2012年4月21日土曜日
痛くないBlake
日曜日、叔母の49日法要の夜から起き上がれなくなった。
心労と鬱のWアタックに負けたらしい。
そこに古い知り合いから強引な借金の申し込み。
僕の健康状態など知り抜いているくせに頼んでも電話を切らない。泣き真似までするので僕は気が狂いそうになった。
本当に狂いそうだったので貸した。鬱が深まった。
こう書くと必ず誰かからメールが届く。
「かぜさんのは鬱なんかじゃない。貴方は鬱の真実を知らない。鬱はもっと苦しい」
鬱の真贋など論じて僕のこの苛立ちは消えるとでも言うのか?
こんな歳になると俺たちは日常的に鬱状態にいる。「老人性鬱」。
この「鬱」は歳を取ればみんなに解る症状だと思う。本当の「鬱」だろうが「アンタのはウソ」だろうが、なってみれば結構厄介だと解るはずだ。
まあ、僕は元気を装う術には長けているので人には解られにくいけどね。
必死で気分を上向かせなければならなかった。
19日から僕にとっての新学期が始まったからだ。
今年はゴールデンウィークまで2回しか授業がない。黄金週間に課題をやっておいて貰わないと授業日程に支障が出る。
そのためにはなるべく早く受講生の数を確定して本格的なスタートを切りたい。
1回目はそんな具合で生徒に向けて自分のプレゼンテーションをしなければならなかった。
元気でヘンなじいさんの存在は伝わったと思う。
僕の授業を受ける学生には結構優秀な者が多い。
提出課題の多い通年授業なのに取得出来る単位は2単位。
根気と頑張りが必要な1年間なので出席し続ける生徒には元々それなりの資質がある。
脱落者がそんなに多くないのでそれと知れる。
最初から書ける子もいれば学年途中から急に上手くなる子もいる。
タイプは様々だが、最初に褒めた生徒がここ数年、卒論や卒業制作で学部長賞や優秀賞に選ばれているのを確認している。
勿論、学生自身は卒業してしまっているので僕がそんなところまで目を通していることは知らない。
おそらくはこれから仕事の現場で顔を合わせるようなこともないだろう。
なので「おめでとう」を言ってやる機会もないのだが、袖触り合うも多生の縁、授業の時から気づいていた僕の勘が『アメリカン・アイドル』や『アメリカン・ダンスアイドル』の順位予想のごとくピタリと当たるのはなかなか嬉しいものだ。
今年もその勘は当たった。
そして珍しくその生徒はそれを僕に報告しに来てくれた。
彼が来られたのは就職していないためだ。勿論、目指す仕事が就職という形にならないものだからだが、これまでこんな経験がなかったのは、成績優秀者はみんな早い時期に就職が決まっちゃってたからだね。
普通は平日の昼間にブラブラなんかしてない。
彼と一緒に待っていたのはこれも昨年度の生徒でこれから2年間、毎週、授業終わりに原稿を持ってくる。それを僕が添削してやることになっている。
弟子入りを志願されたので断ったらそういう別の約束が出来てしまった。
考えてみると大変なことを引き受けちゃった訳だが格別後悔している訳でもない。
先の短いジジババと話しているより将来に向けて力を蓄えようとしている若い人を見ている方が多分うんと楽しいしね。多分、僕はこういうことに向いている。
他にも就職出来るまで企業に提出する作文を添削して下さい、というチャッカリ君もいる。
その生徒は昨年、僕の授業を無欠席で通したとても真面目な子なので、そういう生真面目君は多分自分のチャッカリ度に気づいていないと思う。
先生としてはそれに気づかせる必要もあるのだろうが別にその時間がない訳でもないので構やしない。多分、僕はまとわりつくものを甘やかすのが好きなのだ。人でも物でも状況でも…。
我が家のまとわり君Blakeは今日、狂犬病の注射だった。
朝は僕の膝の注射についてきて、クリニック近くの畑で昼まで遊んでた。
僕の膝にはコレまでで最高量の水が溜まっていた。墓地の階段の上り下りが原因だ。日頃墓参もせぬ僕にはやはり罰が当たったらしい。
「痛くなかったですか?」と聞かれたが気づいていなかった。ただ、水が溜まっていることは予測していた。
いつもより動きすぎていたし、手摺りのない石段を降りるには膝に負担をかける降り方しか出来なかったからだ。
予想通りのことが連日続くってことは多分、僕には通常の勘が戻ってきているってことだ。
ホラね。こんな風に僕は明るさを装うのが上手だ。自分をも騙せる。
