真鍋かをりさんという女性タレントに何も感じたことはなかったが、今日初めて僕の触覚をふるわせるものがあった。
角界大麻疑惑。
この問題が出てきた一昨日以降、僕はみのさんの番組以外のすべてのニュースショー、ワイドショーのコメントに耳をそばだてようとした。
それでも見逃しがいっぱいあるので、断言は出来ないが、僕が見たどの局のニュースキャスターも、どのワイドショーの司会者もそのアシスタントも、そしてこの問題を扱った全番組のどのコメンテーターも言わなかった、でも日本中の視聴者が誰も感じていたひと言を言ったのはただ一人、真鍋かおりさんだった。
そして、その言葉を受けての小倉智昭さんのコメントも真っ当な人の反応だと感じた。
9月4日(木)午前8:00~ のCX系情報ワイド番組『とくダネ!』。
彼女はコメントした。
若の鵬の大麻疑惑が大騒ぎされている時に、一番疑われやすいロシア出身の力士が、わざわざこの時期に大麻吸います?
露鵬、白露山兄弟の大麻疑惑が流れた時、日本中の相撲ファンが感じたのはこれに尽きたんじゃありません?
だって2~3日前まで吸っていないと出ない反応だというのだもの。
間抜けなのは相撲コメンテーターだ。
弟の白露山は真面目だが、兄の露鵬はキレ易い。
なんだ、ソレ?
二年前、露鵬が千代大海に突き出しで負けた際、勝負がついているのに客席にまで突き落とされたことを怒って露鵬が千代大海にガンを飛ばし、一触即発になった事件が例に上げられた。
それについても僕は以前に書いたが、僕がみのさんの番組を今回見ない理由は二年前のそのニュースで「見てよ、このワルそうな顔」と露鵬の写真を手で叩いたか、指で弾いたことがあるからで、今回、鬼の首を取ったように語るであろうことが容易に想像できたからだ。
ちなみに露鵬の事件は、千代大海との取り組み後、怒り狂って、風呂場のガラスかなんかを割り、険しい形相の彼を撮ろうと支度部屋のドアの前でチャンスを狙っていたカメラマンと記者に暴行を働いたというモノだ。
彼には「出場停止3日」の処分が下された。
だが、相撲ファンは地位が上の千代大海の振る舞いにも厳しかった。
出場停止が解かれた日、客席から期せずして「露鵬コール」が巻き起こり、ソレも大々的に報じられたのだが、みのさんはそれについてはスルーした。
よくあることで僕は驚きもしないが、近年、ニュースもワイドショーも権力と大衆へのおもねりが目立つ。
日本の肩を持つか、外国の肩を持つかの選択に迫られたら、番組出演者たちは迷わず日本の肩を持つ。
「洋画の字幕が読めない若者が多く、吹き替え版が増えている」というニュースがあった。
それに関しては「外国でも吹き替え版の比率の方が増えているんですよ」というコメントが、この頃大勢を占め始めている。
ここでは日本の若者への媚びが売られている訳だ。
ハッキリ言おう。バカに媚びを売ってどうする気だ。テレビは飾り窓の女か!
少し上品に言ってみました。ホントはもっと品の悪い言葉を使いたいが…。サノバビッチ! とか? イヤ、もっと下品な日本語で…。
たとえばアメリカでは多くのメキシカンのためにスパニッシュに吹き替えるのね。
『ウエストサイド物語』のリタ・モレノも声の吹き替え仕事をしてたのよ、
とか、
国民皆教育も日本ほどじゃないでしょ?
字幕を読む能力が最初からないわけだから吹き替えじゃないと映画も見らンないのよ、
とか、
キャスターさんたちにはそんな説明もしておいてやらないといけないんですかねぇ。
日本では一応読み書きの充分な教育がなされているんだから吹き替えのサービスなんて文字からインスピレーションを得られなくなったバカ餓鬼向けでしかあり得ないじゃないの!
「餓鬼」ったってホントに子供ならまだしも、その中心は2~30代の人たちなのよ。
ってこんなこと何度も(ホントに3年くらい前から何度言ったでしょうね)言わせるなよ、って話サ。
でもね、
裁判シーンでの台詞「保釈だ」
お茶の間の反応「何、”保釈”って」
って、現実はこんななんだから吹き替えにしたってそれほどの効果はないと思うよ。
吹き替えを云々する前に基礎学力が足りないんだから、これが読めないなら、お前には映画を見る資格がない、とか、字幕も読めないなんて恥ずかしいことなのよ、不法移民のメキシカンじゃないんだから、って思わせてやらないと、映画芸術そのものが衰退して行くと思うけどね。
まあ、そんな訳で露鵬の肩を持つより、しつこすぎる日本人カメラマンの肩を持つ方が身びいき日本人の大多数の賛意が得られると踏むのは売れっ子の嗅覚だから、テレビに出ている旬の人たちはみんなそうする。
だからみのさんばかりを責めはしないけど、見なくても今回の彼のコメントは読める(つもりだ)。
こういう日本に充満してる空気の中で高見山から始まるハワイ勢は闘い、今また琴欧洲や黒海、露鵬兄弟らヨーロッパ勢は奮闘してる。
マスコミも味方してくれず、琴欧洲が横綱に王手か、なんて「金」の匂いがし始めた時だけ、群がってチヤホヤするのサ。
「身体が大きい」のでなくただ「太っている」だけの日本の中卒の子供たちと彼らは違うので、マスコミのそうした差別感を敏感に察している。
だから、支度部屋の壁を怒りで蹴破るのサ。
もう、いい加減、その辺の事情くらい判ってやれよ。
まあ、判ってても琴欧洲の悪口書く方が記者として楽なのよね、多分。
そういう姑息な理屈の中でスポーツマスコミ(に限らないけど)は小っちゃく小っちゃくなってきたのよネ。
ま、贔屓の引き倒しにしかならないので多くは語らないけど、北の湖さんの言う「すべてはそれぞれの部屋の問題。親方の責任です」はその通りです。
「北の湖」さんが「北の湖親方」となったいきさつなんて涙なくしては語れない。
このかつての大横綱は身体がボロボロになっても現役から引退できなかった。
親方株を貸してしまっていたからだ。
返却を迫れば借りている親方は「廃業」するしかなくなる。
北の湖さんは黙って必死で相撲を取り続けた。
そのことにやっと気づいた彼の親方が奔走して、横綱北の湖に一代年寄の報が届けられたのは引退当日の朝だったという。
