2015年3月6日金曜日

2月7日 本日(2/7)の『どこかでラジオが』(FMさがみ 23:00-0:00)


僕はしばしば「中学から東京・向島に預けられまして」という表現をしているようです。
そのたびにFB上の友達から「なぜ、中学から上京して」だけで済まないのかとか「預けられたことにこだわりすぎなのが気になります」といったメールやメッセージをいただきます。
「かぜさんて理想論ばかり喋る人でしたよね。そこが好きでした」という方もおられます。当然、「そこが嫌いで聞かなくなりました」という人たちもいるはずで、ま、その人たちはFB上でも出会いませんから今日の放送を聞いてもらえないのは残念です。
僕は今日から隔週で何回かにわたり、「向島」に「預けられ」、自分の心に「理想」を掲げなければ生きてこられなかった青春時代を語ろうとしています。
「昔、ラジオを聞いていました」という言葉を「友達リクエスト」の理由にされた方は是非、今日から何週か『どこかでラジオが』におつきあいください。昔、喋れなかったことを喋ります。
『嘘は言わないけど秘密はいっぱい』のかぜ耕士の裏側を「少し」話します。
「全部」だと自分でも責任取り切れないので…。
曲は
①『Motherless Child』(Sweetwater)
②『戦争は知らない』(カルメン・マキ)
③『ジャニスを聴きながら』(荒木一郎)
なお、FMさがみは、お手持ちのパソコンで世界のどこでもお聴きいただけます。
からサイマルラジオにアクセス。
専用無料アプリをインストールすればスマホでも聴けます。
Tunein Radio など最適なアプリを探してみてください。
よろしくお願いします。


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2月6日 知恵はこの程度…

今日、blakeは珍しく僕が食べているピザを欲しがった。
彼はあまり食べ物を欲しがらないので喜んで皿に乗せてやったら旨そうに食べ始めた。
しかし、最後の一枚は食べ残した。
食べ残した場合、彼はその痕跡を消そうとする。
通常は下顎で食べ物に砂を掛ける。
という、おまじないのような動作をする、という方が正しいかもしれない。
しかし、食べ物は消えないので、次にこれをどこかに隠そうとする。
が、我が家にそんな場所はないので結局、玄関や階段に置きっ放しにしてしまう。
その時も砂かけの儀式は忘れない。
しかし、ブツは明らかに見えているのだから、おそらくはblake本人(本犬?)の中でだけ見えないことになってるんだと思う。
さて、今日は「Air 砂隠し」しようとしたら、うまい具合に砂の代用となる食べ残しfoodがあった。
彼は見事、食べ残しを隠すことに成功したのであった。
ン、ホントか?
実際には丸見えだがね。これがblakeの知恵の限界なら仕方ないな。




2月1日 blake散歩に大異変


機嫌良くスーパーへの散歩道を歩きあと80米ほどで辿り着こうとした時だった。
向こうからそこそこ高級犬らしいのがやって来た。
僕は対岸歩道に渡って事態を回避しようとしたが時すでに遅し。
blakeは、その犬に飛びかかり首を噛んだらしい。
同伴者は違ったがこの犬とはいつもリードが縺れ合う大騒ぎをしていたように思う。
敵対関係にはなかったと思うのだが…。
ともかく相手は警察を呼ぶと言い、僕はそれにしたがった。
「右側通行ご存じなんですか?!」
と飼い主には責められたが、散歩道のコース変更してこちらを通ることにしていたのだ。
腱鞘炎がいたくならないのでね。
ま、そんなわけで警察を待つこと数十分。
ちょっとした調べのあと、血も出てないので様子を見てから医者に行き、領収書お見せします、と言われ、別れた。今夜の飯は買う気力もなくし、今晩は飯抜きだな。
ウソウソ。
しおらしいのか知らん顔なのか加害犬blake。




