2013年5月30日木曜日

清須邦義 4th アルバム 『REVIVES』 発売

6月から僕の番組『どこかでラジオが』(FMさがみ 毎土曜 23:00 - 24:00)をお手伝い戴くシンガー・ソングライター清須邦義さんのアルバムが発売になります。

何とも愛らしい「猫の歌」から、音楽人生の長旅を共に歩んだ相棒のギターに思いを馳せる「愛の詩」など、心地好い、けれど年輪を重ねないと顕れてこない言葉の数々が綴られています。

番組にお付き合い戴くので甘い点数をつけているのではなく、大人の作った上質なアルバムを是非、お聴き戴きたいと思います。




1. don't worry
2. 風 鈴
3. あいつによろしく
4. lovesongが止まらない
5. gone fishing
6. 畑の宝
7. かたつむり
8. 涙さらして
9. cat cat cat
10. 音の合わないギター
11. さよならサンセット

2013.5.31 on sale
収録曲 オリジナル全11曲

価格¥3,000(税込)
送料別途¥200円(複数枚同一サービス)【限国内】

お申し込みは清須さんのHPから出来ます。
http://www.kiyosuweb.com/


よろしくどうぞ。
ちなみに僕の友人でTVディレクターの金田直人君は「なんだか気持ち良くって一日中聴いちゃった」と言っております。
これが身近で聞いたこのアルバムに対する最初の声で、なるほど的を射ているように思います。

2013年5月26日日曜日

来客あり


もう40年のつきあいになるニッポン放送のディレクター藤井正博さんが4年ぶりに我が家を訪ねてくれた。
藤井さんは僕がニッポン放送で『たむたむたいむ』という番組を持っていた頃、ディレクターとして4年間ついててくれた。
藤井さんは「音楽ディレクター」として入社した人でニッポン放送の長い歴史の中でもわずか2年間しか試みられていない珍しい採用方式で生まれた社員ディレクターだ。
つまり、音楽番組専門のディレクター。
ところが、音楽全盛時代と言っても、番組には様々な種類がある訳だから、好きで得意な音楽番組ばかりに配属される訳ではない。
結局、僕の番組みたいなトーク主体の番組にも付かされた訳だ。

僕の番組には『自作自演の歌』というコーナーがあった。
応募されたアマチュアたちの歌の中から放送に乗せられるレベルの作品を選ぶのには専門の耳が必要だった。
その意味で藤井さんの活躍のしどころは用意されていた訳で、後に番組でレコード化したほどの楽曲がその耳で選び出された。
今に至るも番組屈指の人気曲であるハックルベリーフィンの『流れ星』や後にEPOとなる当時は佐藤永子ちゃんのWITHが歌う『ウェディング・ベル』、たまにーず『星の首飾り』、ピエロのR『まってます』、鈴木和『勿来の浜』など、何とも愛らしい可能性に溢れた楽曲たちが電波に乗った。

だが、藤井さんのセンスの良さが最も発揮されるのはリスナーから届いた詩を朗読するコーナーで、だった。
つまり、詩の後ろに流すBGMの選曲だ。
藤井さんが選んでくれた音楽に乗せて朗読するとすンごく読みやすいのだ。
色んなジャンルの音楽に精通しているのがよく判った。
僕は毎週、気持ち良く番組に臨ませてもらえた。

ま、この番組がラジオ時代の僕のピークなのだけど、その後の低迷期も併せて考えてみるとピークの頃はほとんど良い想い出しかないもンだね。
当然、『たむたむたいむ』の頃の聴き手や関係者と『セイ!ヤング』以降のリスナーや関係者とではつき合い方自体が全く違う。というかその後、全く会うこともない。おそらく会っても恨みつらみの類しか出てこないと思う。
上昇気流に乗り始めた人間を見守っててくれた人たちと下り坂の人間を見ていた人たちとでは僕に対する評価も当然のことながら、かなり違うよね。
藤井さんと今でも楽しく話が出来るのはお互いに力を出し合って坂を登って行った共通の体験やその過程で培った敬愛心と、おそらく無縁ではない。

