機嫌伺い。

元気そうだ。

どこの婆さんもやるようにTVを見ながらメモを取っている。

毛筆で、というのがちょっと変わってるか?

安心して帰ってきた。

30分の歩きに耐えられたってことは体力も大分、回復傾向か?



写真はドッグランで。

そして、疲れ果てこんな寝姿。  





4/19 狂犬病注射の日



ブレイクは本日、1年1度の狂犬病の注射の日。

他の犬達が恐怖で叫びわめいているのに、我がブレイクは泣きもせず注射を打たれました。

他の犬の方にばかり注意が逸れているためで、これでも動物病院の施術室では結構嫌がります。



注射はアッと言う間なのですがあまりに簡単に事が済んでしまい写真を撮れずじまいでした。



2013年4月16日火曜日

4/16(火) 50年の付き合い



古い知り合いがお見舞いを兼ねて我が家を訪ねてくれた。
3~4年毎に会っているのでウーンと久しぶりというわけではないが、もう50年の付き合いになる。

彼女たちは僕が19歳の頃、アルバイトをしていたある芸能プロダクションの経理と演技事務をしていた。
僕はそこでテレビ映画や舞台の製作助手をしながら大学に通っていた。
基本は単なる俳優プロダクションだったが、29歳の若手社長は意欲的で、ドラマや舞台の制作協力に手を貸し、僕を派遣した。
それらの仕事の合間にドラマの企画書を書くと奨励給が出たので何本も書いた。大卒の初任給より4~5.000円高い月給になった。
企画は一度も通らなかったが、企画書がテレビ局の制作部に届くことで、俳優たちの大きなプロモートにもなったらしく、俳優たちはかなり忙しかった。
僕が携わったのはTV映画『空手風雲児』とミュージカル『九人の交換手』だけだが、準備期間を含めるとかなりの月数を数えた。
後者は渋谷公会堂での上演だったが、2,000人のキャパに客が毎日600人の入り。
この舞台のために作られた制作委員会は公演4 日目に誰もいなくなり、20歳の僕は後始末に忙殺された。
未払いギャラのことなんか全く知らなかったので、4ヶ月ほどでヘトヘトになり、まっとうな学生生活に戻った。
プロダクションはその半年後に崩壊した。

お二方とはそういう波乱の共通体験がある。

僕は19で夜な夜な「チャイナタウン」というグランドキャバレーに連れて行かれ、擦れっ枯らしの青春を送っていた。
先輩マネージャーのTさんが可愛がってくれたからだ。
僕はあまり人に可愛がられない人間なんだけど、その頃だけは別だったみたい。
遊びに来てくれたお二方も、僕がまだ可愛い時に出会っているので今でも付き合ってくれてるのだ。
お二人に会うと僕は自分が清廉潔白なとても良い子だった時代に帰れる。

懐かしい話をいっぱいしたよ。

その会社の社長はのちにテレビ映画の制作を始めたので田村正和さんの時代劇初主演となった『若さま侍捕物帖』の主題歌を書かせてくれた。
『夕陽のまつり』というその主題歌はすんごく良い仕上がりだったが、正和さん初時代劇なのに野球の雨傘番組化してしまい、26話のはずが18話で終了。歌もヒットに至らなかった。
19の僕にお前は書けると言ってくれ、のちのち、僕に仕事をくれたその社長には今でも感謝してる。
その社長が亡くなり、そのお兄さんである有名なゴッホ俳優が亡くなった時、ご葬儀で当時の副社長と再会した。
副社長は何故か、「お前の卒論、オレが代筆してやったんだよなぁ」などと言いだし、「お前、今、何して喰ってんだ」と的外れな質問をされて困った。
社長は僕に仕事を依頼してきてくれ、副社長は僕の卒論を書いてやったと思い込んでいる。
何だ、コレ?

