イヤー、夕べの天気には参りました。
FMさがみ録音のために赤坂へ。スタジオ入りは午後6時。
乗り合わせたタクシーのドライバーによれば、彼の車は午後3時頃、あまりの集中豪雨で前方が見えなくなり、客を乗せたまま、何十分か立ち往生してしまったと…。
CD探しに少し時間がかかってて録音終了は7時40分。
スタジオを出たのが8時でした。
市ヶ谷駅までタクシーで出て東武東上線森林公園駅を目指したのですが、この時間、上手に目的地まで行けなそうなので、池袋駅で乗り換えて東上線に乗ろうと予定を変えました。
さて、東上線のホームに入るとなんだかダイヤが乱れている。
長蛇の列の、その隣の列に並んで8:28発に乗ることに決めたんですが、1本前の8:20発というのがなかなか来ないのですね。
電光掲示板によれば「川越駅で信号トラブル」。
やがて8:20発は30分遅れで発車して、僕はすぐにやって来た8:28分発に乗り込んだのです。
運良く座れて発車を待ちましたが、これが出ないのですね。どうやら落雷が激しくて発車できない由。
家に戻って明日また出直すことも考えたのですが、座れちゃったし、すぐに発車するかもしれないし、と心を決めかねている内、なんと60分遅れで動くことになりました。
ところが、「中板橋で一旦停車。その後すぐに発車するかどうかは判らない」という、これまで遭遇したことのない内容のアナウンス。
元々停車する予定のない駅で止まられても客は困るベサ、と思っていたら、止まるより前に、これが全然発車しないのですね。
またまた、待つことしばし、で30分。
「急行」から「各駅停車」に変更して運転されると…。
もう、何でもイイからとにかく動いてくれよ、と何もかも諦めてとにかくブレイク・ルイスを聞き続けておりました。
乗車してからほぼ90分遅れで発車しましたが、なるほど、大雨の中、稲妻が何度も走る。
電車は満員、どの駅でも乗客が列をなしていますから、夜の10:30だというのに時ならぬラッシュ状態。
そんなこんなで11:10に目的駅着。
夜は夜とて落雷があったか、というほどの大音響で稲妻が走り回り、さすがに僕は心臓を押さえた。
電車には座れたのだから疲れているはずもないのに、足がこむら返りを何度も起こそうとするので、真夜中、布団の上でこれを未然に食い止めようと低気圧相手の暗闘を続ける騒ぎとなりました。
もう「今年の天気はヘンだね」と言っててはいけない気がしますね。
「今年は」と言い始めてから既に3~4年。
「今年は」でなく、これが日本の気象の現実なのだと早く認識した方が良いと思う。
そうでないと対策が遅れ遅れになって、天候による被害はこれからも予期せぬ形で(あるいは予期した通り、かもしれないのだが)起こり続けるだろう。
日本は明らかに「亜熱帯地方」となったのだ、と認識を早く改めて根本から迅速に対策を立てないといけない。
河川工事を初め、ガード下の窪んだ部分などの安全対策を早急に進めないと「どこの国の話だよ」と思うような、都会での溺死事故がまた起きる。
8月29日、午前11:40。
今、実家地方はピーカンとなっています。
さっきまでは今にも降り出しそうな天気だったのに。
身体が全然ついて行けませんで、猛烈な眠気が襲っています。
大気が不安定なのを身体が先に感じてる。多分、明日までにまだひと波乱あるかも…。
皆さんもどうぞお気を付け下さいまし。
2008年8月13日水曜日
戦争は知らない
大関琴欧洲のオフィシャルブログ
『ちゃんこ鍋とヨーグルトって意外と合うんです』http://kotooshu.aspota.jp/
が大好きで毎日覗いている。
日本語の練習のために作った感じがするほど簡潔な写真主体の日記で、この類稀なる笑顔を持った被写体はほぼ毎日、モノを喰っている。
タイトルからして「喰ったモン日記」だ。