悪いけど日本の相撲マスコミはそんなことひと言も報じなかった。
「北の湖引退間近」と気づいて『父ありて』というテレビの企画書まで書いていた僕がそれを知ったのはそれから数年後、作家もりたなるおさんが書いた『北の湖凍る』という相撲小説で、だった。
知ってたら僕は企画書を書かなかったかも知れない。可哀想で。
そんな訳で日本に相撲ジャーナリズムはハナから存在していない。
テレビの中で一億層評論家風に北の湖退陣待望論を語られると僕は涙が止まらない。
相撲は一門制で北の湖さんは相撲界最大派閥の出羽一門にいる。
「大派閥」に救われて土壇場で「一代年寄」の名跡が手に入れられたとも言えるし、だから現在理事長なのだが、苦しみに苦しみ抜いて引退を決意するまで、誰も手を差し伸べなかったのもまた「一門」である。
北の湖さんが頑固に言い張る「部屋の問題」「親方の責任」に彼の相撲界に対する恨みもつらみも、そして感謝まですべてが含まれている。
その小さい範囲に収めておかないと北の湖さんの哀しみ苦しみには果てがなくなる。ただ、広げてしまわないと相撲協会の改革への道は見えてこない。
つまり、北の湖さんには改革は出来ない。
相撲協会の体制や体質が前近代的と言うより「反現代」的なのは北の湖さんの責任じゃない。
旧弊な世界でひたすら努力して、努力すれば結果はついてくると12歳から教えられてひたすら頑張り、それを実現してきた北の湖さんに、この体質は壊せない。
彼は旧弊さを窮屈とも不都合とも感じていないはずだ。だって、彼にしてみれば「努力すれば夢は叶う」ってことなんだし、事実、それを実現してきた人なんだから。
元々凡人でない人に、今、急に凡人になれ、ったってそれは無理だろ、と僕は思うけど、そう言ってる場合じゃないことも僕には判ってる。僕は凡人だから。てことは北の湖さんにこの発想は出来ないんじゃないか、と危惧もしてる、ってことになるんだけど。
北の湖さんは1985年から86年初場所にかけて土俵から降りたくても降りられなかった。
でも今度は実は簡単に投げ出せる状況が整っている。
誰も北の湖さんの理事長続投を願っていないからだ。
でも、北の湖さんはあの時と同じように頑張って頑張って頑張って問題に取り組んでいれば最悪の事態は何とか避けられるのではないかと思っているような気がする。
でも、多分、今度はどうにもならないかも知れない、と僕は悲観的な気分に支配されている。
北の湖セクハラで告発さる。
そんな記事の躍った数年前から僕は相撲界に北の湖理事長失脚を画策するグループが存在するようなイヤな空気をずっと感じている。
単なる憶測。妄想かも知れないけどね。
もしかするとそこには外部の人間も絡んでいると思うんだけど、この頑固一徹などう見ても堅物の理事長にはピンクスキャンダルも似合わなければ、そのご本人の部屋から「師匠の責任」をわざわざ問わせるようなロシア出身力士の大麻疑惑。
悪いけど、あり得ねべサ。陰謀以外にヨ。
そして北の湖さんみずからが「再発防止委員会」とかに言ったという「疑惑が確定しない内に何故、記者会見しちゃったの?」は視聴者の誰もが感じてる疑問だよ。
やくみつるさん。
相撲を揶揄するのはあなたの本職だけど、こういう時は誰もが感じる疑問をあなたも持って、もっとマシなコメントして。
北の湖さんの理事長としての資質を問う前に、理事長の部屋から疑惑の力士が出ているのに、理事長を蚊帳の外に置いたまま記者会見させたあなた方委員会の意図を聞かせて。
今回、あなたも口にしたと思うけど、「相撲協会を揺るがす大問題」は、あくまでも今回に限ってだけど、実はあなた方の手によって増幅された部分もあるんじゃないの?
まあ、若ノ鵬については前々回の『本日の店主』で名前を挙げてないように、力士としてまだ認知していない人だった。
美男なので十両に上がってきた時にすぐに気づいてはいたけど、一応、相撲マニアの僕は美男ってだけでは出世期待リスト、評価定着リストには加えないので。スマンね。
ともあれ「横綱」、特に「北の湖」にリスペクトのない人に何かモノを言って欲しくないんだよ、僕は。こんな言い方に無理があるのは承知だけどね。相撲とブレイク・ルイスに関しては無理を承知で言うことにしてるんで。
何かを作り上げることをせず、壊すことだけに腐心してきたある世代以降は、何でも「一回全部壊しゃイイんだよ」てなことを安直に言うのだけど、その時、壊した後のプランが添えられていれば僕もうなずくのだけどな。
ま、今朝は真鍋かをりさんに拍手、ということで…。
2008年9月4日木曜日
2008年8月29日金曜日
青いイナズマ
イヤー、夕べの天気には参りました。
FMさがみ録音のために赤坂へ。スタジオ入りは午後6時。
乗り合わせたタクシーのドライバーによれば、彼の車は午後3時頃、あまりの集中豪雨で前方が見えなくなり、客を乗せたまま、何十分か立ち往生してしまったと…。
CD探しに少し時間がかかってて録音終了は7時40分。
スタジオを出たのが8時でした。
市ヶ谷駅までタクシーで出て東武東上線森林公園駅を目指したのですが、この時間、上手に目的地まで行けなそうなので、池袋駅で乗り換えて東上線に乗ろうと予定を変えました。
さて、東上線のホームに入るとなんだかダイヤが乱れている。
長蛇の列の、その隣の列に並んで8:28発に乗ることに決めたんですが、1本前の8:20発というのがなかなか来ないのですね。
電光掲示板によれば「川越駅で信号トラブル」。
やがて8:20発は30分遅れで発車して、僕はすぐにやって来た8:28分発に乗り込んだのです。
運良く座れて発車を待ちましたが、これが出ないのですね。どうやら落雷が激しくて発車できない由。
家に戻って明日また出直すことも考えたのですが、座れちゃったし、すぐに発車するかもしれないし、と心を決めかねている内、なんと60分遅れで動くことになりました。
ところが、「中板橋で一旦停車。その後すぐに発車するかどうかは判らない」という、これまで遭遇したことのない内容のアナウンス。
元々停車する予定のない駅で止まられても客は困るベサ、と思っていたら、止まるより前に、これが全然発車しないのですね。
