2014年8月30日土曜日

8/30(土) 本日の『どこかでラジオが』

本日の『どこかでラジオが』
(FMさがみ 毎土曜23:00~0:00)

今日はお便りを読みっ放しの予定でしたが、コラアゲンはいごうまん君と、3ガガヘッズのパーマイ雅晴君、正源敬三君の3人が飯喰いましょう、とスタジオに遊びに来てくれたので、番組に出てもらってしまいました。
コラアゲン君は日本中を旅し、3ガガは世界を旅しています。
旅対決ではないけれど面白い収録になりました。

曲は
①ミーナ&森山加代子
 『月影のナポリ』
②アンソニー・パーキンス&ミッキー・カーチス
 『月影の渚』

サイマルラジオ、その他のアプリでお聴きください。
リクエストやお手紙も募集しておりますのでよろしくどうぞ♪

左から かぜ、コラアゲン、パーマイ、丈二君、正源、kuro-san。





2014年8月28日木曜日

8/27(昨日) プチ快気祝い

8/27(水)の午後、友人の津布久さん、hecoちゃん、菅谷さんのお三方が我が家を(「拙宅」とか言ってみたいが、どうも似合わないんだよな、俺ン家)訪れてくれ、なんとなく、なんとなく、まことになんとなく、「プチ快気祝い」なるものが始まった。
「プチ快気祝い」なる言葉も津布久さんのFBへの投稿で「ああ、3人で快気祝いをしに来てくれたのかあ」と認識したほど。
昨日の連絡を菅谷さんからFBの「メッセージ」でもらった時には実のところ、あ、3人で遊びに来てくれるんだあ、嬉しいな♪ という独居老人宅に茶飲み友達が来てくれる感覚。
なので掃除機は掛けたが拭き掃除までは手が回らない内、予定の時間になってしまった。
ま、茶飲み話だけならこれでも良いんでしょうけど、快気祝いとなると受け入れ体制が十分じゃないぞ。
しかし、そんなことにはお構いなしに会は山もなく谷もなく、構成的にはグズグズのまま、それなりに楽しく進行しているのであった。
赤飯をいただき、フランスパンにカマンベールチーズを乗せ、あるいはマヨネーズあえの高級コンビーフ乗せ、など満腹に近づいた頃、やおら登場したのが葡萄。
僕は種を出すのが億劫、でも種はとらなきゃイヤ、という理由だけで葡萄をあまり食べない。
子供の頃、大好きだったスイカもほぼ同じ理由で遠ざけた。面倒なのがイヤ。ただそれだけだ。
ところが今日の逸品は見た瞬間に、単純に、「喰いたい!」と思った。
緑と紫の色の取り合わせ、粒の大きさ、その上、なんと!、種がない、皮ごと食べられる、というではないか♪♪♪
実は、この葡萄は一昨日、hecoちゃんが宅急便で届けてくれたもので、多分、当日、みんなで食べるためのものだな、と中身も確かめず冷蔵庫に入れておいた。
イヤ、中身を見てしまい、一粒でも味わってしまっていたら、葡萄たちはみんなを唸らせることは出来なかったね。意地汚い僕は一粒残らず喰い尽くし、「hecoちゃん、ごちそうさま。昨日いただいたもの、すごく美味しかった」程度で済ませたに違いない。ヘッ、ずるい奴だ。
しかし、美味しいものこそみんなで食べるものですなあ♪
ま、とにかく美味しさにビックリ!
シャぶりついてしまいまして、アッという間に2房完食。
イヤ、久しぶりに楽しく美味しく食事をした気になりました。

お三方は夕刻には帰られましたが、菅谷先生の勤務先が比較的近くにあることが判ってから、我が家は以前より人の訪れが多くなっています。

菅谷先生が何度か来てくれた、ということもあるんだけど、なんか人が訪れやすい家になり始めたのかなあ。
少し、賑やかになると妙にはしゃいでる自分に気づいた昨日でした。