そんなトンチンカンな想い出話もした。

お一人は来年「喜寿」、お一人は「傘寿」となる。
三人で、「あと何回会えるかナー」と同時に言ってしまう年齢にさしかかっているのだが、芸能界の入り口での話はもう、お二人以外には話す相手もないので、いつまでもご健在でいて欲しいと思ってる。

写真は我が家の玄関で元・美女二人と元・良い子君。
写真右の山藤明子さんは若い時女優さんだったので、今でも都市圏の公会堂で朗読の舞台に立たれることもある。
ちなみに笑ったつもりなのに笑顔にならないのが僕の後遺症の一つである。    

三國連太郎さんご逝去



三國連太郎さんのファンでした。
最初に見たのは『ビルマの竪琴』。
特にラストの日本へ帰る船上での回想シーン。
その斜め右からの凛々しくも美しい輪郭。
いい顔をした人だなあ、と子供心に感心した。
それまでいい顔、美しい顔は『哀愁の街に霧が降る』の山田真二さんしか知らなかったので、いい顔コレクションの引き出しが増えた。

三國さんと高倉健さんの共演作が健さんの初期に多いのは案外知られていない。
東映と契約していたんですかね。
ここ、何ヵ月か、CSの東映チャンネルでその共演作の大半を何故か録画していました。
未DVD化かもしれませんが硬派のよい仕上がりのものが何本もある。
極め付きが『飢餓海峡』での共演で、プラス伴淳三郎さんとのトリオで名画の仕上がり。

ただ、その後の大作、話題作時代の三國さんをあまり見ていない。
好きなのは60代後半からの『釣りバカ日誌』のスーさんだ。
西田敏行という自由自在の相手役を得て、三國さんが本当に楽しそうに演じているのが素敵。
「演技派」の称号を捨て去って楽しそうに演っているのを見るとこの人が本当に上手い役者なのが逆によく解る。
そして最期までいい顔だった。
惚れ甲斐のある役者だった。

三國連太郎。
1923.1.20生~2013.4.14没。90歳。

ご冥福をお祈りいたします。

4/15(月) 齣落としの桜

今日は10日に1度の注射。
クリニックの桜は2月の冬景色のあとは入院生活に入ってしまったため、次に見た時は満開。
そして今日はすっかり葉桜。

昼はクリント・イーストウッドの『人生の特等席』。
2012/米映画
監督 ロバート・ロレンツ
出演 クリント・イーストウッド/エイミー・アダムス/ジャスティン・ティンバーレイク

イーストウッドがメガホンをとっていないことで評判になった作品。
野球のスカウト話だが、いつもの乾いたイーストウッド映画と一線を画する情緒的な仕上がりが心地よい。
父娘の情愛、仕事の相棒の信頼感溢れる存在、娘の恋、自分がスカウトした選手の行く末などが絶妙に絡み合って、とても気持ちよいテンポ。
イーストウッド映画は主要キャスト3人以外は地味なキャストであるケースが多いが、これは脇に達者な役者を揃えていて、もうそれだけで画面が厚い。
相棒役のジョン・グッドマン、イーストウッドの後がまを狙っている男に『ファミリー・ツリー』の妻の愛人役マシュー・リラード、弁護士事務所にはエド・ローター、息子のスコット・イーストウッドも出演しているが主要な脇がみんないい味。
1シーンだけのダイナーのウエイトレスにもちゃんと芝居のしどころを与えているのも好き。
娘役のエイミーと元一流投手の若手スカウト、ジャスティンは前から気に入ってる若手だが期待通りの良さ。
伏線の張り方や定石通りの展開がとても気持ち良いので作り手の思惑通り泣いてやりました。
乗せられて心地よい映画は久しぶり。ありきたりじゃん、という心地よさ。とても好きになれました。

写真はクリニックの冬、春、初夏。
   


2013年4月12日金曜日

ドッグ・ラン・ラン



午後、突然、うどんが喰いたくなり、友人Kといつもの「うどん九兵衛屋」へ。
ミニ天丼ランチ 税込 \714-也。

頼んでいた膝痛に関する本が届いた、の知らせも受けていたのでその足でTSUTAYAへ。
ついでにDVD『ボーン・レガシー』『エージェント・マロリー』『ザ・グレー』『人生の特等席』の4本も。

