もうすぐ古稀ですね、何かお祝いしましょうよ。
幸せなことに何人もの方たちからお声掛け戴いていた。
その度に「ンー、古稀は、ちょっと、ンー」などと言って「あとで電話させてもらう」と逃げ、そのままにしている内、アッと言う間に誕生月が間近に迫り始めた。
渋っていたにはいくつか理由がある。
①節目の祝いをすると良いこと起こらない人が多いんで、オラしねえ、という全くデータ不明の母の言葉の重さ。そのお陰か彼女は現在91歳。ボケてもいない。
②僕らが古稀の祝いをさせていただいたあとからあんなにお元気だった永六輔さんは不調を起こした。
③高校一年から55年もの友人を今年亡くした。さらに間もなく僕の番組と関わりが深かったバンド「ハックルベリー・フィン」の松村くんが亡くなった。
そして1972年の沖縄の日本復帰に先駆けて71年に僕を沖縄に送り込み、LP3枚組の大作になってしまった識者インタビューと音楽で綴る『沖縄を語るとき~いつか正しい経験をするために』を作らせてくれた超高名プロデューサーK氏の伏せられた死。
これはどう考えても僕にとっては「喪中」ではないのか?
そんなゲン担ぎと迷いなどがあって、実は通常の誕生日のようにスルッと通りすぎたかった。
ところが、その話のあとから時々意識が遠のく事態が起き始めた。
オンや? これは会いたいみんなに会っておかないと、機会はもうねえぞ、ってサインか?
覚悟を決めた。
「みんなにお会いしとこ」
その合間に病院に検査入院。2度にわたる3ヶ所の手術を決めた。
アア、俺って長生きしたい人間だったのかあ。
不思議な気がした。だったらあの不摂生と不始末だらけの人生の後片付けしろよ! そのためになら命を少し伸ばしてやる。
どなたかが何処かでそう言ってくれたような気がした。
どなたかは判らない。多分、僕の中にだけいらっしゃる「御都合神」だろうと思う。
7月13日はすぐにやって来た。関口宏さんにも、長谷川きよしさんにも、中山千夏ちゃんにも、石川秀美さんにも、遠藤章造さんにも、道重さゆみちゃんにも、記憶違いでなければ中森明菜さんにも、ハリソン・フォードさんにも来たはずの7月13日。
今日は久米宏さんにも古稀がやって来ているはずだ。
まあ、来るべくしてくる日なので何がどうした、というわけでは無いのだけど、僕だけは親しい方たちに
"Happy Super 70!"
なる催しを開いていただいた。
まあ、インターネットと『ヤング101復活コンサート』が重ならないと昨日はなかったような気がします。
ネット黎明期にさとなおさんが僕の消息を探してくれ、僕は友達の会社のPCから返事を書き、以後はFAXでお願いします、という今では笑っちゃう始まりだった。
佐藤さんが『たむたむたいむ』web versionの起ち上げの用意をしてくれ、間もなく『ヤング101復活コンサート』の話が持ち上がる。
そこにネットが深く関与したのは当然のことだった。
web版『たむたむたいむ』の最初のoff会には多くの方がやって来てくれたがしぼむのも早かった。
『セイ!ヤング』からのリスナーの大半が姿を消し、『たむたむ』からのリスナーが残った。
Off会が10人足らずで行われたりしたことも。
hecoちゃん、アプリさん、クーコさん、まりもさん、ちはるさん、むつらぼしさん、のほほん君、思えば3.11まではITSUMIさんも常連だったのにね。
やがて、友達で脚本家の高田純が茶室作りのお手伝い募集を僕のサイトでやったことから新しい遊びの形も加わって新大久保までスンドゥブ喰いに行ったり、カラオケしに行ったり、高田くんは晩年、僕らと遊ぶことで、創作のストレスを相当発散出来たんじゃないかなあ。
イベントの時以外、反応しない松前くん、
らんまるくんもまだ、病気しらずで元気だった…。
そして、ハックルベリー・フィン
の再結成とoff会ゲストにコラアゲンはいごうまん君の登場。
僕らはハックルとコラアゲン君のライブに良く付き合いました。
たむたむさん、みんちゃん、花豆さん、りみっとさん、さんがつさん、くすくすさん、あくびさん、静岡からむらさきさん、愛知から田中さん、北九州からアイナプーさん、北海道からWILLさん…。
遠距離からの参加やレギュラーメンバーが揃い始めたのも2006~7年の頃でした。
40年来の聞き手阿鬼羅君に35年ぶり位で会ったのがハックルの大江戸コンサート・ゲストの時だったね。
みんなでお好み焼きを食べに行った暑っい夏の日盛り。
一番星君、むつらぼしさん、りみっとさん、mmさん。もう、このころはいつも一緒だったような気がする。記憶だけだが…。
無糖歯痛君、あなぐまさんにも時々会ったね。
昨日はそこに『涙をこえて』のオリジナル・シンガー、シング・アウトのドラマー、ドンちゃんの同級生で彼の紹介で、勝手に弟子1号となっていた尾関くん、AD時代から人柄を信頼していた四倉君、レコード・デビューに際してジャケ写を撮って貰って以来の長い付き合いになっている栗原さんも来てくれた。
幹事は最も古い僕の聞き手でその美しい字のためか投書は全部放送で読んでいたtsubuさん、ハックルベリー・フィンのコンサートの常連ゲストSSUのギタリストで昨年末からこれまた突然弟子2号となった工学博士Sugayaさん、そして、仕切りはこの人にしてもらうと遺漏の無い石の花アーチストのhecoちゃんらがつとめてくれた。
ここにFBを始めたからこその友達、高岡さんと清水さんも加わってくれて、清水さんは友人Epoちゃんがセンチメンタル・シティ・ロマンスの督夫さんとともに僕向けに歌ってくれた『バースディ・ソング』を持ってきてくれた。
WILLさんはルーペ付き「誕生日新聞」を、アイナプーさんには会場近くに住んでらっしゃる娘さんやお孫さんから直接お花を届けていただいた。
仙台のmamiさんからは会場の皆さんに仙台名物「萩の月」を、山口の片岡さんからも…。
仕事前に寄ってくれたkuro-san、
闘病中にも関わらずやって来てくれた千春さん、同行してきてくれた娘の恵美里ちゃんはすでにプロのアニメーター。イベントごとにイラストを下さる。
フランスの街角でこれ描いて見せたら飛ぶように売れそう♪
そう、色んな方に、熊のプーさんのぬいぐるみ、とか、半袖シャツ、とか、UNIQLOの「ステテコ」、都電サブレ、赤と黒がイカしたタオルなどなどプレゼントを沢山戴きました。
書き落としがあったら御免ね。
中でも嬉しかったのは写真集『Blake』。
帰りつくまで魅入り、眠るまでニコニコし続けました。
そして、もうひとつ、書いたご本人は昨日が僕の誕生日だったことなど知らなかったはず。
日大芸術学部放送学科の金先生が元生徒の一文を載せてくれています。
金達郎先生のプロフィール・ページで昨日の記事を読んでいただけると幸いです。
皆さんのおかげで楽しい一日を過ごさせていただきました。
嬉しい一日でした。
もうちょっと長生きしたいなあ、と考え始めた一日でした。
参加してくださった皆さん、メッセージをくださった皆さん、写真集『Blake』の写真を提供してくれた友人K、編集をしてくれた赤穂くんにも重ね重ね礼を言います。
誕生日をお祝いくださり本当にありがとう。
長生きして、ご恩はいつか…。
残念、これは約束ができませんがまたの機会があることを祈りつつこの1年を大切に生きようと思います♪