僕は幸いなことに40代後半にテレビの世界で人生上最大のピークを迎えたんだけど、なんだろう、20年近く経った今もその時代を懐かしむ気持ちは湧いてこない。
学校でテレビに関する講座を持ってしまったことで、現役は退いたつもりなのに実は「完全引退」してないからなんだろうか?
とにかく、僕の中でその時代に対する評価はまだ出来ていない。

アッと言う間に4時間が過ぎ、藤井さんは知り合いの展覧会の閉館に間に合うようにと帰って行った。

一昨日のkuro-san、今日の藤井さん。
ラジオ仲間と連続して会ってなんだか楽しい週末でした。

写真は赤坂のスタジオでkuro-san と。
もう1枚は藤井さんと我が家で。
笑っているつもりなのに表情をなくした爺さんみたいに見えるのがやっぱり気になります。
まあ、ちょっと前より元気そうなのは僕にも判るんですが…。  

2013年5月20日月曜日

『孤独の報酬』

カンヌ映画祭開催の月なのでBS・CS放送では過去の受賞作特集が組まれている。
僕の今月の目玉は5/28日午後9時からWOWOWで放送されるこの1本である。

『孤独の報酬』1963年/英映画
(日本で
は1965年5月公開)
原作 デビッド・ストーリー
監督 リンゼイ・アンダーソン
主演 リチャード・ハリス
   レイチェル・ロバーツ

イギリスでは50年代から「怒れる若者たち」を描くブームがあったらしいのだが、当時の僕に外国映画の流れなんか掴めてはいない。
だって、1962年3月に見た『ウエストサイド物語』が僕の外国映画への目覚めなんだから。

目覚めて間もないのだが以来、狂ったように洋画を見まくり、作品選びの勘のようなものだけは掴みかけていた僕は時勢に傾く形でやがて「アートシアター系」へとのめり込んだ。

1961年末、新宿伊勢丹四ツ谷側向かいに「アートシアター新宿文化」という映画館が出来(1962年本格始動)、それまでなら上映を見送られていたような芸術映画を次々に公開し始めた。
映画の跳ねた夜には実験的な演劇公演も行われた。
「芸術」は僕にはちょっと難解ではあったが、なんとか必死で食らいつき理解しようと努めた。

勿論、1962年が洋画初体験なので62年公開の『野いちご』も63年公開の『二十歳の恋』も見ていない。1964年8月公開の仏映画『かくも長き不在』(監督 アンリ・コルピ)がアートシアター初体験だった。
もう大学2年だった。
なんだかものすごく高尚なものに触れた気がしてこの種のテイストに夢中になった。
アートシアター2度目に出会ったのがイギリス映画『孤独の報酬』だった。
炭坑夫上がりのラグビー選手が下宿先の未亡人に恋してしまう。
男は女に喜んでもらおうと好プレイを連発。チームの要にまでなるのだが、なぜか思いは女に伝わらない。高価な贈り物も優しい言葉も夫人には響かない。
男はやがて凡ミスに終始する無能な選手になってしまうのだった。終わり。
オイオイ、終わりかよ。
映画館から放り出された僕は固く閉ざした心を二度と開かないまま死んでしまった未亡人のその心の裡を知りたいと葛藤する内、いつか主役のラグビー選手と同化して一緒に深い人生の闇間でもがき始めていた。

リチャード・ハリスはこの映画のなかで何種類かの声のトーンを使い分けるという見事な演技術を披露する。
絶望、失望、野望、希望…。
絶望の底、壁を這う蜘蛛を素手で叩き潰した瞬間、僕は彼と共に呻いた。
そういう芝居を知らなかった僕はこの役者にコロリとイカれた。