8/27(水)の午後、友人の津布久さん、hecoちゃん、菅谷さんのお三方が我が家を(「拙宅」とか言ってみたいが、どうも似合わないんだよな、俺ン家)訪れてくれ、なんとなく、なんとなく、まことになんとなく、「プチ快気祝い」なるものが始まった。
「プチ快気祝い」なる言葉も津布久さんのFBへの投稿で「ああ、3人で快気祝いをしに来てくれたのかあ」と認識したほど。
昨日の連絡を菅谷さんからFBの「メッセージ」でもらった時には実のところ、あ、3人で遊びに来てくれるんだあ、嬉しいな♪ という独居老人宅に茶飲み友達が来てくれる感覚。
なので掃除機は掛けたが拭き掃除までは手が回らない内、予定の時間になってしまった。
ま、茶飲み話だけならこれでも良いんでしょうけど、快気祝いとなると受け入れ体制が十分じゃないぞ。
しかし、そんなことにはお構いなしに会は山もなく谷もなく、構成的にはグズグズのまま、それなりに楽しく進行しているのであった。
赤飯をいただき、フランスパンにカマンベールチーズを乗せ、あるいはマヨネーズあえの高級コンビーフ乗せ、など満腹に近づいた頃、やおら登場したのが葡萄。
僕は種を出すのが億劫、でも種はとらなきゃイヤ、という理由だけで葡萄をあまり食べない。
子供の頃、大好きだったスイカもほぼ同じ理由で遠ざけた。面倒なのがイヤ。ただそれだけだ。
ところが今日の逸品は見た瞬間に、単純に、「喰いたい!」と思った。
緑と紫の色の取り合わせ、粒の大きさ、その上、なんと!、種がない、皮ごと食べられる、というではないか♪♪♪
実は、この葡萄は一昨日、hecoちゃんが宅急便で届けてくれたもので、多分、当日、みんなで食べるためのものだな、と中身も確かめず冷蔵庫に入れておいた。
イヤ、中身を見てしまい、一粒でも味わってしまっていたら、葡萄たちはみんなを唸らせることは出来なかったね。意地汚い僕は一粒残らず喰い尽くし、「hecoちゃん、ごちそうさま。昨日いただいたもの、すごく美味しかった」程度で済ませたに違いない。ヘッ、ずるい奴だ。
しかし、美味しいものこそみんなで食べるものですなあ♪
ま、とにかく美味しさにビックリ!
シャぶりついてしまいまして、アッという間に2房完食。
イヤ、久しぶりに楽しく美味しく食事をした気になりました。

お三方は夕刻には帰られましたが、菅谷先生の勤務先が比較的近くにあることが判ってから、我が家は以前より人の訪れが多くなっています。

菅谷先生が何度か来てくれた、ということもあるんだけど、なんか人が訪れやすい家になり始めたのかなあ。
少し、賑やかになると妙にはしゃいでる自分に気づいた昨日でした。





2014年8月21日木曜日

8月20日(水) 昨日のこと

取材

日刊スポーツの小谷野さんが暑い中、こんな遠くまで来て下さいました。
小谷野俊哉(コヤノトシヤ)さんは中居くんの『ミになる図書館』(テレビ朝日系 火曜日 午後11時台)を初めテレビ出演などもされているベテラン記者。
宅配版土曜日に連載されている『あの人に聞きたい』という2週続きのロングインタビューの「あの人」に僕を選んで下さったわけです。
僕を知ってて下さるのですから、当然、深夜放送族。2時間半も愉しくお話しさせて戴きました。
早ければ来週と再来週、2回連続での掲載になるそうです。

残念だったことがひとつあります。
実はこの町には喫茶店と呼べるような店がなく、駅から一番近くて静かなのは駅の構内にある改札口横の店だけ。
ところがその店、今日が定休日だったようで、急遽、ガストに変更して貰ったのですが、なぜか本日大繁盛。
雑音の中での(と言うのは僕側の見方で、店全体から言えば僕の声も雑音の一つに過ぎないんだけど)インタビューとなりました。

独居老人になってから僕は喋りすぎます。
特にギランバレー発症以後は電話する元気が無くなってしまったので、blake以外に話し相手がおらず、たまに人に会えると嬉しくてついつい喋りすぎます。
介護認定の調査に来た人にまでやたら喋りすぎて「本当に要介護5と認定されたんですか?」と言われる始末。去年の今ごろは喋れない、食べられない、箸も持てない、歯も磨けない、という状態だったんですから、そりゃ、疑われますわネェ。

ともあれ、騒音に負けまいと、大声で、しかも半分は喜んで喋ってるので、聞きようによってはまるではしゃいでいるかのような感じなんですね。
自分でもそれに気付いてるんだけど、なんか負けまいとして出してる大声がコントロール出来ないのですねぇ。
最近はラジオでも喋りすぎてるんだけど、人に会ってると嬉しくてしょうがないんですよね。
心臓の一件で休んでいた通所リハビリも9月から再開するので、また爺ちゃん婆ちゃん(だから、自分ももう爺さんなんだってばサ)と一緒に体操に励みます。
少し、気も紛れるでしょう。