舌足らずな文章が可愛っくってしようがない。
「8月7日
おみあげ
なまきゃらめる まち
すごく ひと」
写真があるのでこれで十分。
「お土産の生キャラメルを買おうと凄い人数の客がいっぱい待っている」というのだ。
ほとんどの写真は自分が被写体として誰かに撮って貰っているのだが、これだけは自分で撮ったのかも知れない。
他の写真よりサイズも小さく、下手な感じがするんだけど、それすらむしろ愛嬌になっている。
彼が名古屋場所を9勝6敗の決して褒められない成績で終えた後の夏巡業中の日記だが、各地で優しい声援を受けたに違いない。
屈託なさ気で、場所中の重圧から逃れた開放感が見て取れる。
どこでも彼は笑っていて、子供たちにふれあった日は文章も弾んでいる。
「すもうと カレーも ありがと
おいしかた うれしかた☆
あついのに ありがと」
読んでる内に思わずニンマリしている僕がいる。
この青年が僕は大好きだ。
横綱獲り。焦ることはない。僕らは十分待たされた。でも、まだ待てるから。
最高位小結の黒海はグルジアの出身である。
彼の故国は目下、ロシアとの戦争に巻き込まれている。
彼は15年前の内戦で家や土地を失くし、母方の祖父母の元に逃げ込んだ。
それをきっかけにレスリングを始め、欧州ジュニア130キロ超級で優勝。
スポーツアカデミーに入ったが、琴欧洲同様、体重制限が120キロまでとなったことから相撲に転向。
2001年に来日して5月に初土俵を踏んだ。
2年で十両。その後4場所で幕内。琴欧洲より早い時期に史上初の欧州出身関取となり、幕内力士となった。
肉親の死の報に接しながらも黙々と土俵を務め、場所後、急いで墓参りに帰国したこともあった。
黒海 太(こっかい・ふとし) 昭和56年(1981) 3月10日生。27歳。敢闘賞2回。
技にはあまりクセがないが、苦労の多い人生がそうせるのかインタビューでは人柄の良さが覗く。
弟を呼び寄せて力士にした(司海)が再起不能の大怪我で、廃業した。
戦争の報を見るにつけ、彼の家族の安否や司海のその後が気に懸かる。
7月の名古屋場所は西前頭10枚目で 5勝10敗と大負け。来場所は幕尻まで下がることが予想されるが、戦争が彼の相撲人生にさらなる影を落とさないことを心から祈っている。
黒海とは部屋が違うが、入幕ふた場所、最高位前頭14枚目の栃ノ心 剛(とちのしん つよし)もグルジアの出身である。
どこか曲者顔なのですぐには華やかな人気者にはなれないだろうし、今はまだ幕尻の番付を守るのがやっとの成績しか残していないが、この力士は強くなる。
外国人力士の中では抜群に相撲が上手い。どこかで殻を破れれば一気に上位を目指せると思う。
彼らの国と交戦しているロシア出身の力士には露鵬と白露山の兄弟がいる。
彼らはグルジアと接するオセチア・アラニア共和国の出身なので二人もまた気が気ではないと思う。
この日本の中に祖国が交戦中の人気者がいるという事実。
日本もやっとそういう時代に入ったんだな、と思う。
外国人を受け入れるということは日本人の目をいやでも世界に向けさせる効果を持っている。
日本で一番感度が低い相撲界が、今、我知らず最も先鋭的なシグナルを発していることに何だか妙な感慨を覚えている。
『ちゃんこ鍋とヨーグルトって意外と合うんです』http://kotooshu.aspota.jp/
が大好きで毎日覗いている。
日本語の練習のために作った感じがするほど簡潔な写真主体の日記で、この類稀なる笑顔を持った被写体はほぼ毎日、モノを喰っている。
タイトルからして「喰ったモン日記」だ。
舌足らずな文章が可愛っくってしようがない。
「8月7日
おみあげ
なまきゃらめる まち
すごく ひと」
写真があるのでこれで十分。
「お土産の生キャラメルを買おうと凄い人数の客がいっぱい待っている」というのだ。