またまた、待つことしばし、で30分。
「急行」から「各駅停車」に変更して運転されると…。
もう、何でもイイからとにかく動いてくれよ、と何もかも諦めてとにかくブレイク・ルイスを聞き続けておりました。
乗車してからほぼ90分遅れで発車しましたが、なるほど、大雨の中、稲妻が何度も走る。
電車は満員、どの駅でも乗客が列をなしていますから、夜の10:30だというのに時ならぬラッシュ状態。
そんなこんなで11:10に目的駅着。
夜は夜とて落雷があったか、というほどの大音響で稲妻が走り回り、さすがに僕は心臓を押さえた。
電車には座れたのだから疲れているはずもないのに、足がこむら返りを何度も起こそうとするので、真夜中、布団の上でこれを未然に食い止めようと低気圧相手の暗闘を続ける騒ぎとなりました。
もう「今年の天気はヘンだね」と言っててはいけない気がしますね。
「今年は」と言い始めてから既に3~4年。
「今年は」でなく、これが日本の気象の現実なのだと早く認識した方が良いと思う。
そうでないと対策が遅れ遅れになって、天候による被害はこれからも予期せぬ形で(あるいは予期した通り、かもしれないのだが)起こり続けるだろう。
日本は明らかに「亜熱帯地方」となったのだ、と認識を早く改めて根本から迅速に対策を立てないといけない。
河川工事を初め、ガード下の窪んだ部分などの安全対策を早急に進めないと「どこの国の話だよ」と思うような、都会での溺死事故がまた起きる。
8月29日、午前11:40。
今、実家地方はピーカンとなっています。
さっきまでは今にも降り出しそうな天気だったのに。
身体が全然ついて行けませんで、猛烈な眠気が襲っています。
大気が不安定なのを身体が先に感じてる。多分、明日までにまだひと波乱あるかも…。
皆さんもどうぞお気を付け下さいまし。
FMさがみ録音のために赤坂へ。スタジオ入りは午後6時。
乗り合わせたタクシーのドライバーによれば、彼の車は午後3時頃、あまりの集中豪雨で前方が見えなくなり、客を乗せたまま、何十分か立ち往生してしまったと…。
CD探しに少し時間がかかってて録音終了は7時40分。
スタジオを出たのが8時でした。
市ヶ谷駅までタクシーで出て東武東上線森林公園駅を目指したのですが、この時間、上手に目的地まで行けなそうなので、池袋駅で乗り換えて東上線に乗ろうと予定を変えました。
さて、東上線のホームに入るとなんだかダイヤが乱れている。
長蛇の列の、その隣の列に並んで8:28発に乗ることに決めたんですが、1本前の8:20発というのがなかなか来ないのですね。
電光掲示板によれば「川越駅で信号トラブル」。
やがて8:20発は30分遅れで発車して、僕はすぐにやって来た8:28分発に乗り込んだのです。
運良く座れて発車を待ちましたが、これが出ないのですね。どうやら落雷が激しくて発車できない由。
家に戻って明日また出直すことも考えたのですが、座れちゃったし、すぐに発車するかもしれないし、と心を決めかねている内、なんと60分遅れで動くことになりました。
ところが、「中板橋で一旦停車。その後すぐに発車するかどうかは判らない」という、これまで遭遇したことのない内容のアナウンス。
元々停車する予定のない駅で止まられても客は困るベサ、と思っていたら、止まるより前に、これが全然発車しないのですね。
またまた、待つことしばし、で30分。
「急行」から「各駅停車」に変更して運転されると…。
もう、何でもイイからとにかく動いてくれよ、と何もかも諦めてとにかくブレイク・ルイスを聞き続けておりました。
乗車してからほぼ90分遅れで発車しましたが、なるほど、大雨の中、稲妻が何度も走る。
電車は満員、どの駅でも乗客が列をなしていますから、夜の10:30だというのに時ならぬラッシュ状態。
そんなこんなで11:10に目的駅着。
夜は夜とて落雷があったか、というほどの大音響で稲妻が走り回り、さすがに僕は心臓を押さえた。
電車には座れたのだから疲れているはずもないのに、足がこむら返りを何度も起こそうとするので、真夜中、布団の上でこれを未然に食い止めようと低気圧相手の暗闘を続ける騒ぎとなりました。
もう「今年の天気はヘンだね」と言っててはいけない気がしますね。
「今年は」と言い始めてから既に3~4年。
「今年は」でなく、これが日本の気象の現実なのだと早く認識した方が良いと思う。
そうでないと対策が遅れ遅れになって、天候による被害はこれからも予期せぬ形で(あるいは予期した通り、かもしれないのだが)起こり続けるだろう。
日本は明らかに「亜熱帯地方」となったのだ、と認識を早く改めて根本から迅速に対策を立てないといけない。
河川工事を初め、ガード下の窪んだ部分などの安全対策を早急に進めないと「どこの国の話だよ」と思うような、都会での溺死事故がまた起きる。
8月29日、午前11:40。
今、実家地方はピーカンとなっています。
さっきまでは今にも降り出しそうな天気だったのに。
身体が全然ついて行けませんで、猛烈な眠気が襲っています。
大気が不安定なのを身体が先に感じてる。多分、明日までにまだひと波乱あるかも…。
皆さんもどうぞお気を付け下さいまし。
2008年8月13日水曜日
戦争は知らない
大関琴欧洲のオフィシャルブログ
『ちゃんこ鍋とヨーグルトって意外と合うんです』http://kotooshu.aspota.jp/
が大好きで毎日覗いている。
日本語の練習のために作った感じがするほど簡潔な写真主体の日記で、この類稀なる笑顔を持った被写体はほぼ毎日、モノを喰っている。
タイトルからして「喰ったモン日記」だ。
舌足らずな文章が可愛っくってしようがない。
「8月7日
おみあげ
なまきゃらめる まち
すごく ひと」
写真があるのでこれで十分。
「お土産の生キャラメルを買おうと凄い人数の客がいっぱい待っている」というのだ。
ほとんどの写真は自分が被写体として誰かに撮って貰っているのだが、これだけは自分で撮ったのかも知れない。
他の写真よりサイズも小さく、下手な感じがするんだけど、それすらむしろ愛嬌になっている。
