2016年2月20日土曜日

2/20(土) 本日の『どこかでラジオが』



(FMさがみ 23:00-0:00)
「かぜ耕士の昭和史」は1980(昭和55)年。
文化放送『セイ!ヤング』は終わりました。
『学校ってなんだ!?』(祥伝社)の印税が事務所でストップになったままのボクに単行本の話が持ち込まれました。
「飛騨高山の盲目の演歌師」の人物伝を書かないか?
すでにインタビューは終えているらしく、聞き書き原稿が届いたのですが、何故か興味が持てませんでした。
断りますと、代わりに彼の新曲を依頼されました。
すでに一曲は彼が自費製作していた『奥飛騨慕情』と決まっていました。
当時は『おやじの海』(村木賢吉)に代表される高音を生かした演歌のヒットが多く、当然、マイクを握ったら放さないのは高音自慢の人ばかりでした。
低音自慢はこのカラオケブームに苛立ってはいないか?
低音を効かせた歌い手はいないか?
低音を生かしたヒット曲を作ろう!
さすが五木ひろし、森昌子を育て、千昌夫の『北国の春』をロングヒットに導いたプロデューサーです。我が事務所の社長和田宏はそこに着眼したのです。
ちなみに山口洋子さんの直木賞受賞作『演歌の虫』の悪徳ディレクターは誰が読んでも和田さんを想像させてしまうが、僕の知る彼は小説に描かれたような人物ではなかった。
中間小説と呼ばれる娯楽色の強い作品のほとんどは身の回りからネタを拾っているもので、僕もある人の作品にはよく登場する。名前や癖、首のホクロに毛が生えていて主人公に幻滅されたりしている。
ショウウインドウで自分の姿に見惚れてたりもしていたらしいが、僕は二人の姿が街の中で浮いていないかどうかを見てたんだがね。
そんな細々したことばかり気にされてたら結婚して屁も出来んワ。
色々あったけどこの事務所にいた時期が今では一番楽しい想い出として残ってる。
ただ、運は急速に下降していた。
1980年4月18日の朝、僕は「盲目の流し」竜鉄也の新曲『せせらぎの宿』の詞を書き上げ、朝風呂に入ってしまった。
陽気も良い日だったのに徹夜明けの風呂はいけなかったようです。
着替えを済ませて、いざ原稿を届けに、と立ち上がった瞬間、僕はバランスを崩してリビングで倒れました。
妻を呼ぼうとしましたが声が出ません。唇が開かずよだれがこぼれ、左半身が動かなくなっていました。
Faxの普及はまだでした。
2ヶ月後の6月25日、竜鉄也のデビュー・シングルは歌い慣れた『奥飛騨慕情』をA面として発売されました。僕と作曲家沖田宗丸の書いた『せせらぎの宿』は覚えきれなかったという理由で少し符が変わり、B面に入っていました。
しかし、『奥飛騨慕情』はなかなか売れませんでした。
流しの演歌師、新人で盲目、時流から外れた低音演歌…。
売れずに3ヶ月。あとひと月待って売れなかったらAB面を入れ替えよう。
幸いB面も評判が良くカラオケも出回っている。
………。
が『奥飛騨慕情』は見切られる間際になって突然、火がつき始めました。
すでに20万枚が売れていたのですが、オリコンでは『売れるはずのない曲が売れてる。関係事務所の買い占めだろう』という判断を下していたそうです。ですが、20万枚は一つの事務所で買い占められる枚数ではない、と気づきます。
チャート誌『オリコン』に登場すると、あれよあれよという間にヒット街道を爆走。簡単に100万枚を超えてしまいました。
さて、脳梗塞で倒れた僕はそれから40日の入院となります。
一時帰宅した僕が玄関のドアを開けるのを待っていたかのように電話が鳴ります。
「8月8日から『オールナイトニッポン』やる? 2部だけど」
僕は完治していなかったのですが、単なる末梢血行障害と診断した病院が信用できず、退院し、自分流のリハビリを始めます。
だって、収入が全くなくて、入院費も借金して支払っていたんだもの。
とにかく金が欲しかった。
自己流のリハビリは催眠術の道場に通うことでした。
まだ、口が充分に開きませんでしたから、僕は自己暗示をかける勉強に出かけたのです。
『僕は喋れる。上手く喋れる』
しかし、番組は運悪く7/2からスタートと早まります。自信にはほど遠いおそるおそるのスタートでした。
曲は
①『007私を愛したスパイ』主題歌(カーリー・サイモン)
②『季節の中で』(松山千春)
FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただくとありがたいです。
写真は
菅谷先生が見つけてきてくれた「GO!GO!カレー」のレトルト。
カツカレーにしてみましたが、なるほど、濃さや辛さはそのまんま。でも、カツがもっと薄目のカリカリ感がないと店と同じ美味しさは再現出来んね。
カツが上等すぎちゃったワ。

