松村君を見舞って4日が経った。
松村君は社会的な地位のある人なので「君」は失礼かとも思うのだけど、彼が高校生の頃からの知り合いなので「さん」付けの方が妙な気もする。「さん」と呼んだ途端に生まれる距離がここでは似合わなそうなので彼の地位には斟酌しないで「君」と呼ぶのを許していただく。
彼の緊急事態はまず松村君のブログを読んだ阿鬼羅君からのメールで知った。
その後の事態の進展については手術前の彼のブログとそれを知ってすぐに見舞ったさとなおさんからのメールとで把握することになった。
二人の言葉から解ったことは松村君が二者択一を迫られているという冷厳たる事実だった。
「ことば」か「いのち」か。
お医者さんであり、同時に表現者でもある松村君は、何を優先すべきか、を即座に考えた。
どちらを優先した時、一方では何が失われるのか。
彼は四手、五手先までをも冷静に読み切ったのだと思う。
決断は重いものだったが、彼の望んだ手術は完璧に行われたようだ。
症状に気づいてから緊急手術までのわずかな日時の中で、患者にしかなれない僕に簡単にできる選択かどうかは解らない。
だから第一声「ビール飲みたい」の報にどう接すべきかしばらくは解らなかった。
これは松村君の顔を見るしかあるまい。
「松村クン」「だれ~?」「かぜ耕士だよ」「エーッ、かぜさん?」
六人部屋の奥のベッドで声がして、ザリッとカーテンが開くと松村君は見慣れた笑顔で握手してきた。
握ったその手の力が手術からわずか四日の病人のものとは思えなかった。
30分くらい話せたろうか。
人間の一生って結構バランスが取れているのかも知れませんね。
特に幸福のバランス。
僕、今までとても恵まれていましたモン。幸せでしたモン。
こういうことになって、不思議なことだけど、僕はいかに幸せ者だったかを再認識しましたよ。
多分、人生のプラス・マイナスは程良いバランスになるように決まってるんじゃないですかねぇ。
そうそう、僕らの『CALIFORNIA DREAMING』って曲、初めて一緒に作り上げた曲なんですよ。それまでは僕が詩を書いて丈二に曲つけて貰う形でした。
出来上がった時、嬉しかったなぁ。
僕は向島体験と『たむたむたいむ』を秤に掛けることがいまだに出来ずにいるんだけどアレがあってのコレなのか、と思わぬでもない。
死期を視野に入れての人生設計を考えることもある年齢だが、それが年数でなく、月数や日数の単位ではまだものが見えてこない。
その覚悟が僕にはまだ出来ない、と言い換えるべきかも知れない。
松村君は医者らしい彼本来の澄んだ頭でそこまでを見据えて手術に臨んだのだと改めて感じ入った。
とても切ない方程式から導き出された、人間の尊厳に関わる厳粛な答えだ。
ソレがフィクションではなく、間近にいる親しい人の現実なのだとは…。
皆さんに伝えて下さい。僕は元気です。
時期はやがて来るんだけど、確実に来るんだけど、少しでもそれを遅らせて貰うようにこれから治療に入ります。
祈ってくれた皆さんに本当に感謝しています。
そしてエレベータまで送ってくれて別れ際にこう言った。
かぜさんのOFF会でもし体調が良かったら飛び入りでもイイからも一回歌いたいな。
帰宅後、hecoちゃんにOFF会の日程を急いでくれるようお願いし、彼女から丈二君経由で確かめて貰ったが松村君出演の可能性は現状NGの答えが返ってきた。
すでに松村君のブログも更新が不定期になる由、娘さんが書き込まれていた。
おそらくは辛い透析治療が始まったのだろう。
訪問して良かったと思う。松村君と同じ手術を受けた50年来の友人がいるので甘っちょろい期待はハナからしていなかった。でも会わずにいれば、僕はどこかで奇蹟が起きてくれるよう祈ることで僕を包み込むつらさから逃げようとしたに違いない。
甘やかな期待を捨てて現実を直視することで勁さを手にした松村君に学んだ上で、僕はやっぱり奇蹟を祈る。そして思う。生きてる内はこの生を精一杯生き抜くのだ。そうしないとバチが当たっちまう。
エレベータが閉まる間際に僕は言ったよネ。
また会いたいね。
そうだよ、松村君。僕は二度でも三度でもハックルベリーフィンの『流れ星』を、『携帯電話のなかった時代』を、『CALIFORNIA DREAMING』を聴きたいよ、生で。
だから、本当にまた会おうね。