彼が名古屋場所を9勝6敗の決して褒められない成績で終えた後の夏巡業中の日記だが、各地で優しい声援を受けたに違いない。
屈託なさ気で、場所中の重圧から逃れた開放感が見て取れる。
どこでも彼は笑っていて、子供たちにふれあった日は文章も弾んでいる。
「すもうと カレーも ありがと
おいしかた うれしかた☆
あついのに ありがと」
読んでる内に思わずニンマリしている僕がいる。
この青年が僕は大好きだ。
横綱獲り。焦ることはない。僕らは十分待たされた。でも、まだ待てるから。
最高位小結の黒海はグルジアの出身である。
彼の故国は目下、ロシアとの戦争に巻き込まれている。
彼は15年前の内戦で家や土地を失くし、母方の祖父母の元に逃げ込んだ。
それをきっかけにレスリングを始め、欧州ジュニア130キロ超級で優勝。
スポーツアカデミーに入ったが、琴欧洲同様、体重制限が120キロまでとなったことから相撲に転向。
2001年に来日して5月に初土俵を踏んだ。
2年で十両。その後4場所で幕内。琴欧洲より早い時期に史上初の欧州出身関取となり、幕内力士となった。
肉親の死の報に接しながらも黙々と土俵を務め、場所後、急いで墓参りに帰国したこともあった。
黒海 太(こっかい・ふとし) 昭和56年(1981) 3月10日生。27歳。敢闘賞2回。
技にはあまりクセがないが、苦労の多い人生がそうせるのかインタビューでは人柄の良さが覗く。
弟を呼び寄せて力士にした(司海)が再起不能の大怪我で、廃業した。
戦争の報を見るにつけ、彼の家族の安否や司海のその後が気に懸かる。
7月の名古屋場所は西前頭10枚目で 5勝10敗と大負け。来場所は幕尻まで下がることが予想されるが、戦争が彼の相撲人生にさらなる影を落とさないことを心から祈っている。
黒海とは部屋が違うが、入幕ふた場所、最高位前頭14枚目の栃ノ心 剛(とちのしん つよし)もグルジアの出身である。
どこか曲者顔なのですぐには華やかな人気者にはなれないだろうし、今はまだ幕尻の番付を守るのがやっとの成績しか残していないが、この力士は強くなる。
外国人力士の中では抜群に相撲が上手い。どこかで殻を破れれば一気に上位を目指せると思う。
彼らの国と交戦しているロシア出身の力士には露鵬と白露山の兄弟がいる。
彼らはグルジアと接するオセチア・アラニア共和国の出身なので二人もまた気が気ではないと思う。
この日本の中に祖国が交戦中の人気者がいるという事実。
日本もやっとそういう時代に入ったんだな、と思う。
外国人を受け入れるということは日本人の目をいやでも世界に向けさせる効果を持っている。
日本で一番感度が低い相撲界が、今、我知らず最も先鋭的なシグナルを発していることに何だか妙な感慨を覚えている。
『ちゃんこ鍋とヨーグルトって意外と合うんです』http://kotooshu.aspota.jp/
が大好きで毎日覗いている。
日本語の練習のために作った感じがするほど簡潔な写真主体の日記で、この類稀なる笑顔を持った被写体はほぼ毎日、モノを喰っている。
タイトルからして「喰ったモン日記」だ。
舌足らずな文章が可愛っくってしようがない。
「8月7日
おみあげ
なまきゃらめる まち
すごく ひと」
写真があるのでこれで十分。
「お土産の生キャラメルを買おうと凄い人数の客がいっぱい待っている」というのだ。
ほとんどの写真は自分が被写体として誰かに撮って貰っているのだが、これだけは自分で撮ったのかも知れない。
他の写真よりサイズも小さく、下手な感じがするんだけど、それすらむしろ愛嬌になっている。
彼が名古屋場所を9勝6敗の決して褒められない成績で終えた後の夏巡業中の日記だが、各地で優しい声援を受けたに違いない。
屈託なさ気で、場所中の重圧から逃れた開放感が見て取れる。
どこでも彼は笑っていて、子供たちにふれあった日は文章も弾んでいる。
「すもうと カレーも ありがと
おいしかた うれしかた☆
あついのに ありがと」
読んでる内に思わずニンマリしている僕がいる。
この青年が僕は大好きだ。
横綱獲り。焦ることはない。僕らは十分待たされた。でも、まだ待てるから。
最高位小結の黒海はグルジアの出身である。
彼の故国は目下、ロシアとの戦争に巻き込まれている。
彼は15年前の内戦で家や土地を失くし、母方の祖父母の元に逃げ込んだ。
それをきっかけにレスリングを始め、欧州ジュニア130キロ超級で優勝。
スポーツアカデミーに入ったが、琴欧洲同様、体重制限が120キロまでとなったことから相撲に転向。
2001年に来日して5月に初土俵を踏んだ。
2年で十両。その後4場所で幕内。琴欧洲より早い時期に史上初の欧州出身関取となり、幕内力士となった。
肉親の死の報に接しながらも黙々と土俵を務め、場所後、急いで墓参りに帰国したこともあった。
黒海 太(こっかい・ふとし) 昭和56年(1981) 3月10日生。27歳。敢闘賞2回。
技にはあまりクセがないが、苦労の多い人生がそうせるのかインタビューでは人柄の良さが覗く。
弟を呼び寄せて力士にした(司海)が再起不能の大怪我で、廃業した。
戦争の報を見るにつけ、彼の家族の安否や司海のその後が気に懸かる。
7月の名古屋場所は西前頭10枚目で 5勝10敗と大負け。来場所は幕尻まで下がることが予想されるが、戦争が彼の相撲人生にさらなる影を落とさないことを心から祈っている。
黒海とは部屋が違うが、入幕ふた場所、最高位前頭14枚目の栃ノ心 剛(とちのしん つよし)もグルジアの出身である。
どこか曲者顔なのですぐには華やかな人気者にはなれないだろうし、今はまだ幕尻の番付を守るのがやっとの成績しか残していないが、この力士は強くなる。
外国人力士の中では抜群に相撲が上手い。どこかで殻を破れれば一気に上位を目指せると思う。
彼らの国と交戦しているロシア出身の力士には露鵬と白露山の兄弟がいる。
彼らはグルジアと接するオセチア・アラニア共和国の出身なので二人もまた気が気ではないと思う。
この日本の中に祖国が交戦中の人気者がいるという事実。
日本もやっとそういう時代に入ったんだな、と思う。