2016年2月12日金曜日

2/11(木) NHKBS『新 日本のうた』公開録画

NHKBS『新 日本のうた』公開録画
(於:ウェスタ川越大ホール)
リハビリを早退してNHKの公開録画を見に行った。
ヤング101が13年ぶりに再結集するという。しかも収録場所が川越だという。
リハビリ所からわずか20分だ。
こんな時でないと会えない顔も何人かいるので、藤島新さんのお手を煩わせて入場引換券を送っていただいた。
葉書は今日、運良くリハビリに出る直前に我が家に届いた。
新さんは届かなかった場合のことまで気にしてくれてたようなのでリハーサル前にとんだご心配かけて申し訳ないことをしました。
新さん、ホントにありがとネ。
邪魔を承知で楽屋までうかがうとシングアウトのドンちゃん、構成の頌一君もいて頌一君とは10年ぶり位の再会となった。
「頌一君」なんて言ってるけど井上頌一さんは業界でも僕の一年先輩で『ステージ101』を皮切りに『紅白歌合戦』を40年近く書いていた。「今も」かどうかは聞き洩らしたが「最近」まで書いてた、と思う。
今やNHKのことなら番組のことも内部事情も職員の誰より頌一君の方が詳しいと思う。多分、だが……。
本日の出演歌手は石川さゆり、石原詢子、千昌夫、角川博、冠二郎、北川大介、西方裕之、中村美律子、すぎもとまさと、キム・ヨンジャら演歌陣とヤング101という不思議な取り合わせ。ヤングは牧ミユキ、小原初美、チャープス三姉妹、泉朱子、諏訪マリー、山田美也子、広美和子、黒澤裕一、塩見大治郎、石岡ひろし、田中星児、牧憲之、山崎イサオ、藤島新、の諸氏諸嬢。女性9人、男性7人の総勢16人。
番組主題歌の『ヤッポン』で登場し、『人生素晴らしきドラマ』と『涙をこえて』をメドレーで。相変わらず衰えぬ声は見事だった。
星児君は持ち歌の『ビューティフル・サンデー』でも登場、と大活躍。音程の確かさと変わらぬ上手さで「歌のお兄さん」健在を印象づけた。
今日の公録は出来たばかりの「ウェスタ川越」のお披露目的要素が濃そうな催しで、義弟が教頭をつとめる高校のバトン部が出演。星児君の『ビューティフル・サンデー』に彩りを添えていた。
さゆりちゃんが大トリの『女人荒野』で珍しい出トチリを3度。
難曲なのか音合わせし直すハプニングに客はむしろ大喜び。
滅多に見られぬ光景に暖かい拍手さえ湧いて、収録は妙に優しい空気が流れて終了した。
放送はNHKBSプレミアムで
3/6(日)午後7:30-9:00の90分。
再放送も2回ほどあるようなので是非見てやってください。
全編歌謡曲の中で奮闘するヤング101、なかなか見ごたえがありますばい。
写真は ウェスタ川越
    自主練習に精出す「ヤング」たち、
    頌一君、かぜ、ドンちゃん、
    101ファンのクーコさん、マグノリアさん、Tさん
