ほとんどの写真は自分が被写体として誰かに撮って貰っているのだが、これだけは自分で撮ったのかも知れない。
他の写真よりサイズも小さく、下手な感じがするんだけど、それすらむしろ愛嬌になっている。
彼が名古屋場所を9勝6敗の決して褒められない成績で終えた後の夏巡業中の日記だが、各地で優しい声援を受けたに違いない。
屈託なさ気で、場所中の重圧から逃れた開放感が見て取れる。
どこでも彼は笑っていて、子供たちにふれあった日は文章も弾んでいる。
「すもうと カレーも ありがと
おいしかた うれしかた☆
あついのに ありがと」
読んでる内に思わずニンマリしている僕がいる。
この青年が僕は大好きだ。
横綱獲り。焦ることはない。僕らは十分待たされた。でも、まだ待てるから。
最高位小結の黒海はグルジアの出身である。
彼の故国は目下、ロシアとの戦争に巻き込まれている。
彼は15年前の内戦で家や土地を失くし、母方の祖父母の元に逃げ込んだ。
それをきっかけにレスリングを始め、欧州ジュニア130キロ超級で優勝。
スポーツアカデミーに入ったが、琴欧洲同様、体重制限が120キロまでとなったことから相撲に転向。
2001年に来日して5月に初土俵を踏んだ。
2年で十両。その後4場所で幕内。琴欧洲より早い時期に史上初の欧州出身関取となり、幕内力士となった。
肉親の死の報に接しながらも黙々と土俵を務め、場所後、急いで墓参りに帰国したこともあった。
黒海 太(こっかい・ふとし) 昭和56年(1981) 3月10日生。27歳。敢闘賞2回。
技にはあまりクセがないが、苦労の多い人生がそうせるのかインタビューでは人柄の良さが覗く。
弟を呼び寄せて力士にした(司海)が再起不能の大怪我で、廃業した。
戦争の報を見るにつけ、彼の家族の安否や司海のその後が気に懸かる。
7月の名古屋場所は西前頭10枚目で 5勝10敗と大負け。来場所は幕尻まで下がることが予想されるが、戦争が彼の相撲人生にさらなる影を落とさないことを心から祈っている。
黒海とは部屋が違うが、入幕ふた場所、最高位前頭14枚目の栃ノ心 剛(とちのしん つよし)もグルジアの出身である。
どこか曲者顔なのですぐには華やかな人気者にはなれないだろうし、今はまだ幕尻の番付を守るのがやっとの成績しか残していないが、この力士は強くなる。
外国人力士の中では抜群に相撲が上手い。どこかで殻を破れれば一気に上位を目指せると思う。
彼らの国と交戦しているロシア出身の力士には露鵬と白露山の兄弟がいる。
彼らはグルジアと接するオセチア・アラニア共和国の出身なので二人もまた気が気ではないと思う。
この日本の中に祖国が交戦中の人気者がいるという事実。
日本もやっとそういう時代に入ったんだな、と思う。
外国人を受け入れるということは日本人の目をいやでも世界に向けさせる効果を持っている。
日本で一番感度が低い相撲界が、今、我知らず最も先鋭的なシグナルを発していることに何だか妙な感慨を覚えている。
2008年8月3日日曜日
流れ星
漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられた。
僕は72年頃には既に『少年サンデー』や『少年マガジン』を読んでいたのだが、一番好きなのは赤塚不二夫責任編集と銘打った『まんがNo.1』という月刊漫画誌だった。
付録にソノシートがついていて、三上寛『おまわりさん』『ホイ!』山下洋輔トリオ『ペニスゴリラアフリカに現る!』などの他、当時、赤塚さんの懐刀だった長谷邦夫さん作詞による中山千夏『DISCOVER WAR 自衛隊讃歌』カミソリQ子『女番長ロック』井上陽水『桜三月散歩道』の6枚が今も手元に残っている。
つまり、この雑誌は6号で消えた。
赤塚さんは当時、時代の寵児とも言える存在だったが、この月刊誌は何故か毎号250万円の赤字だったという。