カインズ・ホームで洗剤などの他、ブレイク用食糧。
隣のbaisia foodsで何日分かの料理素材を調達。

ところがここで騒動の種を蒔いてしまった。
実は車の移動の時は大抵ブレイクを連れている。
今日は食事で待たせ、買い物で待たせ、しかもカインズではペットショップで犬と遊んでいたので、ブレイクとも外で遊びたくなったのだ。
そして、我が村にも「ドッグラン」があることに気付いたのだ。

それは僕の古い実家のすぐ近くにあって、昔はただの田んぼだった。
しかし、そこで犬が遊んでいるのを見たことがなかったので、今まで気づかずにいたのだ。
他に犬がいなくてはあまり意味がないんだけど、しばらく鎖から解き放ってやるだけでもBlakeにはストレス発散になるはず。
1頭何時間でも\500-.
まー、田んぼを3面に区切っただけだからね。
チョッと柵としては柔すぎるかも、とは思ったけどサー。

小型犬用の背の低い柵で遊ばせていると、時々ブレイクが、こんなとこ、すぐ飛び越えられるぜ、みたいな視線を送ってくるので、未整備と言えるほど草深い2つめの遊び場に移った。

犬ってのは凄いね。
どうやらBlakeは一瞬の内に遊び場全体を把握してしまった。
彼はまず、屋根まで網の張り巡らされた3つめの遊び場との隙間をチェックした。
一旦、何気ない顔で4面を走って見せ、僕が「ブレイク」と呼んだ途端、僕の方へ駆け寄ると見せて、ヒョイと僕の手をすり抜けて、かねて下見済みの柵の破れ目へ突進。
そのまま田んぼの中へと駆けて行ってしまった。

友人Kは目の前で逃げられること、これで2回目。
慌てて追いかけますが間に合やしません。
ドッグラン責任者も異変に気づき飛んできて
「どこかの家に入ってしまってトラブルが起きたらもう経営できなくなります。どうしよう」
心配はそれかい!と思ったけど、「平気、平気、30分も走り回れば戻ります」と答えた。
そうでも言わなきゃ収まらないし、逃げちゃったあとから心配しても始まらないもの。
心配するならその前にしてなきゃいけなかったんだから。

今日の僕にはなんとなく確信があって、ブレイクは程なく僕の前に姿を表すはずだった。
というのも逃げた方角は僕の古い実家のある。
多分、ブレイクは妹の車で実家に立ち寄ったことがあり、自由な散歩を兼ねて、もう一度、そこに行ってみたくなっただけじゃないのかな?

kは追うのを諦めて道を引き返してきたが僕は迷わず古い我が家への道を辿った。
案の定だ。
ブレイクは実家からの道を一目散に走ってくると僕の足元で急に減速。ゴロンとお腹を見せて、服従の意を示した。
一件落着である。

ドッグランからは2週間以内なら1回無料というサービス券を頂いた。
一応、柵の修理と点検はお願いしたけど、犬は逃げたきゃ逃げるよ。
そういう動物だもの。
ただ、こういう成功に味をしめて癖になると困るなあ、とは思っている。
そのためにはもっと僕も注意を払わなきゃいけないんだけど…。
それにしても何かというとnewsを提供してくれるぜ、この困った相棒はヨォ。

写真はひとりぼっちのドッグラン。
まだベストショットも狙えない内の情けない代物。    

2013年4月11日木曜日

忙しい一日 part 2


4月10日は退院後4週間目の検診。
家を友人Kの運転で8:30出発。
少し道に迷って9:15分、病院着。予想していたが「入院証明書」と「診断書」は2週間経つのに出来ていなかった。
一昨日、確認も入れているのにだよ。
どうもこの病院はこの緩さで間に合っているらしい。
まあ、僕も諦めてるからいけないんだけど。