そんなわけで、小谷野さんの録音機に上手く入っていれば良いがなあ、と思った午後でした。
5時。blakeと桜並木を散歩。
友人Kと丸亀製麺でざるうどんを食べて1日を終えました。

さて、宅配版というのはどうやって手に入れられるのか?
掲載が決まるまでには調べておきますね。

2014年8月16日土曜日

8月16日 昼飯

天気が悪くてベッドから起き上がれず何をする気も起きないが、悲しいことに腹は空く。
で、レタスを千切って揚げ麺を散らして胡麻ドレで。

ほぼ、病院食に準じる昼食です。

田川さんから病気見舞いにいただいた「花夢果夢」製ブルーベリーで初めてジャムを作ってみました。
手間をかけた(ただ要領が悪いだけ?)だけはある美味しさです。
買ったものより美味しくできてるのに感動♪



8/16(土) 『かぜ耕士のどこかでラジオが』

本日の『どこかでラジオが』(FMさがみ 23:00~0:00)

ハックルベリー・フィン篠根丈二君を迎えて、松村光芳(マークさん)を僕たちなりに番組でお葬りしました。

曲は
①携帯電話のなかった時代
②じゃ、またね(丈二君 弾き語り)
③涙の遅刻坂(マーク君作詞 新曲)
④流れ星(丈二君弾き語り)
⑤未来への伝言(ハックルベリー・フィン)

フォークソングに触れた頃、宛て先違いの『流れ星』、遅刻坂エピソード、などマーク君の想い出話などしながら新曲『じゃ、またね』を聞かせてもらいました。
スマホでは「TuneInRadio」で、PCでは「FMさがみ」を検索、そのまま聴くことができます。



2014年7月14日月曜日

古稀ですよ♪

もうすぐ古稀ですね、何かお祝いしましょうよ。
幸せなことに何人もの方たちからお声掛け戴いていた。
その度に「ンー、古稀は、ちょっと、ンー」などと言って「あとで電話させてもらう」と逃げ、そのままにしている内、アッと言う間に誕生月が間近に迫り始めた。

渋っていたにはいくつか理由がある。
①節目の祝いをすると良いこと起こらない人が多いんで、オラしねえ、という全くデータ不明の母の言葉の重さ。そのお陰か彼女は現在91歳。ボケてもいない。
②僕らが古稀の祝いをさせていただいたあとからあんなにお元気だった永六輔さんは不調を起こした。
③高校一年から55年もの友人を今年亡くした。さらに間もなく僕の番組と関わりが深かったバンド「ハックルベリー・フィン」の松村くんが亡くなった。
そして1972年の沖縄の日本復帰に先駆けて71年に僕を沖縄に送り込み、LP3枚組の大作になってしまった識者インタビューと音楽で綴る『沖縄を語るとき~いつか正しい経験をするために』を作らせてくれた超高名プロデューサーK氏の伏せられた死。
これはどう考えても僕にとっては「喪中」ではないのか?

そんなゲン担ぎと迷いなどがあって、実は通常の誕生日のようにスルッと通りすぎたかった。

ところが、その話のあとから時々意識が遠のく事態が起き始めた。
オンや? これは会いたいみんなに会っておかないと、機会はもうねえぞ、ってサインか?

覚悟を決めた。
「みんなにお会いしとこ」

その合間に病院に検査入院。2度にわたる3ヶ所の手術を決めた。
アア、俺って長生きしたい人間だったのかあ。
不思議な気がした。だったらあの不摂生と不始末だらけの人生の後片付けしろよ! そのためになら命を少し伸ばしてやる。
どなたかが何処かでそう言ってくれたような気がした。
どなたかは判らない。多分、僕の中にだけいらっしゃる「御都合神」だろうと思う。

7月13日はすぐにやって来た。関口宏さんにも、長谷川きよしさんにも、中山千夏ちゃんにも、石川秀美さんにも、遠藤章造さんにも、道重さゆみちゃんにも、記憶違いでなければ中森明菜さんにも、ハリソン・フォードさんにも来たはずの7月13日。
今日は久米宏さんにも古稀がやって来ているはずだ。
まあ、来るべくしてくる日なので何がどうした、というわけでは無いのだけど、僕だけは親しい方たちに
"Happy Super 70!"
なる催しを開いていただいた。

