2012年4月16日月曜日
叔母 49日の桜
長い年月、僕のトラウマとなっていた向島体験。
その中心人物であった叔母が逝って47日目の今日、隣町にある「福正寺」で49日法要が営まれ、続いて我が家の墓への納骨が行われた。
「福正寺」を訪れたのはわずかに2度目。
前回は叔母の通夜で東京に出る時、住職をピックアップするために寄っただけ。中に入ったのは今日が初めてだ。
本当はここが我が家の檀那寺ではない。
我が家はごく近所に平安時代からある「平沢寺」の檀家で昔は住職が常駐していた。
僕の本名はその坊主がつけた。病気や怪我に会いやすいというありがたい名前をつけてくれた上、すぐ裏の同級生にも僕と同じ名をつけた。
そいつとは子供の頃から無理矢理ライバル関係を強いられて厄介な思いをした。
坊主は酒と女で身を持ち崩して、寺を去ったという。
僕の小学生頃は管理人こそいたが常駐の坊主はおらず、法要の度、どこからかご住職がやって来たが、それがこの「福正寺」のご住職だったらしい。
実家の冠婚葬祭関係からは逃げ回っていたのでご住職とはこの数年、顔を合わせるようになっただけでほとんど会話らしい会話もしたことはない。
法要に揃った顔ぶれは山田関係では僕の母、二人の妹と、姪。父の弟と妹、その夫。そして僕。
叔母関係は叔母の兄、その娘、叔母の店を最後まで切り盛りした従業員、の三人。
全員との顔見知りはこの種のことにそっぽを向いてきた僕だけ、という変な集まりだった。
我が家の墓は宝暦十年からの墓誌が残っているヘンな墓だ。
僕もやがてこの墓へ入ると思うとなんかソレもヘンだ。
墓の施主は僕の名になっていて、父が亡くなった85年に母が勝手にそんなことをした。
施主である僕は、子供の頃はいざ知らず父が亡くなって以後、この墓の人たちに手を合わせたことがない。バチ当たりと呼んで下さい。
仏壇に手を合わせることも中学で家を出た日以後はしていない。
それなのに僕は納骨の済んだ叔母の墓の前で久しぶりに手を合わせ呟いた。
「叔母さん、本当にコレでお別れだよ。さようなら」
僕のトラウマはこれから徐々に消えて行く。そう思いたい。
今日は本当に妙な1日でした。よくあることなのにね、
とても疲れ切って気づいたら仕事部屋で3時間くらい居眠りしていました。
写真は福正寺の桜。
桜も今年はコレで見納めでしょう。
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1 件のコメント:
3月の父の納骨の時。
メメントモリと彫って父が建てた墓には3つのツボが既にありました。祖父母、叔母。
父のツボを納めるとき、母は置き場所を気にしました。実の母でありながら、死してなお父が嫌い続けた祖母の側では父がかわいそうだと。
ツボは祖母と父、離して納めました。
父は最期まで実の母(祖母)を嫌いました。
私は骨を見て父への嫌悪が消えました。
生きるのが少し楽になりつつあります。
>僕のトラウマはこれから徐々に消えて行く。そう思いたい。
こころから、そう願います。
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