... MRI撮って問診。
10:15分には終わって、薬局で薬をもらったあと、かねてより企画していた森林公園へ。
ここにBlakeたち犬の遊び場いわゆる「ドッグラン」があるらしいのだ。
それを知って以来、一度は行ってみたい、と思ってた。
いざ、決行。

イヤー、森林公園ってホンとに広いね。
入り口を間違えたら「ドッグランへはここから1時間、北口からなら15分です」。
当然のこと、北口に回ったが、移動だけでも車で優に20分はかかった。

さて、森林公園は武蔵野丘陵の巨大な森に作られたハイキングコースであり、ドッグランまでは緩やかな山道を上って下る15分の散策路。
とは言え、今の僕の体力では常人の15分はほぼ1時間に匹敵する。
イヤー、大変でした。
でも、Blakeの喜びようを見たら、疲れは我慢できた。

Blakeは犬の中でのルールをほとんど知らないのでメスにのしかかることしか頭になかったのだが、多くの仲間に触れ、少し利口になったような気がする。

豚カツ喰って家に戻ると3時。
運動しすぎ、という以外の眠気に襲われ、ウトウトしてると急に大粒の雨。もう3時間も降り続いている。

まー、森林公園、ひと月一度くらいは連れていってやりたいがそれも車を運転してくれる人がいなければね。
今日は2日続きの強行軍で、夕飯は食えない感じ。
このまま寝ます。トクホン貼りまくってね。



忙しい一日 part 1




4月9日は目覚めた時から忙しさが予想された。
11:30の電車で東京へ。
東武東上線和光市で副都心線に乗り換え。
明治神宮前で千代田線に乗り継ぎ、赤坂下車。
... 所要時間1時間40分。
赤坂ACTシアターでWAHAHA本舗最終公演『ラスト』観劇。
この劇団の主宰者兼演出家はこの世界に入った時からの友達、喰始である。
劇団30年の最後の「全体公演」なのでその旗揚げから知っている身としては見ないわけには行かなかった。

僕らの産みの親である永六輔さんがいらっしゃってると言うので休憩時間にご挨拶した。
永さんは僕に会うたびこう仰有る。
「他に誰か来てるの?」
僕がいる時は昔の仲間がみんな来ているものと確信してらっしゃるようなのだが、昔の仲間の何人かは病に倒れ、残った一人一人はみんながみんなそんなに仲が良いわけではない。
で、僕は大抵の場合、こう答える。
「いいえ、今日はまだ誰にも会っていません」

休憩時間の間中、いくつかの話をした。
ヤング101のことはいつも気にかけていらっしゃるようで、「何かやることがあったら呼んで」と仰有った。
101の皆さんがこれをご覧になったら心に止めておいて下さいね。
ディレクター末盛憲彦、作曲家中村八大、両氏の残した番組を永さんは仕事仲間として、友人として、いつも大事に思っておられるのだな。

永さんは喰ちゃんを子供のように可愛がっているので、自分の出についても考え抜いた構成を立てていて見事なシーンを造り出した。
僕は泣いた。

改めて思うが、俺はホンとに義理堅いね。
その師弟愛を嫉妬の目で見つめながら泣いているのだものね。
この光景を一体これまで何度見てきたと言うのだ。
しかもそれはほとんど、仲間内では俺しか見ていないのだ。
喰ちゃんが俺しか呼んでないのがその真相だけどサ。

WAHAHAを30年見てきたが僕は彼らの集団演技に満足したことが一度もない。
何人かの優れた俳優のひらめき(柴田理恵の一人芝居、久本雅美の婚活showなど)で、なんとか舞台は成立しているが、完全な仕上がりのものはひとつもない。
WAHAHAを成立させているものはただひとつ、喰始のイメージの展覧会としてだ。
僕はそれだけにはいつも感心して、毎回、満足して家路を辿るのだ。