まあ、インターネットと『ヤング101復活コンサート』が重ならないと昨日はなかったような気がします。

ネット黎明期にさとなおさんが僕の消息を探してくれ、僕は友達の会社のPCから返事を書き、以後はFAXでお願いします、という今では笑っちゃう始まりだった。
佐藤さんが『たむたむたいむ』web versionの起ち上げの用意をしてくれ、間もなく『ヤング101復活コンサート』の話が持ち上がる。
そこにネットが深く関与したのは当然のことだった。

web版『たむたむたいむ』の最初のoff会には多くの方がやって来てくれたがしぼむのも早かった。
『セイ!ヤング』からのリスナーの大半が姿を消し、『たむたむ』からのリスナーが残った。
Off会が10人足らずで行われたりしたことも。
hecoちゃん、アプリさん、クーコさん、まりもさん、ちはるさん、むつらぼしさん、のほほん君、思えば3.11まではITSUMIさんも常連だったのにね。
やがて、友達で脚本家の高田純が茶室作りのお手伝い募集を僕のサイトでやったことから新しい遊びの形も加わって新大久保までスンドゥブ喰いに行ったり、カラオケしに行ったり、高田くんは晩年、僕らと遊ぶことで、創作のストレスを相当発散出来たんじゃないかなあ。
イベントの時以外、反応しない松前くん、
らんまるくんもまだ、病気しらずで元気だった…。

そして、ハックルベリー・フィン
の再結成とoff会ゲストにコラアゲンはいごうまん君の登場。
僕らはハックルとコラアゲン君のライブに良く付き合いました。
たむたむさん、みんちゃん、花豆さん、りみっとさん、さんがつさん、くすくすさん、あくびさん、静岡からむらさきさん、愛知から田中さん、北九州からアイナプーさん、北海道からWILLさん…。
遠距離からの参加やレギュラーメンバーが揃い始めたのも2006~7年の頃でした。

40年来の聞き手阿鬼羅君に35年ぶり位で会ったのがハックルの大江戸コンサート・ゲストの時だったね。
みんなでお好み焼きを食べに行った暑っい夏の日盛り。

一番星君、むつらぼしさん、りみっとさん、mmさん。もう、このころはいつも一緒だったような気がする。記憶だけだが…。
無糖歯痛君、あなぐまさんにも時々会ったね。

昨日はそこに『涙をこえて』のオリジナル・シンガー、シング・アウトのドラマー、ドンちゃんの同級生で彼の紹介で、勝手に弟子1号となっていた尾関くん、AD時代から人柄を信頼していた四倉君、レコード・デビューに際してジャケ写を撮って貰って以来の長い付き合いになっている栗原さんも来てくれた。

幹事は最も古い僕の聞き手でその美しい字のためか投書は全部放送で読んでいたtsubuさん、ハックルベリー・フィンのコンサートの常連ゲストSSUのギタリストで昨年末からこれまた突然弟子2号となった工学博士Sugayaさん、そして、仕切りはこの人にしてもらうと遺漏の無い石の花アーチストのhecoちゃんらがつとめてくれた。

ここにFBを始めたからこその友達、高岡さんと清水さんも加わってくれて、清水さんは友人Epoちゃんがセンチメンタル・シティ・ロマンスの督夫さんとともに僕向けに歌ってくれた『バースディ・ソング』を持ってきてくれた。
WILLさんはルーペ付き「誕生日新聞」を、アイナプーさんには会場近くに住んでらっしゃる娘さんやお孫さんから直接お花を届けていただいた。
仙台のmamiさんからは会場の皆さんに仙台名物「萩の月」を、山口の片岡さんからも…。
仕事前に寄ってくれたkuro-san、
闘病中にも関わらずやって来てくれた千春さん、同行してきてくれた娘の恵美里ちゃんはすでにプロのアニメーター。イベントごとにイラストを下さる。
フランスの街角でこれ描いて見せたら飛ぶように売れそう♪

そう、色んな方に、熊のプーさんのぬいぐるみ、とか、半袖シャツ、とか、UNIQLOの「ステテコ」、都電サブレ、赤と黒がイカしたタオルなどなどプレゼントを沢山戴きました。
書き落としがあったら御免ね。
中でも嬉しかったのは写真集『Blake』。
帰りつくまで魅入り、眠るまでニコニコし続けました。

そして、もうひとつ、書いたご本人は昨日が僕の誕生日だったことなど知らなかったはず。
日大芸術学部放送学科の金先生が元生徒の一文を載せてくれています。
金達郎先生のプロフィール・ページで昨日の記事を読んでいただけると幸いです。

