2016年1月23日土曜日

本日1/23(土)放送の 『どこかでラジオが』

(FMさがみ 23:00~23:59)

『かぜ耕士の昭和史』は「たむたむたいむ」の終わりの頃の話。
前回の放送の中で「ミュージカル上演に触れてない」「雑誌失敗に触れてない」といった感想が届きました。
ホントですね。感情に流されてちょっと話がスッ飛びました。
暗雲は『セイ!ヤング』担当以前に垂れ込め始めていて、ミュージカル『泣きたいスージー』で友達関係分裂、季刊誌『MUUM(むうむ)』の創刊号が廃刊号事件などにも及んでいました。
そのあたりの話に触れ直します。
曲は
①『雨が降る』(ミュージカル『Fantastics』から。高野美千代&阿世知守)
②『愛した日々に悔いはない』(ミュージカル『コーラスライン』から。ブロードウェイ・オリジナル・キャスト)
③『幸せの黄色いリボン』(ドーン)

FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただくとありがたいです。


写真はスタジオにて。
関さんのタイムラインから拝借。



2016年1月9日土曜日

本日1/9(土)放送の 『どこかでラジオが』

(FMさがみ 23:00~23:59)

『かぜ耕士の昭和史』は「セイ!ヤングの時代」。
1978(昭和53)年~79(昭54)年。

1977年。
来年3月でパーソナリティを辞めることにしていたので僕はいろんなことに挑戦しました。

ミュージカル『泣きたいスージー』(於:自由劇場)の制作上演。
喰始、武田全弘、崎南海子、中山茎子が一緒でした。
季刊誌『MUUM』(婦人生活者社)責任編集。
『コーラスライン』観劇旅行。

総体的に不始末な結果となり、仲間は分裂、創刊号は廃刊号、
旅行から戻ると雑誌は発売時期がずれ、ラジオでの予告が全部嘘、ということになっていました。

そして、突然、
『セイ!ヤング』の企画書を書いてくれという話が持ち込まれます。
注文主は『走れ!歌謡曲』のディレクターになっていた吉田誠ちゃんでした。
書いたものが多少のヒントになったのか、彼の所属する制作会社は週2本を担当することになり、僕と鶴瓶さんが月、火曜日をやることになりました。

しかし、ニッポン放送ではこれが大問題と化して、突然の遺留要請が始まりました。

この「かぜ耕士、LFに後足で砂」事件は下の番組機関紙がこの号だけLFの目に触れなかったことに原因があります。
今、それを誰の責任だと言ってみたところで、覆水が盆にかえる訳ではありません。

ただ、僕のパーソナリティ生活に翳りが出てきたのには違いありません。
くだらねえ仕掛けをしやがる連中が次々に出てきます。

今日の番組では話しているうちに怒りが込み上げてきて、気分が当時に戻ってしまっています。
もう少しで、馬鹿野郎たちの名前まで言っちまうところでした。危ねえ危ねえ。
「かぜさん、もう少し、感情を抑えてください」
とPから言われたので、頭を冷やすために年末の録音はこれ1本にとどめました。

曲は
①吉田拓郎『落陽』
②小林啓子『スライダーを覚えて』
③古屋かおり『さよならロンリーナイト』

FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
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これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただくとありがたいです。

写真は自ら降板について書いている『たむたむたいむず』77年12月1日号。



2016年1月7日木曜日

【虎姫一座】について書かれたBlog

是非、覗いてみてください。

一つは僕の敬愛するFB友達、演劇ジャーナリストの山田勝仁さんの『梁塵日記』

http://s.webry.info/sp/ryo-jin.at.webry.info/index.html?page=5


もう一つは、ご存じ、さとなおさんの『www.さとなお.com』の『さなメモ』

http://satonao.com/index.html


2016年1月1日金曜日

2016年 新年のご挨拶

相棒
新しいベッドで安らかな寝息をたてる相棒。
間もなく新年の朝が開く。
僕は今、とてもしあわせ♪
皆さん、今年もよろしくお願い致します!


小西良太郎さんの本 『昭和の歌 100-君たちが居て 僕が居た』


僕がこの業界で最も尊敬する人が小西良太郎さんです。
歌を書き始めた20代半ば頃、音楽雑誌『Guts』のレコード評で音楽評論家としての小西さんを知りました。
歌詞に視点を当てた音楽評に心を掴まえられました。
いつか小西さんに褒められるような歌を書こうと心に誓いました。
でも、褒めて貰える前に小西さんとの出会いがやって来てしまいました。
今でも忘れない1972年の4月。
作ったばかりの僕らの事務所「HELP!」に小西さんは「スポーツニッポン」(スポニチ)の文化部長として現れたのです。
自己紹介をした時の小西さんの第一声も忘れられない。
「おお、『アルカディア』の作詞家はこんなところに隠れておったか」
『アルカディア』と言うのはご存じフォークブームの火付け役となった上條恒彦+小室等と六文銭の『出発の歌』のB面に上條さんのソロ曲として収まっていた歌です。
小西さんがB面曲にまで注意を払っている評論家なのだと知って「あ、やっぱり僕の尊敬する人に間違いなかった」と思ったものでした。
僕らの事務所はその後、『スポニチ』の最後の頁(一般紙なら社会面)を丸々貰って『キャンバスNow』と言う連載を請け負うことになり、以来40数年、小西さんに可愛がって戴いている。
僕の歌はついに小西さんに褒めてもらえなかったのだけど、大事な局面で記事にして戴いたり、書かせて戴いた。
業界での大恩人だ。
その大恩人と僕らの間の調整役をしていてくださったのが音楽プロデューサーの寺本幸司さんで、寺本さんもFB上でその出会いを綴りつつこの本の紹介をされている。

是非、小西さんの選んだ100曲を読んでください。聴いてみてください。
僕が何故、そして業界人が何故、小西さんを敬愛し続けるのかがきっと解っていただけると思います♪
小西良太郎著『昭和の歌 100-君たちが居て僕が居た』
は電話、FAX、Eメールのいずれかでご購入下さい。
幻戯書房(ゲンキ・ショボウ)刊
¥2808円(税込)+送料350円
電話 03-5283-3934
fax 03-5283-3935
メール genku@genki-shobou.co.jp
写真下は「キャンバスNow」同窓会



2015/12/30 虎姫じゃっ!