だが、この日はそれだけでは終われなかった。
古い友人の及川恒平ちゃんが大森でライヴをやる、と知ってしまったからだ。
問題は二つのステージを掛け持ちする体力があるかどうかだった。
喰チャンの舞台は2:30開演で休憩を挟み3時間半の長丁場。
終ったのが6時近くで、急ぎ、新橋へ向かい、京浜東北線で大森へ。
満員電車でさすがに足が悲鳴をあげた。

36年ぶりの再会は穏やかで懐かしいものだった。
恒平ちゃんはあの日の恒平ちゃんで、開演前の数十分はアッという間に過ぎた。

休憩前まで聞かせてもらって、アルバム『ルノアールの雲』を買い、田端乗り換えで池袋へ。

池袋発10時の特急電車で10:55分、我が家駅着。
長い一日、ハードな一日だったが、自分の身体がここまで戻ったか、という確認もできて面白い一日だった。

写真使用は無許可だが、お許し願えるだろう。
赤坂ACTでの喰ちゃん、永さん、僕。
もう一枚は大森「風に吹かれて」での恒平ちゃん、四角佳子(オケイちゃん)、僕。
僕の顔も退院時に比べだいぶ元に戻ってきたと思う。    
   

2013年4月4日木曜日

4/4 ハイキング・コース


こんなにいい天気だというのに朝からどうも下腹部、それも鼠蹊部ちょっと上辺りに痛みがあっていつものクリニックへ。
レントゲンの結果、やっぱりヘルニアの可能性。
そう言えば前にもこんなことがあったような記憶。
その時より少し痛いのがイヤだが、本当に痛くなったら手術するしかないらしい。

こんないい天気なのにショゲてても始まらないので午後はこの村の桜まつりの会場に行ってみた。
沢山の人出があって、皆さん、今日が見納め、といった感じ。

友人Kが嵐山渓谷を見たいというので運転して貰いこの村のハイキング・コース巡り。
武蔵嵐山はかつては東京の小学生の遠足地として人気で5月頃はいくつもの学校から子供たちがやって来た。
村の人以外知らない僕ら小学生はその都会風な出で立ちを大いに羨んだものだった。

1957年頃には確か『週刊読売』の「新日本百景」なる人気投票で25位だかに選ばれたことがあった。
今でも歩け歩け運動みたいなサークルに人気があるらしく平日でも山歩きしている熟年、もしくは高齢者によく出会う。

嵐山渓谷、大平山(おおひらやま)、ともに車の乗り入れは禁止されていて、結局、我が村の観光スポットの場所を確認したにとどまった。

帰りにスーパーで夕餉用買い物。
ガリガリくんのコーンポタージュも買ったヨ。
巷では売り切れ店続出らしいのだがこの村ではコーンポタージュそのものの認知度が低い(多分だが)。
他のアイスを押し退けて場所取りしたに違いない冷凍庫一杯のガリガリ君コーンポタージュが寂しそうに客待ちしていた。
きっとスーパーもアテが外れたと思う。

写真は桜まつり会場にて。

2013年4月2日火曜日

4月1日 久しぶりの掃除



友人Kがまだ居てくれてる。


で、今日は少し丁寧めに掃除した。
ただし、僕は通常の2倍、時間がかかっていて、掃除機をかけるだけで息が上がってしまう。
マガジンラックを整理するだけで腰が痛くなってしまう。
マイペットを噴霧してモップで拭いただけでお茶の時間に突入してしまう。
イヤー、時間がかかりました。

夕方、妹の車を借りてKと台所用品や、料理のための買い入れ。
ブレイクのためにセブンイレブンのコロッケを買いに寄り道。
スーパーの1個50円のでは見向きもせず、セブンの1個100円なら完食する。
この選り好みには辟易。

あまりにやさしすぎるクイズ番組を呆れながら視聴しつつ夕食。

これからソファ・カバーを替えて、今日の掃除は終わり。
明日は雨らしいのでDVDの整理などして過ごそう。
雨は恐怖だ。  

我が家の前の駐車場はまだ桜が見頃。