陽水のレコードはLPに収録される前の物で一部歌詞が違うという今ではレアものと呼ばれる種類の物である。
カミソリQ子は、多分だが、青山ミチの変名である。
この責任編集本失敗の後に赤塚さんは一時期(おそらく3ヶ月くらい)「山田一郎」という筆名を名乗った。1974年のことだと思う。
これがどういうわけか「かぜ耕士は赤塚不二夫の弟」という噂になった。僕の苗字が「山田」ということからの連想だが『たむたむたいむ』がようやく評判になり始めた頃だ。
そしてどうした加減か僕はその時期に新宿の飲み屋で赤塚さんに偶然お会いした。
その話をしたら、「面白いから放っておけばイイじゃない」と赤塚さんは笑ってくれたのだけど、それからすぐに元の名に戻られたので僕の弟説もいつの間にか消えた。
赤塚さんにはそういう個人的な想い出がある。
ちなみに『天才バカボン』の「パパ」の本名は「バカボンのパパ」である。他に呼び名は見あたらない。
どうでも良いが…「これでイイのだ!」
親しい人が亡くなる。
28日に亡くなったのはテレビに仕事を移した頃、取り立ててくれた演出家の下村善二さん。
下村さんは『ウルトラマン』で知られる実相寺昭雄さんの映画『歌麿 夢と知りせば』などで助監督を務められた。ちなみにWikipedia などでは名前が間違っている。
僕が初めてお目にかかった頃はテレビの旅番組などの演出をされていたが、劇映画演出への情熱は冷めておらず、会ったその日に一冊の雑誌の切り抜きを僕に手渡された。
「脚色して欲しいんだけど」
高橋昌男さん原作の『音無川絵図』だった。
僕の第一稿を読んでの感想は「ポルノにはしたくないんだけどねぇ」だった。
僕もポルノにしたつもりはないのだが、濃厚なラブシーンが数カ所あって、それは原作の大事な要素の一つに思えた。僕はその原作のテイストが今でも大好きなのだが、ともあれ、以後、下村さんはその仕事に必ず僕をキャスティングして下さるようになった。
実は下村さんの実年齢を正確には知らない。
僕より多分、だいぶ先輩のこの方が重用してくれたので、僕にはかなり大手の製作会社のプロデューサーから声がかかるようになった。
本数を増やすもととなったのは以前何度か書いたヤラセのNさんなのだが、のちにレギュラーに結びつく仕事は下村さんの引き立てあってのことだった。
葬儀は斎場の外にまで列が出来て、その人脈が偲べたが僕が個人的に知っている人は5人くらいしかいなかった。
その中のお一人で、かつてかなり密に仕事をした人に挨拶したが、テレビの業界に出入りしなくなって久しかったからなのか、「あ、ドモ」と言われてそのままだった。
多分、僕が誰なのか思い出さなかったと思う。ただ、その時、ふと、テレビから遠ざかって正解だったのだ、と思った。
僕に気づいた人は「かぜさん、痩せちゃったねぇ」と僕の健康を気遣ってくれたが、人相も判別がつかないほど痩せているのだとしたら問題だな。まあ、貧相なジジイになりつつあるのは事実だが…。
そんなこんなで元気の素が足りず、しばらく落ち込んでいた。
ブログも「店主」もサボりがちだが、少し、頑張らないとね。
テレビは今週で『ER』シーズン7と『アメージングレース』シーズン6が終わるんだと思う。
『ER』は落ち着いた展開だが、もはや新味は出難い。レギュラー出演者たちの成り行きが気になるので惰性で見ているだけかも知れない。
今シーズンの『アメージングレース』もエミー賞を貰ったらしいが、今回が一番好きになれなかった。
怒鳴りまくる夫、耐え続ける妻。家庭内のSM関係が垣間見える上、それが共依存関係だとやがてハッキリ判ってくるので見ていて辛く、脱落した時はホッとした。
レースの失敗を相手のせいにし続けてキレまくる恋人たちは今週脱落。
脱落を告げられると同時に男はテレビカメラの前で結婚を申し込み、女はそれを受けたが、さっきまで罵りあっていた二人なので、見ている方はついて行きにくい。