2016年2月6日土曜日

2/6(土) 本日の『どこかでラジオが』

(FMさがみ 23:00-0:00)
「かぜ耕士の昭和史」は1980(昭和55年)。
文化放送『セイ!ヤング』は終わりました。
『学校ってなんだ!?』(祥伝社)の印税が事務所でストップになったままのボクに単行本の話が持ち込まれました。
「飛騨高山の盲目の演歌師」の人物伝を書かないか?
すでにインタビューは終えているらしく、聞き書き原稿が届いたのですが、何故か興味が持てませんでした。
断りますと、代わりに彼の新曲を依頼されました。
すでに一曲は彼が自費製作していた『奥飛騨慕情』と決まっていました。
高音を生かした演歌のヒットが多い。
カラオケも高音に自信のあるのど自慢向けの曲が多かった時代です。
低音が得意な人向けのカラオケはないのか?
魅力的な低音自慢はこのカラオケブームに苛立っているのではないか?
低音を効かせた歌い手はいないか?
低音を生かしたヒット曲を作ろう!
さすが五木ひろし、森昌子を育て、千昌夫のロングセラー『北国の春』をヒットさせたプロデューサーです。我が事務所の社長和田宏はそこに着眼したのです。
しかし、僕は「盲目の流し」竜鉄也の新曲『せせらぎの宿』の原稿を書き上げ、届けようとして朝風呂に入ってしまいます。
4/18、陽気も良い日だったのに徹夜明けの風呂はいけなかったようです。
着替えを済ませて、いざ、と立ち上がった瞬間、僕はバランスを崩してリビングで倒れました。
妻を呼ぼうとしましたが声が出ません。唇が開かずよだれがこぼれ、左半身が動かなくなっていました。
Faxの普及はまだでした。
1980年6月25日、竜鉄也のデビュー・シングルは歌い慣れた『奥飛騨慕情』をA面として発売されました。僕と作曲家沖田宗丸の書いた『せせらぎの宿』は覚えきれなかったという理由で少し符が変わり、B面に入っていました。
しかし、『奥飛騨慕情』はなかなか売れませんでした。
流しの演歌師、新人で盲目、時流から外れた低音演歌…。
売れずに3ヶ月。あとひと月待って売れなかったらAB面を入れ替えよう。
幸いB面も評判が良くカラオケも出回っている。
………。
が『奥飛騨慕情』は見切られる間際になって突然、火がつき始めました。
すでに20万枚が売れていたのですが、オリコンでは『売れるはずのない曲が売れてる。関係事務所の買い占めだろう』という判断を下していたそうです。ですが、20万枚は一つの事務所で買い占められる枚数ではない、と気づきます。
チャート誌『オリコン』に登場すると、あれよあれよという間にヒット街道を爆走。簡単に100万枚を超えてしまいました。
さて、脳梗塞で倒れた僕はそれから40日の入院となります。
一時帰宅した僕が玄関のドアを開けるのを待っていたかのように電話が鳴ります。
「8月8日から『オールナイトニッポン』やる? 2部だけど」
僕は完治していなかったのですが、単なる抹消血行障害と診断した病院が信用できず、退院し、自分流のリハビリを始めます。
だって、収入が全くなくて、入院費も借金して支払っていたんだもの。
とにかく金が欲しかった。
自己流のリハビリは催眠術の道場に通うことでした。
まだ、口が充分に開きませんでしたから、僕は自己暗示をかける勉強に出かけたのです。
『僕は喋れる。上手く喋れる』
しかし、番組は運悪く7/2からスタートと早まります。自信にはほど遠いおそるおそるのスタートでした。
と、ここまで書いて気づいたんですが、コレは次回の予告ですね。
なんか面白そうなのでこのままにしちゃいます。
今日は『セイ!ヤング』に届いたお便りのおさらいをしています(『学校ってなんだ!?』と『再起不能講座』を使用)が、何故か文字の見えない一日で放送はちょっとひどいことになっています。
曲は
①清須邦義『夕星のひと』
②水木誠とヤング101『オレンジ』
③小原初美『ひとり寝づくし』
④佳代『心の唄』
FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただくとありがたいです。
写真は
左 『ステージ101ベスト』右上『Girl in me KAYO』
右下『初美 愛の賛歌 初美&レガーロ』