外国人を受け入れるということは日本人の目をいやでも世界に向けさせる効果を持っている。
日本で一番感度が低い相撲界が、今、我知らず最も先鋭的なシグナルを発していることに何だか妙な感慨を覚えている。
2008年8月3日日曜日
流れ星
漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられた。
僕は72年頃には既に『少年サンデー』や『少年マガジン』を読んでいたのだが、一番好きなのは赤塚不二夫責任編集と銘打った『まんがNo.1』という月刊漫画誌だった。
付録にソノシートがついていて、三上寛『おまわりさん』『ホイ!』山下洋輔トリオ『ペニスゴリラアフリカに現る!』などの他、当時、赤塚さんの懐刀だった長谷邦夫さん作詞による中山千夏『DISCOVER WAR 自衛隊讃歌』カミソリQ子『女番長ロック』井上陽水『桜三月散歩道』の6枚が今も手元に残っている。
つまり、この雑誌は6号で消えた。
赤塚さんは当時、時代の寵児とも言える存在だったが、この月刊誌は何故か毎号250万円の赤字だったという。
陽水のレコードはLPに収録される前の物で一部歌詞が違うという今ではレアものと呼ばれる種類の物である。
カミソリQ子は、多分だが、青山ミチの変名である。
この責任編集本失敗の後に赤塚さんは一時期(おそらく3ヶ月くらい)「山田一郎」という筆名を名乗った。1974年のことだと思う。
これがどういうわけか「かぜ耕士は赤塚不二夫の弟」という噂になった。僕の苗字が「山田」ということからの連想だが『たむたむたいむ』がようやく評判になり始めた頃だ。
そしてどうした加減か僕はその時期に新宿の飲み屋で赤塚さんに偶然お会いした。
その話をしたら、「面白いから放っておけばイイじゃない」と赤塚さんは笑ってくれたのだけど、それからすぐに元の名に戻られたので僕の弟説もいつの間にか消えた。
赤塚さんにはそういう個人的な想い出がある。
ちなみに『天才バカボン』の「パパ」の本名は「バカボンのパパ」である。他に呼び名は見あたらない。
どうでも良いが…「これでイイのだ!」
親しい人が亡くなる。
28日に亡くなったのはテレビに仕事を移した頃、取り立ててくれた演出家の下村善二さん。
下村さんは『ウルトラマン』で知られる実相寺昭雄さんの映画『歌麿 夢と知りせば』などで助監督を務められた。ちなみにWikipedia などでは名前が間違っている。
僕が初めてお目にかかった頃はテレビの旅番組などの演出をされていたが、劇映画演出への情熱は冷めておらず、会ったその日に一冊の雑誌の切り抜きを僕に手渡された。
「脚色して欲しいんだけど」
高橋昌男さん原作の『音無川絵図』だった。
僕の第一稿を読んでの感想は「ポルノにはしたくないんだけどねぇ」だった。
僕もポルノにしたつもりはないのだが、濃厚なラブシーンが数カ所あって、それは原作の大事な要素の一つに思えた。僕はその原作のテイストが今でも大好きなのだが、ともあれ、以後、下村さんはその仕事に必ず僕をキャスティングして下さるようになった。
実は下村さんの実年齢を正確には知らない。
僕より多分、だいぶ先輩のこの方が重用してくれたので、僕にはかなり大手の製作会社のプロデューサーから声がかかるようになった。
本数を増やすもととなったのは以前何度か書いたヤラセのNさんなのだが、のちにレギュラーに結びつく仕事は下村さんの引き立てあってのことだった。
葬儀は斎場の外にまで列が出来て、その人脈が偲べたが僕が個人的に知っている人は5人くらいしかいなかった。
その中のお一人で、かつてかなり密に仕事をした人に挨拶したが、テレビの業界に出入りしなくなって久しかったからなのか、「あ、ドモ」と言われてそのままだった。
多分、僕が誰なのか思い出さなかったと思う。ただ、その時、ふと、テレビから遠ざかって正解だったのだ、と思った。
僕に気づいた人は「かぜさん、痩せちゃったねぇ」と僕の健康を気遣ってくれたが、人相も判別がつかないほど痩せているのだとしたら問題だな。まあ、貧相なジジイになりつつあるのは事実だが…。
そんなこんなで元気の素が足りず、しばらく落ち込んでいた。
ブログも「店主」もサボりがちだが、少し、頑張らないとね。
テレビは今週で『ER』シーズン7と『アメージングレース』シーズン6が終わるんだと思う。
『ER』は落ち着いた展開だが、もはや新味は出難い。レギュラー出演者たちの成り行きが気になるので惰性で見ているだけかも知れない。
今シーズンの『アメージングレース』もエミー賞を貰ったらしいが、今回が一番好きになれなかった。
怒鳴りまくる夫、耐え続ける妻。家庭内のSM関係が垣間見える上、それが共依存関係だとやがてハッキリ判ってくるので見ていて辛く、脱落した時はホッとした。
レースの失敗を相手のせいにし続けてキレまくる恋人たちは今週脱落。
脱落を告げられると同時に男はテレビカメラの前で結婚を申し込み、女はそれを受けたが、さっきまで罵りあっていた二人なので、見ている方はついて行きにくい。
なんか今回は出場者と視聴者との間に微妙なズレが起き続けたシーズンだった。
レースの仕掛けは回を重ねるごとに面白くなっているが、特色のある出場者を、と狙いすぎると今回のようにイヤなカップルばかり、ということになりかねない。
当たってしまってシリーズになった作品が上質なマンネリを続けて行くのはなかなか難しいことなのだなとつくづく思わせる。
『24』は目が離せない。今シーズンは面白すぎて見終えるとグッタリしてしまうほどだ。
『ゴースト 天国からのささやき』は『ミディアム 霊能者アリソン・デュボワ』の二番煎じみたいな趣向だが、光の世界に旅立てず、この世にとどまっている死者たちの切ない思いに毎回号泣してしまう。
こんなに泣かせてくれるシリーズ物も珍しいと思う。といってもまだ2回しか放送されていないので、作り手の方も力が入っている時期の作品かも知れないな。
『アグリーベティ』は漫画チックな展開だが、ゲストに『アメリカン・アイドル』シーズン5の準優勝キャサリン・マクフィーや『プロジェクト・ランウェイ』の進行役ティム・グンが出てきて、僕的にはなかなか止められない。