なんか今回は出場者と視聴者との間に微妙なズレが起き続けたシーズンだった。
レースの仕掛けは回を重ねるごとに面白くなっているが、特色のある出場者を、と狙いすぎると今回のようにイヤなカップルばかり、ということになりかねない。
当たってしまってシリーズになった作品が上質なマンネリを続けて行くのはなかなか難しいことなのだなとつくづく思わせる。
『24』は目が離せない。今シーズンは面白すぎて見終えるとグッタリしてしまうほどだ。
『ゴースト 天国からのささやき』は『ミディアム 霊能者アリソン・デュボワ』の二番煎じみたいな趣向だが、光の世界に旅立てず、この世にとどまっている死者たちの切ない思いに毎回号泣してしまう。
こんなに泣かせてくれるシリーズ物も珍しいと思う。といってもまだ2回しか放送されていないので、作り手の方も力が入っている時期の作品かも知れないな。
『アグリーベティ』は漫画チックな展開だが、ゲストに『アメリカン・アイドル』シーズン5の準優勝キャサリン・マクフィーや『プロジェクト・ランウェイ』の進行役ティム・グンが出てきて、僕的にはなかなか止められない。
高校の女探偵『ヴェロニカ・マーズ』は今ひとつ乗り切れていない。
楽しみはサイファイ・チャンネルの『Kyle カイル XY』。現在はまだ超能力少年程度としか解き明かされていない彼の実像に興味津々。
ちょっと見逃せないお気に入り番組になっている。
皆さんも楽しい夏をお過ごし下さいね。
僕は72年頃には既に『少年サンデー』や『少年マガジン』を読んでいたのだが、一番好きなのは赤塚不二夫責任編集と銘打った『まんがNo.1』という月刊漫画誌だった。
付録にソノシートがついていて、三上寛『おまわりさん』『ホイ!』山下洋輔トリオ『ペニスゴリラアフリカに現る!』などの他、当時、赤塚さんの懐刀だった長谷邦夫さん作詞による中山千夏『DISCOVER WAR 自衛隊讃歌』カミソリQ子『女番長ロック』井上陽水『桜三月散歩道』の6枚が今も手元に残っている。
つまり、この雑誌は6号で消えた。
赤塚さんは当時、時代の寵児とも言える存在だったが、この月刊誌は何故か毎号250万円の赤字だったという。
陽水のレコードはLPに収録される前の物で一部歌詞が違うという今ではレアものと呼ばれる種類の物である。
カミソリQ子は、多分だが、青山ミチの変名である。
この責任編集本失敗の後に赤塚さんは一時期(おそらく3ヶ月くらい)「山田一郎」という筆名を名乗った。1974年のことだと思う。
これがどういうわけか「かぜ耕士は赤塚不二夫の弟」という噂になった。僕の苗字が「山田」ということからの連想だが『たむたむたいむ』がようやく評判になり始めた頃だ。
そしてどうした加減か僕はその時期に新宿の飲み屋で赤塚さんに偶然お会いした。
その話をしたら、「面白いから放っておけばイイじゃない」と赤塚さんは笑ってくれたのだけど、それからすぐに元の名に戻られたので僕の弟説もいつの間にか消えた。
赤塚さんにはそういう個人的な想い出がある。
ちなみに『天才バカボン』の「パパ」の本名は「バカボンのパパ」である。他に呼び名は見あたらない。
どうでも良いが…「これでイイのだ!」
親しい人が亡くなる。
28日に亡くなったのはテレビに仕事を移した頃、取り立ててくれた演出家の下村善二さん。
下村さんは『ウルトラマン』で知られる実相寺昭雄さんの映画『歌麿 夢と知りせば』などで助監督を務められた。ちなみにWikipedia などでは名前が間違っている。
僕が初めてお目にかかった頃はテレビの旅番組などの演出をされていたが、劇映画演出への情熱は冷めておらず、会ったその日に一冊の雑誌の切り抜きを僕に手渡された。
「脚色して欲しいんだけど」
高橋昌男さん原作の『音無川絵図』だった。