1月20日 アレルギー


4年くらい前。
花粉症かな?
と思ったことがあった。
そこでアレルギー検査をしたら「そば」と「鮭」に反応が出た。
そばは大好物で、鮭は魚類の中で唯一食べられるものだ。
アレルギーを起こしたことは一度もなかった。
再検査をしたのは一昨年のことだったろうか?
そばが食べたくて食べたくて我慢できなくなった。
そこで別の病院で再検査を受けた。
そばと鮭、両方知りたかったが検査のグループが違うという。
そばは花粉症13種検査の中に入っているが、鮭は別料金になる上に、今ここで鮭以外に調べたい12種を選べと言うので、何だか面倒になり、すぐにでも食べたい「そば」だけを調べて貰った。
結果は「アレルギー無し」だった。
鮭はどうしても食べたいという食い物ではないのでそのまま再検査を忘れていた。
昨年の暮れ、腱鞘炎がひどく痛みだし、久しぶりに近所のクリニックに出掛けた。
そう言えば、アレルギー検査、アレっきり忘れてたなあ。
で、お願いしておいた「鮭」の計測結果が出ました。
コチラも「アレルギー無し」でした。
じゃあ、4年前のアレは何だったんだろう?
耐えて忍んだこの4年、そばは我慢し鮭さえ喰わず、ってほどのことでもないので、まあ、結果はめでたしめでたし♪
これからは年越しそばも新巻ジャケも心置きなく食べられるというわけですね。
とりあえず、これも「今年の幸運」の1つに加えちゃっときましょうかね♪


1月18日 阪神淡路大震災から20年


その日、僕は心臓のバイパス手術を施されることになっていた。
殺人的スケジュールと暴飲暴食の果てだった。
カテーテル検査をするためには体力が無さすぎる。
入院から3週間、身体の回復を待ち、3本のバイパスをつくることになった。
手術の朝、6時に起こされると、TVの中で街が燃えていた。
ほぼ無音の画面からは事情が全く伝えられず僕は燃える街を見ていた。
「あんまり被害がひどくならないとイイね」
と言ったら隣のベッドの桜庭さんから
「山田さん、今日は自分のことだけ考えた方がいいんじゃないの」と言われ、僕は間もなく手術室へと運ばれた。
それから4日間、ほとんど記憶がない。
これで心臓の問題はすべて片付いたのかと思っていたら、バイパスは10年が寿命なのだそうだ。
10年経ったら再手術、というのは周知の事実らしかったが、僕は格別な不都合を感じなかったのでそのまま19年も放ったらかしていた。
時々、気が遠くなる症状が起きたのが去年6月。
それもそのはず、1日に18回も心拍停止していたらしいのだが、深夜帯に多かったらしく、そんな大事とは感じていなかった。
急ぎ、夏に3回の入院で2回の手術をした。
結局、最後はペースメーカーを植え込まれて(くどいようだが「埋め込み」ではないらしい)しまい、現在、は電池と薬だけで動いてる。
なんかの加減で電池が作動不良を起こさない限りはどうやら長生き態勢に入ったことになるんだろうか?
ギランバレー症候群を抱えたまんま長生き態勢に入って幸せなのかな?
でも、ギランバラー完全克服の全貌が自分自身で確かめられるのなら、この難病と闘う人へ多少の寄与となるのかな?
もう少し生きてみよう、と思った阪神淡路大震災から20年目の夜でした。
いが

1月16 日 録音初め

FMさがみ
1/24日分と2/7日分とを録りました。
清須さん、kuro-sanと新年初の顔合わせ。
明日はkuro-sanの放送を、そして来週は僕のも聴いてやってください。
特に2/7(土)分は是非是非お聴きください。