高校の女探偵『ヴェロニカ・マーズ』は今ひとつ乗り切れていない。
楽しみはサイファイ・チャンネルの『Kyle カイル XY』。現在はまだ超能力少年程度としか解き明かされていない彼の実像に興味津々。
ちょっと見逃せないお気に入り番組になっている。
皆さんも楽しい夏をお過ごし下さいね。
僕は72年頃には既に『少年サンデー』や『少年マガジン』を読んでいたのだが、一番好きなのは赤塚不二夫責任編集と銘打った『まんがNo.1』という月刊漫画誌だった。
付録にソノシートがついていて、三上寛『おまわりさん』『ホイ!』山下洋輔トリオ『ペニスゴリラアフリカに現る!』などの他、当時、赤塚さんの懐刀だった長谷邦夫さん作詞による中山千夏『DISCOVER WAR 自衛隊讃歌』カミソリQ子『女番長ロック』井上陽水『桜三月散歩道』の6枚が今も手元に残っている。
つまり、この雑誌は6号で消えた。
赤塚さんは当時、時代の寵児とも言える存在だったが、この月刊誌は何故か毎号250万円の赤字だったという。
陽水のレコードはLPに収録される前の物で一部歌詞が違うという今ではレアものと呼ばれる種類の物である。
カミソリQ子は、多分だが、青山ミチの変名である。
この責任編集本失敗の後に赤塚さんは一時期(おそらく3ヶ月くらい)「山田一郎」という筆名を名乗った。1974年のことだと思う。
これがどういうわけか「かぜ耕士は赤塚不二夫の弟」という噂になった。僕の苗字が「山田」ということからの連想だが『たむたむたいむ』がようやく評判になり始めた頃だ。
そしてどうした加減か僕はその時期に新宿の飲み屋で赤塚さんに偶然お会いした。
その話をしたら、「面白いから放っておけばイイじゃない」と赤塚さんは笑ってくれたのだけど、それからすぐに元の名に戻られたので僕の弟説もいつの間にか消えた。
赤塚さんにはそういう個人的な想い出がある。
ちなみに『天才バカボン』の「パパ」の本名は「バカボンのパパ」である。他に呼び名は見あたらない。
どうでも良いが…「これでイイのだ!」
親しい人が亡くなる。
28日に亡くなったのはテレビに仕事を移した頃、取り立ててくれた演出家の下村善二さん。
下村さんは『ウルトラマン』で知られる実相寺昭雄さんの映画『歌麿 夢と知りせば』などで助監督を務められた。ちなみにWikipedia などでは名前が間違っている。
僕が初めてお目にかかった頃はテレビの旅番組などの演出をされていたが、劇映画演出への情熱は冷めておらず、会ったその日に一冊の雑誌の切り抜きを僕に手渡された。
「脚色して欲しいんだけど」
高橋昌男さん原作の『音無川絵図』だった。
僕の第一稿を読んでの感想は「ポルノにはしたくないんだけどねぇ」だった。
僕もポルノにしたつもりはないのだが、濃厚なラブシーンが数カ所あって、それは原作の大事な要素の一つに思えた。僕はその原作のテイストが今でも大好きなのだが、ともあれ、以後、下村さんはその仕事に必ず僕をキャスティングして下さるようになった。
実は下村さんの実年齢を正確には知らない。
僕より多分、だいぶ先輩のこの方が重用してくれたので、僕にはかなり大手の製作会社のプロデューサーから声がかかるようになった。
本数を増やすもととなったのは以前何度か書いたヤラセのNさんなのだが、のちにレギュラーに結びつく仕事は下村さんの引き立てあってのことだった。
葬儀は斎場の外にまで列が出来て、その人脈が偲べたが僕が個人的に知っている人は5人くらいしかいなかった。
その中のお一人で、かつてかなり密に仕事をした人に挨拶したが、テレビの業界に出入りしなくなって久しかったからなのか、「あ、ドモ」と言われてそのままだった。
多分、僕が誰なのか思い出さなかったと思う。ただ、その時、ふと、テレビから遠ざかって正解だったのだ、と思った。
僕に気づいた人は「かぜさん、痩せちゃったねぇ」と僕の健康を気遣ってくれたが、人相も判別がつかないほど痩せているのだとしたら問題だな。まあ、貧相なジジイになりつつあるのは事実だが…。
そんなこんなで元気の素が足りず、しばらく落ち込んでいた。
ブログも「店主」もサボりがちだが、少し、頑張らないとね。
テレビは今週で『ER』シーズン7と『アメージングレース』シーズン6が終わるんだと思う。
『ER』は落ち着いた展開だが、もはや新味は出難い。レギュラー出演者たちの成り行きが気になるので惰性で見ているだけかも知れない。
今シーズンの『アメージングレース』もエミー賞を貰ったらしいが、今回が一番好きになれなかった。
怒鳴りまくる夫、耐え続ける妻。家庭内のSM関係が垣間見える上、それが共依存関係だとやがてハッキリ判ってくるので見ていて辛く、脱落した時はホッとした。
レースの失敗を相手のせいにし続けてキレまくる恋人たちは今週脱落。
脱落を告げられると同時に男はテレビカメラの前で結婚を申し込み、女はそれを受けたが、さっきまで罵りあっていた二人なので、見ている方はついて行きにくい。
なんか今回は出場者と視聴者との間に微妙なズレが起き続けたシーズンだった。
レースの仕掛けは回を重ねるごとに面白くなっているが、特色のある出場者を、と狙いすぎると今回のようにイヤなカップルばかり、ということになりかねない。
当たってしまってシリーズになった作品が上質なマンネリを続けて行くのはなかなか難しいことなのだなとつくづく思わせる。
『24』は目が離せない。今シーズンは面白すぎて見終えるとグッタリしてしまうほどだ。
『ゴースト 天国からのささやき』は『ミディアム 霊能者アリソン・デュボワ』の二番煎じみたいな趣向だが、光の世界に旅立てず、この世にとどまっている死者たちの切ない思いに毎回号泣してしまう。
こんなに泣かせてくれるシリーズ物も珍しいと思う。といってもまだ2回しか放送されていないので、作り手の方も力が入っている時期の作品かも知れないな。
『アグリーベティ』は漫画チックな展開だが、ゲストに『アメリカン・アイドル』シーズン5の準優勝キャサリン・マクフィーや『プロジェクト・ランウェイ』の進行役ティム・グンが出てきて、僕的にはなかなか止められない。