僕の第一稿を読んでの感想は「ポルノにはしたくないんだけどねぇ」だった。
僕もポルノにしたつもりはないのだが、濃厚なラブシーンが数カ所あって、それは原作の大事な要素の一つに思えた。僕はその原作のテイストが今でも大好きなのだが、ともあれ、以後、下村さんはその仕事に必ず僕をキャスティングして下さるようになった。
実は下村さんの実年齢を正確には知らない。
僕より多分、だいぶ先輩のこの方が重用してくれたので、僕にはかなり大手の製作会社のプロデューサーから声がかかるようになった。
本数を増やすもととなったのは以前何度か書いたヤラセのNさんなのだが、のちにレギュラーに結びつく仕事は下村さんの引き立てあってのことだった。
葬儀は斎場の外にまで列が出来て、その人脈が偲べたが僕が個人的に知っている人は5人くらいしかいなかった。
その中のお一人で、かつてかなり密に仕事をした人に挨拶したが、テレビの業界に出入りしなくなって久しかったからなのか、「あ、ドモ」と言われてそのままだった。
多分、僕が誰なのか思い出さなかったと思う。ただ、その時、ふと、テレビから遠ざかって正解だったのだ、と思った。
僕に気づいた人は「かぜさん、痩せちゃったねぇ」と僕の健康を気遣ってくれたが、人相も判別がつかないほど痩せているのだとしたら問題だな。まあ、貧相なジジイになりつつあるのは事実だが…。
そんなこんなで元気の素が足りず、しばらく落ち込んでいた。
ブログも「店主」もサボりがちだが、少し、頑張らないとね。
テレビは今週で『ER』シーズン7と『アメージングレース』シーズン6が終わるんだと思う。
『ER』は落ち着いた展開だが、もはや新味は出難い。レギュラー出演者たちの成り行きが気になるので惰性で見ているだけかも知れない。
今シーズンの『アメージングレース』もエミー賞を貰ったらしいが、今回が一番好きになれなかった。
怒鳴りまくる夫、耐え続ける妻。家庭内のSM関係が垣間見える上、それが共依存関係だとやがてハッキリ判ってくるので見ていて辛く、脱落した時はホッとした。
レースの失敗を相手のせいにし続けてキレまくる恋人たちは今週脱落。
脱落を告げられると同時に男はテレビカメラの前で結婚を申し込み、女はそれを受けたが、さっきまで罵りあっていた二人なので、見ている方はついて行きにくい。
なんか今回は出場者と視聴者との間に微妙なズレが起き続けたシーズンだった。
レースの仕掛けは回を重ねるごとに面白くなっているが、特色のある出場者を、と狙いすぎると今回のようにイヤなカップルばかり、ということになりかねない。
当たってしまってシリーズになった作品が上質なマンネリを続けて行くのはなかなか難しいことなのだなとつくづく思わせる。
『24』は目が離せない。今シーズンは面白すぎて見終えるとグッタリしてしまうほどだ。
『ゴースト 天国からのささやき』は『ミディアム 霊能者アリソン・デュボワ』の二番煎じみたいな趣向だが、光の世界に旅立てず、この世にとどまっている死者たちの切ない思いに毎回号泣してしまう。
こんなに泣かせてくれるシリーズ物も珍しいと思う。といってもまだ2回しか放送されていないので、作り手の方も力が入っている時期の作品かも知れないな。
『アグリーベティ』は漫画チックな展開だが、ゲストに『アメリカン・アイドル』シーズン5の準優勝キャサリン・マクフィーや『プロジェクト・ランウェイ』の進行役ティム・グンが出てきて、僕的にはなかなか止められない。
高校の女探偵『ヴェロニカ・マーズ』は今ひとつ乗り切れていない。
楽しみはサイファイ・チャンネルの『Kyle カイル XY』。現在はまだ超能力少年程度としか解き明かされていない彼の実像に興味津々。
ちょっと見逃せないお気に入り番組になっている。
皆さんも楽しい夏をお過ごし下さいね。
登録:
投稿 (Atom)