2014年1月28日火曜日

退院しました


みなさんに多大なご心配お掛けしましたが、1/18(土)に退院しました。
転院してちょうど4ヶ月。123日間のリハビリ生活でしたが、その前の緊急入院が1ヶ月と7日間ありますので正確には160日、およそ5ヶ月を病院で過ごしたことになります。
完治しての退院ではありませんので、今週から週2回、またリハビリセンターに通い、筋力を取り戻すための運動に励みます。
これまでは時間割に縛られて、否が応でもリハビリせざるを得ませんでした。ならば、なるべく楽しくやろう、と考えを切り替えられたのですが、週2、わずかに40分づつ。あとは本人のやる気のみ、となった場合、僕は頑張りが利くのかなー、と少し不安になっているのも事実です。

しかし、よくぞここまで回復させてもらえたものです。
発症当時の僕の介護評価は「要介護5」というもので寝たきり状態でした。
リハビリ病院に転院した時も車椅子からベッドに移るのがやっと、という状態でしたから、確かに何人かの先生が言う通り「驚異的」な回復だったかもしれません。自分でも驚いていますが真相は僕の入院していた「武蔵嵐山病院」のリハビリ・スタッフの力量でしょうね。ここの療法士たちの力で動かない身体が見事に回復した例を何例も見ましたもの。
僕の友達の中には「療法士の患者への接し方があまりに真摯なので感動して泣きそうになった」と言う者までいました。
先生方には改めて「ありがとうございました」と申し上げます。

ただ、課題は残っています。
手足の痺れ、強張りは自然治癒に委ねるしかありませんし、丸亀製麺のうどんはまだ上手にすすることができません。
低い所の物を取るのに、しゃがみこむのも無理です。家の中での移動も壁を伝い、外では杖をついて歩きます。
ま、色んな局面に戸惑いながら、自分の暮らし方を見つけて行くしかないのが現実です。

今日19日は主にスーパーでの買い物に費やしました。
というのも家を空けること5カ月。冷蔵庫のほぼすべての調味料、醤油、ソース、ドレッシング関係が賞味期限を過ぎていました。
驚いたのは練り歯磨き。
どうやらこれにも賞味期限があったようで、なんと粒塩の塩気が全く消えていました。

そんなこんなで1日は何とも速く過ぎて行きます。
一日も早く「山田功」の人生を、そして願わくば、一度は諦めていた「かぜ耕士」の人生をも取り戻したいと思い始めた今日この頃であります。

2014年1月12日日曜日

新年会開催

あんまりにもご難続きだった2013。
この劣勢をそのまま2014年に引き摺って行くのはイカン。
で、急に1/3(金)の午後、リハビリが手薄になることに気づきました。
1時間目のリハビリのあと、急いで家に戻りとりあえず新年会らしさを作り午後1時、みんなに集まってもらい、割と以前からあるスーパー銭湯「平成楼」小広間にて総勢9人のこじんまりとした宴会となりました。

僕の毎年の新年会は母の元へ縁者が集まる式のもの1つと友達3~4人だけでやるものに限られています。

母の家のには行かにゃイケんでしょう。見舞いに行きたいと言ってくれてた叔父や叔母に「麻痺した顔を他人に見られたくない」と頑なに拒否していたので、そのお詫びがてら出掛けました。
余りに年寄り顔になったことには驚いたようですが、回復を喜んでくれたので出席した甲斐もあったことになります。
ま、母も少し、ホッとしてくれたようなので役目を果たしたのを確認して、午後のリハビリ時間には病院に戻りました。

さて、僕的本番は1/3(土)。当初は(架空の)「一番弟子」尾関くんと(遊びの)「二番弟子」菅谷さんにお声をかけたのだが一番弟子からは返信がなかった。
二番弟子は自身の所属バンド「SSU」のメンバーにも声を掛けます、の返信。
その間にこちらも久しぶりに会いたい人たちをピックアップ。
そのほとんどは前回の大掃除に名乗りを上げてくれたんだけど、日にちを1日ずらせたので不参加だった方、など。
6人の参加が決定。ここに尾関くんと「SSU」で10人の宴会となる。
ただ「SSU」の参加はまだ決定していないので、他に2人、声をかけた。

やがて、「SSU」のお二人は不参加、だが「ハックルベリー・フィン」の丈二くんが参加してくれることに。
だが、参加10人で宴会場の予約がすんだところで菅谷さん宅にご不幸、尾関くんはインフルエンザに罹患と何と高弟(♪)2人が欠席。
でも、もう25~6年の付き合いになる四倉くんが奥さんと一緒に来てくれることになって、総勢9人に決定。