高校の女探偵『ヴェロニカ・マーズ』は今ひとつ乗り切れていない。
楽しみはサイファイ・チャンネルの『Kyle カイル XY』。現在はまだ超能力少年程度としか解き明かされていない彼の実像に興味津々。
ちょっと見逃せないお気に入り番組になっている。
皆さんも楽しい夏をお過ごし下さいね。
2008年7月14日月曜日
あの場所から
業界の後輩ふたりにつきあってもらって久しぶりに焼肉を食った。
ひとりは『涙をこえて』を書いたばかりの頃、僕を訪ねてきてくれた学生。今は放送作家兼業で制作会社社長をしている。
シング・アウトのメンバーと同級生だった関係で、僕にとってはこの業界で最初で最後の弟子的立場に収まってしまった(とは言っても別に師弟関係は築いていないのだが)。
もうひとりはテレビを始めてからの後輩。今はTVKでディレクターをしている。今日は奥さん同伴で来てくれて、食事のあと、蒲田のカラオケ屋で3時間くらい歌った。
まあ、一曲目は声馴らしで小林旭の『ダイナマイトが150屯』。あとは三橋美智也の『俺ら炭坑夫』『母恋吹雪』山田真二『哀愁の街に霧が降る』飯田久彦『小さな悪魔』森山加代子『月影のナポリ』飯田久彦『悲しき街角』パット・ブーン『砂に書いたラブレター』美空ひばり『素敵なランデブー』と誰も褒めてくれない50~60年代中心の選曲。
制作会社社長も小林旭の、僕の知らない、というより一度も聴いた覚えのない歌に始まって、知っているけど僕は歌えない70年代フォーク歌謡とマニアックな歌謡曲のオンパレード。
作詞が阿久悠さん、なかにし礼さん、山上路夫さんと大御所ばかりの良く出来た歌謡曲が続いて、そう言えば、高校時代、フォークソングを歌っていたとか言ってたなぁ、などと思いながら上手さに驚いて聞き入った。
ディレクター君はかぐや姫、アリスなどのフォーク、奥さんは松田聖子ちゃんを初め、80年代POPSが多く、みんなの〆は意図しなかったのに尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』。
時間が来ちゃったのでこれがラストソングだったんだけど、なんか良かったかも。
ちなみにトピックスは『涙をこえて』が「ヤング101」でなく、「シング・アウト」だったことと、な、なんと竜鉄也『せせらぎの宿』もあったことだね。
僕は初めて自作の演歌を歌ったんだが、これは気持ち良く歌えた。
割合、面白い作品のひとつかもしれないと思った。←勿論、単なる自画自讃。
という訳で64歳には特別な感慨はないけど、とりあえず誕生日は終わった。
なんとか頑張ってもう一年、生き抜いてみようと思っている。
お祝い書き込み、お祝いメール、そしてお祝いカードを下すった皆さんに感謝。
そして、今日つきあってくれたO君とY君夫妻に心から「ありがとう」。
ひとりは『涙をこえて』を書いたばかりの頃、僕を訪ねてきてくれた学生。今は放送作家兼業で制作会社社長をしている。
シング・アウトのメンバーと同級生だった関係で、僕にとってはこの業界で最初で最後の弟子的立場に収まってしまった(とは言っても別に師弟関係は築いていないのだが)。
もうひとりはテレビを始めてからの後輩。今はTVKでディレクターをしている。今日は奥さん同伴で来てくれて、食事のあと、蒲田のカラオケ屋で3時間くらい歌った。
まあ、一曲目は声馴らしで小林旭の『ダイナマイトが150屯』。あとは三橋美智也の『俺ら炭坑夫』『母恋吹雪』山田真二『哀愁の街に霧が降る』飯田久彦『小さな悪魔』森山加代子『月影のナポリ』飯田久彦『悲しき街角』パット・ブーン『砂に書いたラブレター』美空ひばり『素敵なランデブー』と誰も褒めてくれない50~60年代中心の選曲。
制作会社社長も小林旭の、僕の知らない、というより一度も聴いた覚えのない歌に始まって、知っているけど僕は歌えない70年代フォーク歌謡とマニアックな歌謡曲のオンパレード。
作詞が阿久悠さん、なかにし礼さん、山上路夫さんと大御所ばかりの良く出来た歌謡曲が続いて、そう言えば、高校時代、フォークソングを歌っていたとか言ってたなぁ、などと思いながら上手さに驚いて聞き入った。
ディレクター君はかぐや姫、アリスなどのフォーク、奥さんは松田聖子ちゃんを初め、80年代POPSが多く、みんなの〆は意図しなかったのに尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』。
時間が来ちゃったのでこれがラストソングだったんだけど、なんか良かったかも。
ちなみにトピックスは『涙をこえて』が「ヤング101」でなく、「シング・アウト」だったことと、な、なんと竜鉄也『せせらぎの宿』もあったことだね。
僕は初めて自作の演歌を歌ったんだが、これは気持ち良く歌えた。
割合、面白い作品のひとつかもしれないと思った。←勿論、単なる自画自讃。
という訳で64歳には特別な感慨はないけど、とりあえず誕生日は終わった。
なんとか頑張ってもう一年、生き抜いてみようと思っている。
お祝い書き込み、お祝いメール、そしてお祝いカードを下すった皆さんに感謝。
そして、今日つきあってくれたO君とY君夫妻に心から「ありがとう」。
2008年7月9日水曜日
篠の葉さらさら
原作になっている漫画がお気に入りだったので七夕スタートの新ドラマ『あんどーなつ』を見た。
貫地谷しほりさんという若手女優が一途さを感じさせる素晴らしいキャラクターで期待を裏切らない出来だった。
國村隼さん演じる梅さんも予想外の良さ。
というのも僕はこの人のマイクがあるはずなのに時々聞こえない台詞遣いがダメで長いことこの人の出演作は敬遠していた。
今度の作品は貫地谷さんの奈津と國村さんの梅さんがガップリ四つに組む構成なので、見ざるを得なかった訳だが、竹さんの尾美としのりさんともども、とても良いキャスティングだった。
風吹ジュンさんも適役でなんだか好きになれそうなドラマだ。
ところで、きっと見た人すべてが気づいていると思うけど、ファースト・シーンの主人公の面接シーン、人事課さんはここ数日、産地偽装でニュースを賑わせている中谷彰宏さんではあるまいか?