ひと休みしてから午後は近くのふれあいセンターで行われている注射会場に連れて行った。
Blakeは知らない仲間の匂いに興奮して会場の地面を嗅ぎ回る。
彼以外の大半の犬は見知らぬ場所に連れてこられた恐怖で鳴き叫んだり後ずさりして飼い主を困らせているのに、だ。
しかもBlakeは匂いを嗅ぐのに必死でお医者さんがそのむき出しのお尻に「ちょっと痛いよォ」と言いながら注射してくれたのにも全く気づかないままだった。ホントにヘンな奴だ。
帰り道にご近所の奥さん二人に「痛がったでしょ?」と訊かれたが「本人気づいていないようで」としか答えようがなかった。
そんなことをうだうだと書いてたらもう寝る時間だ。明日は病院を二つ掛け持ちしないといけないんだ。おやすみなさい。
注射が痛かった僕と痛くないBlake。
今日は僕のダークサイド丸出しの日記になりました。すみません。
2012年4月16日月曜日
叔母 49日の桜
長い年月、僕のトラウマとなっていた向島体験。
その中心人物であった叔母が逝って47日目の今日、隣町にある「福正寺」で49日法要が営まれ、続いて我が家の墓への納骨が行われた。
「福正寺」を訪れたのはわずかに2度目。
前回は叔母の通夜で東京に出る時、住職をピックアップするために寄っただけ。中に入ったのは今日が初めてだ。
本当はここが我が家の檀那寺ではない。
我が家はごく近所に平安時代からある「平沢寺」の檀家で昔は住職が常駐していた。
僕の本名はその坊主がつけた。病気や怪我に会いやすいというありがたい名前をつけてくれた上、すぐ裏の同級生にも僕と同じ名をつけた。
そいつとは子供の頃から無理矢理ライバル関係を強いられて厄介な思いをした。
坊主は酒と女で身を持ち崩して、寺を去ったという。
僕の小学生頃は管理人こそいたが常駐の坊主はおらず、法要の度、どこからかご住職がやって来たが、それがこの「福正寺」のご住職だったらしい。
実家の冠婚葬祭関係からは逃げ回っていたのでご住職とはこの数年、顔を合わせるようになっただけでほとんど会話らしい会話もしたことはない。
法要に揃った顔ぶれは山田関係では僕の母、二人の妹と、姪。父の弟と妹、その夫。そして僕。
叔母関係は叔母の兄、その娘、叔母の店を最後まで切り盛りした従業員、の三人。
全員との顔見知りはこの種のことにそっぽを向いてきた僕だけ、という変な集まりだった。
我が家の墓は宝暦十年からの墓誌が残っているヘンな墓だ。
僕もやがてこの墓へ入ると思うとなんかソレもヘンだ。
墓の施主は僕の名になっていて、父が亡くなった85年に母が勝手にそんなことをした。
施主である僕は、子供の頃はいざ知らず父が亡くなって以後、この墓の人たちに手を合わせたことがない。バチ当たりと呼んで下さい。
仏壇に手を合わせることも中学で家を出た日以後はしていない。
それなのに僕は納骨の済んだ叔母の墓の前で久しぶりに手を合わせ呟いた。
「叔母さん、本当にコレでお別れだよ。さようなら」
僕のトラウマはこれから徐々に消えて行く。そう思いたい。
今日は本当に妙な1日でした。よくあることなのにね、
とても疲れ切って気づいたら仕事部屋で3時間くらい居眠りしていました。
写真は福正寺の桜。
桜も今年はコレで見納めでしょう。
2012年4月10日火曜日
2012年4月9日月曜日
西崎 みどりちゃん誕生日の桜
2012年4月9日。
桜はほぼ満開か。
今日は西崎みどりちゃんの誕生日だね。(1960年4月9日生)
みどりちゃんとは事務所が一緒だった時期がある。
『セイ!ヤング』をやっていた期間だ。
その縁で2曲ほどみどりちゃんのレコードを書いた。
その歌を今、彼女を知らない若い人に聞かせると一様に「上手いねぇ」と驚く。
天才少女歌手だったけど、僕は歌い方が丁寧なのでいつも感心していた。
『おもいで湖畔』。今になって名曲だったんだねぇ、と言われてるんだけど、レコードはその時売れてくれないとねぇ。
さて、本日、我が家地帯は 日本テレビ 21℃
フジテレビ 24℃
ちょっと差がありすぎだけど確かに暖かい。
ただ、昨日までが昨日までなので急な変化について行けない身体はこの暖かさを少しも喜んでいない。
Blakeはすでに朝、逃走。
疲れたのか昼過ぎまで静かに日陰で過ごした。
これから軽く大掃除。片付くかな?
2012年4月8日日曜日
2012年4月6日金曜日
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