今年もあと1日を残すだけとなった12/30(水)、ザルツブルグからお正月休暇で帰国したFB友達の杉林俊枝さん(ザルツブルグ管弦楽団バイオリン奏者)一家と 「浅草レヴュー これが虎姫一座だ~60年代を突っ走れ!~」を見に出掛けた。
杉林さんの娘さんで「乃木坂46」に入ることを遠く欧州の地で夢見ていたユリアちゃん(15歳)にショウビジネスの世界を実際に見て欲しかったからだ。
ユリアちゃんのパパ・ラインハルトさん(クラリネット奏者)と杉林さんのお姉さんでやはりFB友達だった外谷恭子さん、同じくFB友達のHajime Takitaさん、菅谷先生、金田さん、田村さんも一緒でなんと9人連れ。賑やかなご一行様となった。
虎姫一座は10/26に続き2度目だが質の良い仕上がりを持続して今日も満席の観客を魅了した。
2015年最後のステージとあってか気持ちの良い緊張感が漂っていたのも嬉しかった。
ロングラン公演では何となく気持ちの緩みが客に伝わる日もある。
特に商業演劇などでは団体客の多い日などにソレが出る。
毎日、必死でやってたら身が持たないじゃん、などという人もいて、確かにソレはそうだと思わないではないのだが、高い観劇料を払ってそんな演技を見せられたら黙ってはいられない。
つい文句の一つや二つ、言わなくてもイイことを言ってしまうのだが、虎姫一座にソレはナイ。
毎日、真剣勝負しているのが2度しか見ていなくても判る。
今回が初めてのラインハルトさんも「毎日歌って踊ってこんなに良いステージを見せてるんなら伴奏も生で聴きたくなるね」と言うほどなんだもの。
日本の60年代の音楽なんか知らなくてもプロの眼や耳にこのチームの力はキチンと伝わっている。
勿論、乃木坂46に憧れてたユリアちゃんにもソレは伝わっていて「ここに入りたいって言えない。ここに入るには勉強しなきゃいけないものが一杯ある。でも、楽しかったのでもう一度みたい」が感想だった。
喫茶店「文七」でみんなでお茶を飲んだが、「文七」には高座があって、時によっては咄家さんが噺を聞かせていることもあるとか。
道に迷ってる僕に田村さんが電話で「『文七元結(ぶんしちもっとい)』の「文七」と書く店なんですけど」
判らん人にはその説明、判らんと思ったが、そんな言葉がスラッと出てきてしまうのが田村さん。
虎姫愛と浅草愛が高じて今ではアミューズカフェシアターの前に住んで既に虎姫鑑賞300回を超えてしまったらしい。
「でも、古いファンでは400回を越える人もいるんでちょっと負けてます」
だそうだ。感服。
田村さんと別れ、滝田さんと別れ、次に僕が向かったのは杉林さんのご実家。
ユリアちゃんのピアノを聞かせてもらうことになっていた。
菅谷先生と金田さんも一緒だが、こんな風に気軽に人を家に招いたり伺ったりは大学以来だと思う。
新年会、お花見、忘年会、と招いたり招かれたり、ネットというものが発達してからではないかな?
特にFacebook以後だと思う。
なんか声を掛け易くなっているのか、こういう交流が頻繁になっている気がする。
杉林家ではお母様が料理の腕を振るっていてくださり、菅谷、金田共々、歓待を受けた。外谷さんの次男、中(アタル)君もいて、このお宅は美男美女家系なのだと判った。
ユリアちゃんはドビッシーの『アラベスク』を披露してくれた。
難曲だと思うが今年6月頃、学校で習って好きになり、特に中盤の難しいところが気持ち良くて弾きこなそう、と決めたらしい。
乗馬、絵画、音楽…。173㎝のこの美少女は溢れる才能の落ち着きどころを一生懸命で探している。
居心地が良くてつい長居をさせていただき気づけば10時。
最終電車ギリギリに池袋到着。菅谷先生と別れ東上線で我が家駅まで。
丸1日、留守番をさせたのでやたらに甘えるblakeのご機嫌を取ってからベッドへ。
大晦日はblakeにご奉仕。
新しいベッドを買ってやり、『紅白歌合戦』ギリギリに帰宅。
お父さん、お母さん、お祖母ちゃんと『紅白歌合戦』なる番組を初めて見てるユリアちゃん。
その感想を聞きたいな、と思いつつ、年越しそばをそろそろ茹でようと思う2015年の大つごもりである。
写真は
①「虎姫一座」
②杉林さんご一家と菅谷先生
杉林家でお母様と中くんも加わって(僕は頂いた帽子を被り)
blakeと散歩納め







2015年 忘年会


今年の忘年会は古い友人の津布久さんと関さんの企画でした。
我が家で鍋を囲むというこぢんまりした忘年会で久しぶりに寛ぎました。
他に阿鬼羅くんと金田さん。
とりとめのないおしゃべりをしながら1時から8時まで。
明日のリハビリ、明後日のライブで僕の今年も終わります。
楽しく飛び回った1年でしたが、さて、来年は?
皆さん、どうぞ楽しい年末年始をお過ごしください♪