俳優が本職ではないと思ったが、なにゆえのキャスティングだったのだろう?
気になって気になって仕方なかった。
七夕の短冊。
「千代の山にあわせて下さい」と書いた昔を思い出しました。
貫地谷しほりさんという若手女優が一途さを感じさせる素晴らしいキャラクターで期待を裏切らない出来だった。
國村隼さん演じる梅さんも予想外の良さ。
というのも僕はこの人のマイクがあるはずなのに時々聞こえない台詞遣いがダメで長いことこの人の出演作は敬遠していた。
今度の作品は貫地谷さんの奈津と國村さんの梅さんがガップリ四つに組む構成なので、見ざるを得なかった訳だが、竹さんの尾美としのりさんともども、とても良いキャスティングだった。
風吹ジュンさんも適役でなんだか好きになれそうなドラマだ。
ところで、きっと見た人すべてが気づいていると思うけど、ファースト・シーンの主人公の面接シーン、人事課さんはここ数日、産地偽装でニュースを賑わせている中谷彰宏さんではあるまいか?
俳優が本職ではないと思ったが、なにゆえのキャスティングだったのだろう?
気になって気になって仕方なかった。
七夕の短冊。
「千代の山にあわせて下さい」と書いた昔を思い出しました。
2008年7月1日火曜日
イエスタデイ~ダイナマイトが150屯

昨日、初めて地下鉄副都心線に乗った。
偶然である。
トンカツを喰いたいという母に連れられて実家近くのメシ屋で昼飯を食べたあと、帰るきっかけを失って、「オレ、そろそろ帰るわ」と母に告げたのが午後1時50分。
85歳になった母のもの凄く乱暴な(良く言えば威勢のイイ)運転で最寄り駅に着いたのが2時。
バックパックとゴロゴロ・カートを両肩に担いで結構段数のある階段を駆け上り、切符を買い、エレベーターで急降下。
既に到着していた2時03分発の急行に飛び乗ったら、ニトロが欲しいほどの息切れだった。
危ねェ危ねェ!
ブレイク・ルイスを聴いていたらいつの間にか居眠りしていたようで、目を開けると、ホームを挟んで「渋谷」行きの表示のある電車が見えた。
駅名を確かめると「和光市」。
あれが噂の副都心線か。などと思っている間に好奇心の強い僕はもうその電車に乗っていた。
ほぼ3時。車内はガラガラで何週間か前、開通日のニュースで見た混雑はどこにもなく、なんと30分後には終着駅「渋谷」にいた。
出口階行きエレベーターに乗った途端、さっきホームの警備をしていた男性がスルリと乗り込み、僕の全身を一瞥した。
洞爺湖サミットのための都内緊急警戒中らしい。
ふーむ。
僕はなんだか気分が良くなった。
つまり、僕ってちょっと危ない人間に見えたんでしょう?
荷物をふたつ持った姿が非日常的なので警戒されるのは当然だけど、どう見たって60歳過ぎのジジイぢゃん。
体力的に見たって、何もデキゃせんでしょう。僕一人に貼りついている間に過激派の2~3人が階段駆け上っているかもヨ。
とは言いながら僕らの仕事なんて誰にも警戒されないその辺のジジイに見えたら人生終わりだよ。
危なく見えた分だけマシってもんサ。
超過料金140円。
池袋までの切符700円を持っていたので、僕ン家駅から渋谷までは840円。
小林旭を口ずさみながらちょっとゴキゲンで東横線~多摩川線で我が家駅を目指した。
矢口渡駅を意図的に乗り越して終点蒲田駅にあるTSUTAYAに行き、『迷子の警察音楽隊』、ジョニー・デップのテレビでの出世作『21 ジャンプ・ストリート上下巻』などを借りて、タクシーで帰還。
そういえば42年前の明日は武道館でビートルズを見たのよね。
アリーナの壁は蟻の這い出る隙間もないほど警備員がビッチリと立ち並び、思えば彼らが特等席。
むつらぼしさんご推察のように観客席は二階だけ。僕の席はビートルズを右斜め後方から見る形だった。
4人は一度だけ、全方位に手を挙げ、観客に挨拶したが、多分僕の席からはポールの姿が見えなかった。
見えても見えなくてもどっちみち見えなかったと思う。
僕の前の一列は全員女の子で、最初から最後まで立ち上がってポールの名を呼び、ハンカチを振り、泣き叫ぶ集団だったんだもの。
僕の頭越しに警備員が「座りなさい、君たち、座りなさいッ」と叫んで彼女らの肩や頭を押し下げ、隣の老夫婦は「こんなのどこがいいんだ」「バッカじゃないの」「くだらない」「なんだコレは」とコンサートの間中、ビートルズと観客を罵り続けた。
僕はなんだかウキウキ気分を削がれてしまい、乗り切れないまま「今日のテレビ放映には間に合わないよなあ」と詮無いことを考え続けていた。
それでもあの場にいただけマシ、というビートルズ体験。
少なくともあの場に居た若者たちは今も、演歌好き、『水戸黄門』好きだけのジジババにならずにすんでるかもネ。
♪ダイナマイトがヨーホホホー! ダイナマイトがヒャクゴジットン!
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