イカれてから気付いたのだが僕はこの役者にすでに二回イカれていた。
一度目はマーロン・ブランド主演の『戦艦バウンティ』の水夫。2度めはこの映画の上映が遅れていたために先に見てしまったチャールトン・へストン主演の『ダンディ少佐』だ。
二つとも大スター主演の娯楽作品で『孤独の報酬』とは全く味わいが違う。
曲者水夫を演じた『戦艦バウンティ』では逡巡するマーロンの後ろを「ねえ、ま~だァ」と反乱を促して通り過ぎる。その誘い方に挑発水夫のズルさも苛立ちも見えた。
なんだ? この役者、の一回目であった。
『ダンディ少佐』はヒロインが大迫力肉体派美女センタ・バーガーなのでその迫力にいささか食傷した僕はチャールトン・へストンを向こうに回して一歩もヒケを取らない新顔俳優(もう新顔とは言えなかったわけだが)に、なんかスゲエぞ、コイツ、の二度目の出会い。
『バウンティ』とは役の比重が比べ物にならないほど大きくなっていたので、あの、曲者水夫だとはとても気づけなかった。
そう、相手役のセンタ・バーガーよりリチャード・ハリスの方がこの映画ではセクシーなんだ、どういうわけだか。
後に、『男の闘い』でショーン・コネリーを向こうに回したときもなぜかリチャード・ハリスの魅力が際立った。
実際には甘さが皆無なので映画雑誌に登場することも少なく、1977年版『キネマ旬報俳優名鑑』でも彼の写真はない。
そういう男臭い個性になぜ魅かれたのかは解らない。
だが、このテイストの役者にイカれたのはあとにも先にも彼だけだ。

リチャード・ハリスは『孤独の報酬』でカンヌ映画祭主演男優賞を受賞。アカデミー賞にもノミネートされてイギリスからハリウッドへと渡り、以後、20年、主演作が作られるのだが、いかんせんハリウッド・スターの甘やかさはない。
『赤い砂漠』『テレマークの要塞』『キャメロット』『馬と呼ばれた男』『クロムウェル』『ジャガーノート』『オルカ』『カサンドラクロス』『ワイルドギース』etc.
目覚ましい活躍ぶりなのだが、日本での知名度は全く上がらなかった。
おそらくはアメリカでも活躍に比例した評価は得られていなかったんだろうと思う。
アン・ターケルと言うモデル上がりの女優に熱をあげ、共演しているのなども不興を買っていたと言う。
やがてアル中、薬物依存で10年を棒に振り、だが、さすがだ。90年代に甦る。
1990年『ザ・フィールド』で28年ぶりにアカデミー主演男優賞にノミネートされると、徐々に脇へと回って、1992年イーストウッドのアカデミー賞作品『許されざる者』の英国没落貴族のガンマンで見事な落ちぶれ人間を演じてみせた。『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』の爺さんぶりに年輪をみせ、『グラディエイター』『ハリー・ポッター』『モンテ・クリスト伯』では落ち着きどころの見事な大役。
そして2002年、ついに別れの時がくる。遺作は『ハリー・ポッターと秘密の部屋』。
ダンブルドア校長によってなぜか「名優」と呼ばれるのだが、本当にそう思ってたんなら、もっと早く言って欲しかったよ。

今、ネットで「リチャード・ハリス」を検索すると、時々、僕の名前が一緒についてくる。
それは僕が映画の他に、彼の歌声も愛し、番組のテーマソングとして使っていたり、時々、彼の歌った『スライズ』と言う詩を朗読することがあるからだ。
ディスコソングとして知られてしまった『マッカーサーパーク』は彼が創唱した歌で実はミリオンヒットを記録しているが案外知られていない。
『マイボーイ』は彼が2番手を務めた佳作『ワイルドギース』を彷彿させる名唱で森山良子さんがカバーしている。
僕がテーマに使っていたのは『ブルー・カナディアン・ロッキー・ドリーム』。
物語性の強い佳曲で一聴すればきっと好きになると思う。

『孤独の報酬』は僕に長い映画の旅と素敵な歌の旅を教えてくれた記念の作品だ。
機会(機械も?)があったら皆さんにもぜひ見ていただきたい映画です。





2013年5月19日日曜日

下北沢


久しぶりの下北沢は御他聞に漏れず駅の工事中。
改札口まで1度エレベーターを乗り換えなければなりません。
病院終わりの身にはちょっとコタエマシタ。
構内の整備がすっかり終わるのはいつのことでしょうね。
それまではあんまり行きたくなくなっちゃったかも…。