1月6日 本日「リハビリ初め」で「トントントントンヒノノニトン」


「初」を「そ」とか「ぞ」と読む時、必ず思い出してしまうことがある。
深夜3時文化放送の『走れ!歌謡曲』のADをバイトにしていた時のことだ。
同番組は東海ラジオとラジオ大阪とも手を結び、主に深夜の長距離輸送のドライバーをターゲットにしていた。
東海と大阪からのリクエストは東名、名阪のサービスエリアで募り、今で言う「トラック野郎」たちを大事にしていた。
スポンサーは日野自動車。
パーソナリティーは女子アナ3人、ジャズ番組MC、交通情報の超人気お姐さん、バックコーラスのディーバの6人で、まだ1時~3時に『セイ!ヤング』も誕生していなかった頃だから大反響を呼んだ。
初回は1968年11月19日(月曜深夜火曜朝)。
彼女たちに随くバイトのADは3人。週2日づつを担当。
採用条件は「深夜放送は初めての試み。パーソナリティーが話に詰まったらすぐ台本を書いて渡せる者」で、後の朝ドラ作家松原敏春、後のWAHAHA本舗主宰者喰始、そして僕とがその初代バイトにありついた。
夜11時に局入りした僕らは最初に東海と大阪両局の当日担当アナに電話してリクエストの集計をするのが決まりだった。
両局の担当コーナーもあり、当然女子アナが起用されていたから番組の華やかさは巷で大評判となりターゲットのトラックドライバーの他に高校生や大学生のファンがついた。
1年後には人気も本物になり、公開録音などイヴェントも企画されたが6人のパーソナリティーはこれを嫌がった。
当然である。客は男ばかり。
中高生辺りの男の集団はどれ程のことでもなかろうが、大学生と長距離輸送のドライバーたちにジーっと見つめ続けられているとしたら…。
バイトの僕らが見ても一種異様な空気が漂っていた。
ちなみにこの番組から生まれたのが1969年の名曲として由紀さおりがカバーしている『私もあなたと泣いていい?』(三沢郷作詞作曲/兼田みえ子唄)と「レモンちゃん」こと落合恵子さんだ。
バックコーラスシンガーだった西条ゆり子さんは番組担当中に作詞家千坊さかえとして売れ始めボーカルトレーナーを務めていた青江三奈さんに書いた『国際線待合室』で100万枚超えのヒットを放った。
彼女が本当に凄いのは僕に業界裏話を決してしないことと、100万ヒットのあとも少しも人柄が変わらなかったことだ。
同じことは落合さんにも言えて、僕がパーソナリティーに転じたあと見倣ったのはいずれも僕がアシストした西条さん、落合さん、そして文化放送の女子アナ長野悦子さんのお三方だ。
ま、この番組に関してならひと晩は語れる。
そんな注目番組だから起きたとも言えるのが島崎藤村『初恋』事件だ。
ある週の担当コーナーで東海ラジオの●●さんが「今日は私の大好きな詩を読みます」と突然、
「まだ上げはじめし前髪の」
と始めてしまった。
担当日でなかったので僕はそれをラジオで聞いていたのだが、
「そめし、そめし、そめしだよ! アチャー、こりゃイカん!」
思わず声に出してしまった。
誤読した彼女に非があるのは間違いないのだが、ま、深夜4時近くの出来事。
通常なら知らん振りすることも出来た。
だが、この番組は日野自動車が社運を賭けてスタートさせた番組だ。
昼休み、日野自動車ではその日の放送が社内放送で流れ、全社員がそれを楽しみにしていたのだそうだ。
その日を限りに●●さんは放送から消えた。
「リハビリ初め」と書いた瞬間、僕は『初恋』事件を思い出した。
「鼓舞」を1分間に3回も「こまい」と読み続けてもニュース番組をやっている人もいる。
交通情報で読めないICの名が出てきたので「交通速報が入りました。……交通には何の異常もありません」とやってのけた人もいる。
「そめし」の読み違いだけで…と思わないでもないが有名すぎた詩、「一番好きな」という振り、熱心なスポンサー、と条件が重なりすぎの上に、この詩、「初めし」が何度も出てくるのよね。
余談ですが、この社内放送のせいで西条ゆり子さんはかなり早い段階で番組を降ろされかけた。
日野の社員に人気がなかったのだ。
だが、彼女はこの番組を10年も続けた。
それは日野の番組担当者の熱心さの賜物でもあったらしい。
彼はモニターを頼んでいた隣家の大学生の意見を尊重したらしいのだ。
大学生はこう言ったらしい。
「一番好きなのは西条ゆり子。性格が良くってハスキーな声が魅力的」
そう、深夜放送は昼に聞くものじゃない。深夜に聴いてこそのモノ。気づく部分もおのずと違うのですね。
担当の方もよく社内を説得してくれたと思います。
ラジオに関わる人たちが熱かった頃の話、と言ってしまえばそれまでですが…。
さらに余談:1
藤圭子さんの『新宿の女』は売れるまで時間がかかりました。作詞家で圭子ちゃんのマネージャーだった石坂まさを先生は圭子ちゃんを連れてほとんど毎週番組に売り込みにこられました。
なので、売れる前の圭子ちゃんに一番会ってるラジオ関係者は僕じゃないかと思ってる。
石坂先生は僕に自分が持ってるブルーインパルスというGSの作詞を依頼してきてくれたんだけど、賄賂を受けとるみたいなものなんで書かなかった。
さらに余談:2
喰ちゃんと意見が一致してるのは『長崎は今日も雨だった』は「俺たちが流行らせた」。
同曲は確か1969年2月の発売。
いい歌だけどこの季節の発売はないだろ!
雨の季節まで掛け続けてみようよ。きっと当たるよ。
結果はご存じの通り。
ラジオからのヒットが多いのは選曲の自由が利いたせいね。
しかも俺達みたいな勝手なADもいた。
自分のレコードをヒットに出来なかったのは作品の力のせいもあるけど、なんかそれはいけない気がして遠慮しちゃったね。
格好の場にいたのにね。何であんなにいい子ぶってたんだろ♪