皆さんのおかげで楽しい一日を過ごさせていただきました。
嬉しい一日でした。
もうちょっと長生きしたいなあ、と考え始めた一日でした。

参加してくださった皆さん、メッセージをくださった皆さん、写真集『Blake』の写真を提供してくれた友人K、編集をしてくれた赤穂くんにも重ね重ね礼を言います。

誕生日をお祝いくださり本当にありがとう。
長生きして、ご恩はいつか…。

残念、これは約束ができませんがまたの機会があることを祈りつつこの1年を大切に生きようと思います♪








2014年6月21日土曜日

またかよ的近況


実は先週末の定期検診の時、24時間、心電図計を装着させられていたんです。
何故、着けることになったかというと、僕は梅雨の時期、というか低気圧の力が強まる時、しばしば不整脈を起こすんです。
胸苦しくなって、フッと気が遠くなりかけるんです。
これは心臓のバイパス手術後、5年目頃から起きるようになって、検診の度、訴えたのですが、答はいつも
「そんな症状がなくなるように手術したんですよ」
そりゃそうだよなあ、と納得するしかありません。
でも、胸苦しくなったが最後、最低2時間、ひどい日は一日中、金魚が酸素を欲しがるみたいにベッドに横たわって喉だけでハアハアと呼吸しながら症状の収まるのを待つしかありませんでした。

改めて言うべきことではありませんが、僕は一般的なこの歳の人間に比べると、自分の症状を主治医に詳しく伝える能力があります。
でも、多くの医者はそういう患者が嫌いです。
「手術したんだからそんなことあるはずないでしょ!」
「大したことでもないのを大袈裟に!」
と怒り出す担当医やあからさまに嫌みを言う担当医もいました。
ま、苦しむのは僕で、あんたじゃないからな。
僕は明らかに年下の担当医たちをそう思うことで許してきました。
ただ、僕はこういった悪意を引き寄せる、なんか変な磁力を持っているんですよね。
それについて様々な評価を下されているのは知っていますが、ま、今は措いといて…。

心電図の異常なんてグラフを見れば解るのだから病院に行けるくらい元気な日には異常は顕れないんですよ。
ですから僕も通常の定期検診で心電図が異常だったことはありませんでした。

1994年6月。あるクリニックで24時間心電図を着けた時、「速やかなる処置を要する」という結果が出たのですね。
担当医のしたことは「ニトロ」の錠剤を12錠出すことだけでした。
その年の12月下旬、僕は仕事に出掛けられないほど疲弊して、初めて心臓が95%ほど機能していないことを知りました。
つまり、残りの5%で仕事をし、動いていたのです。仕事に行くのが辛かったのも道理だったのだ。
手術に耐え得る体力がない、と診断され3週間、病院のベッドの上で体力の回復を待ちました。
1995年、阪神淡路大震災のその日、心臓のバイパス手術。
それから5年後くらいには不整脈の症状が出始めたんだけど、まあ、担当医の対応は前述したものだったわけよね。
2001年、ロサンゼルスのレドンドビーチで半年がかりで本書くことにした際、L.A.の病院に留学していたN大病院のM先生に出会い、僕は病院を変えた。

僕は悪運を引き寄せる力が強いけど、良運を引き寄せる力も結構あるんだよねえ。

2002年のいつ頃だったか、運の良いことに病院で金魚パクパクが起きちゃったんだよね。
すぐに心電図をとると不整脈が発覚した。
「かぜさんのいつも言ってたこと、本当でしたねえ」
M先生もそう言ったくらいだから1/3くらいは、かぜさん、ちょっと大袈裟、と思ってたかもしれないな♪

M先生のおかげで不整脈が収まって、生活は以後、あまり、トラブルなく過ごしてた。

でも、2007年、前立腺手術。
その検査の際、血流の悪い部分があることが発覚。血管の中に土管埋め込みみたいな作業をすることになった。
ステントの取り付け、ってやつですね。
ところが、そのために血管の中で風船を膨らませたら血管が破れて出血しちゃった。
以後はなるべく血管の手術をしないで済むよう、薬で血液サラサラを行ってきたわけです。

でも、バイパス手術ってそれ自体の寿命は10年なんですってね。
つまり、僕のバイパスはそのおよそ2倍働いてくれてたわけ。

イヤ、マ、何を言おうとしているのかと言えば、先週末の心電図計24時間装着で判ったことは、一晩で18回ほど脈と脈の間に長~いマが出来ていることだった。
心房細動? 『ER』でよく聞いた症状なので、あまりいい状態じゃないみたいね。

下手したら、また、手術?
血管、持つんでしょうかねえ?
心配はいくつもあるんですが、ま、来週月曜日に専門病院に検査に行ってきます。