2016年3月19日土曜日

3/19(土)放送の『どこかでラジオが』

本日3/19(土)放送の『どこかでラジオが』(FM HOT 839 23:00-24:00)

「かぜ耕士の昭和史」は1981年~1982年(昭和56年~昭和57年)。
前回、話が予定のところまで行き着きませんでした。
今回は
『オールナイト・ニッポン』をやりながら劇団「コラボレーション塁」を結成。
4月に第1作『視球譚(ドッジボールものがたり)』を新宿モリエールで。
現在、同じ名前の劇場が新宿にあるがその前身は元の風月堂辺りで新宿駅東口徒歩3分くらいのところにあった。
作・大木寛 演出・稀代耿司。
製作担当の僕は今度も連日満員にしたのだが、
「これって全部かぜさんの客じゃない。僕らの客じゃないよ」
の意見で旗揚げ公演は解散公演となった。
無名のキャスト、無名の作演出の第1回公演。せいぜい名の知れているのはかぜ耕士しかいないのだから「かぜさんの客ばかり」になってしまうのは当然ではないだろうか?
そもそもアングラ劇に客なんか来ないとタカを括って、チケットも満足に売らなかった君らに責任はないの?
「超」のつく満員だったから公演は当然大黒字でスタッフ・キャスト全11人には一人15万づつのギャラが出たがこれにはなんの反論もなかった。

僕は文句を言う気もなかったので10月に友人マキハラジュンコのハードロックコンサート、11月に京王線明大前の「キッド・アイラックホール」でハロルド・ピンターの『ダム・ウェイター』(訳・松井美左、演出・進藤規昭)と恵千比絽のひとり芝居『弾かれブルース』(作・坂本善昭)の2本立て。
翌82年4月に下北沢の「スーパーマーケット」で恵千比絽のひとり芝居第2弾『めまい』(作・宮川弘子)をいずれも満員大盛況に導いたが『せせらぎの宿』で得た印税もここで尽き果てた。
満員にしても演者恵千比絽は妻なので支出も二人分だった。
妻が演出したいと言って始めた『ダム・ウェイター』の新訳と版権代、その他の支出分が最後まで響いた。
あまりの運の悪さにこの時期、新興宗教にもはまったのでその話も。
曲は
①おさみし谷の別れ唄(小室等)
②秋の日暮れに限っては(及川恒平)