楽しかったです。
何が、というわけでなくみんなの声を聞いてるだけで元気になってきた。

2次会はカラオケ。
これもカラオケ大好きの尾関くん用プログラムだったんだけど主役を欠いての開催ながら丈二くんのサザンオールスターズを聴けたので大満足。
折り目正しく歌うとその歌の魅力がシッカリ伝わるという好例を実証してくれる歌い方で僕は感心してしまった。

途中から雑談で僕自身大した数歌ってないのだけど、声は7割方出るようになった事を確認しました。

その後は我が家に戻ってTVの悪口。
病院にいると会話は少ないし、わざわざ僕にしゃべる時間を用意してくれるST(スピーチ・テラピー)の先生以外との会話しかないので、実は僕の言葉が人に届いているのか不安でならなかったのです。
TVの悪口は元気な時の僕に帰っていたそうでホッ!

みなさんには8:47分発池袋行きに乗っていただきました。
ご参加くださった皆さん、本当にありがとう。
早く仕事に戻れるようリハビリに励みます。

どうぞ、今年もよろしくお願い致します。

丈二くん、阿鬼羅くん、金田くん、大林さん、四倉くん、奥さん、津布久さん、hecoちゃん、重ね重ねありがとうございました。



2014年1月1日水曜日

2014年元日の朝のご飯

少し、この記事に期待してくださってましたか?
下の写真をご覧になってくださっても結構ですよ。
さあ、僕にお雑煮は出たでしょうか?
実は出た人と出ない人とがおりました。
実は病院には食堂が3つありまして「大食堂」では数十人、「中食堂」では24人、僕ら「小食堂」は通常5人、今朝は4人だったんですが、なんと雑煮組2人、ない組2人に別れてしまいました。
小さな餅1切れでもあるとないではめでたさが違います、お正月ですもん。
さて、幸せの分岐点はどこに置かれているのかと言いますと「普通食」で何の制限もない人と「普通食」だが食品に「注釈」のつく人、例えば「野菜は粗刻み」とか、とにかく大きいと食べられないものがある人、とに別れたわけです。
見事ですよー、男1、女1ずつにシッカリ別れました。

残念ながら僕のには探せど探せどお餅が入っていませんでした。
まだ餅のような大きなものは食べちゃいけない、ということですね。
マ、これで今年の吉凶を占うつもりはなかったので商店街の籤に外れたくらいの残念さしかありませんが嬉しさの度合いは、…ネ?

そんなわけで餅なし朝食、ご覧あれ。これが日本の「お」「も」「ち」「な」「し」。
お後がよろしいようで。



さて、大晦日の夕食ですが…


イヤー、期待してたわけじゃないんですが、これだけ期待を裏切ってくれると\(´O`)/…。

つぼだいの西京漬、中華煮、うめびしお、ヨーグルト、ご飯


2013年 大晦日 昼食は蕎麦


年越しそばは出ないだろうと言うのが入院者の予測だった。
うどんは10日に1回くらいの割で出る。
うどん1本1本がくっついてしまうまでにはそこそこ時間がかかるから配膳係はそんなに焦らずにすむ。
だが、蕎麦となるとそうは行かない。
くっついちゃったら始末に終えない。だから、年越しそばは出ない。それが入院者たちの統一見解だった。
ここは入院者を最長5ヶ月しか置かない病院だし、正月は一時的に帰宅する人が多い。
つまり、年越しそばの真実を知る人は少ない。

ところが、出てしまったのですねえ、大晦日の昼食に。
ウーン、のびてましたよ、やっぱりね。
最初はそばつゆ(と言っても味は薄くて飲めちゃうつゆです)につけてから口に運んでたんですが、徐々に1本1本ほぐすのが面倒になって、梅雨をそばにぶっかけてしまいました。
実は僕の口は「すする」力を失っているので、蕎麦やうどんが目下の苦手メニューです。
その克服が一番の課題なんですが、なかなかうまく行きません。

それにしても、昼に年越しそばが出ちゃったら、今年最後の夕食に一体どんな期待をすればいいんだ? というのが病室の今、最もホットな話題です。


健康データ


飯は常に完食なのだが、体重だけが減って行く。
リハビリで飯がすべて筋肉になっていると良いのだけど。
マ、その内主治医に訊くつもり。