今日は僕らが若い時お世話になった音楽プロデューサー寺本幸司(ゆきじ)さんの個展。
「僕ら」なので、個人ではない。
1972年、僕らの作ったグループ「HELP!」にスポーツニッポンの1ページを毎日任せてくれる、という願ってもない仕事を持ち込んでくれた方が寺本さんだ。

寺本さんご自身は浅川マキ、りりィ、桑名正博らを発掘育成した人ですでに多忙な方だったが、僕らは「寺さん」と呼んで対等にお付き合いさせていただいた。
僕らはその仕事をわずか1年で放り出してしまい、後に脚本家として名を成した高田純、作詞家として成功した石原信一らに成功への道を譲った。
「道を開いてやった」のでないとこがこの話の情けないとこだね。
単に内部分裂で仕事を譲っただけ、という…。

そのグループには後にTVのリポーターになる生江有二(現・ドキュメンタリー作家)、ラジオで売れっ子放送作家となる黒瀬守泰、『サルビアの花』をすでに発表していた相沢靖子、イラストレーターとしては後に推理小説界の寵児となる島田荘司などそうそうたるメンバーが名を連ねることになり寺さんは常に相談役としておそらくは厄介な責務に耐えた。

そんな関係なので僕らはスポニチの文化部長だった小西良太郎さんを中心に何となく名目を作っては寄り合うことが多く、寺さんは今でも大事な相談役だ。
ちなみに僕が敬愛する小西さんは、定年後は役者になるのだ、という積年の夢を叶えて、現在、歌手の川中美幸さんの一座に座員として所属し、部隊ではいつも大役を務めている。
しかも上手いんです。
寺さんは何を思ったのか(が、本人の弁)突然絵を描き始め、今回、個展を開くことになった。

お近くの方はぜひ行ってみてください。
微妙な感想で申し訳ないのですが「なんか楽しめます」
会場となっている下北沢「ぐ BEAT FACTORY」の60年代テイストと見事なハーモニーを奏でていて、そう、なんか楽しめるんです。いいコラボです。
5/26日まで。20日だけ休みです。

写真は会場前で。

2013年5月17日金曜日

朝からピーカン



とっても良い天気なんだが、今日は膝の注射の日。
クリニックの入り口、足拭きマットが汚れてないので、思わず天井に目が行った。
10日前、頻繁に飛来した燕。
彼らの巣に鳴き声も子燕の姿もなかった。
それどころか巣の一部は崩れかけている。
看護師さんに訊くと、どうやらカラスの襲撃を受けて子作りを諦めたらしい。
去年は蛇に侵入されて子が全滅だったんだとか。
「でも、クリニックの周りにいっぱい巣が出来てますから大丈夫だと思いますよ」
だそうだ。
ちょっと安心。

さあ、間もなく診察が始まる。  

ラジオの打ち合わせ 2

今日は授業のあとに西武池袋線中村橋に移動。
駅から3分、練馬美術館の隣のビルの喫茶室で藤島新さんと打ち合わせでした。

新さんは清須さんと同じくNHK-TV『ステージ101』のメンバーだったのですが、勿論、当時はすれ違ったことさえありませんでした。
僕はその番組に『涙をこえて』という歌を書いた、という以上の関わりはなく、出演者たち(すなわちヤング101)との関係は極めて稀薄なものでした。
2001年にNHK『思い出のメロディ』で相当数の「ヤング」たちが集結。それが2003年の「ヤング101」復活コンサートへと広がって行く時、構成の井上頌一さんから手伝いを要請されて彼らとの付き合いも少しずつ深まって行ったのです。
それをきっかけにメンバーそれぞれのHPなどを覗かせてもらっている内、少しずつ人となりにも触れることとなったのです。

新さんにはコンサートの数ヶ月後に1度お会いしていたのですが、僕は彼のHP(と言っていいのかよく判らないのだけど)のBBSを読むのが好きでした。
彼は時折、映画について書いていて、いつも、なんだか良いテイストの作品を紹介していました。
ン? ちょっと観てみようかな、と食指をそそられることが多くて、そのチョイスのセンスに感心してたりしたのです。
ある時、『デブラ・ウィンガーを探して』というドキュメンタリー映画について書かなければならない事態が起きました。
確かめたいことがあって、Amazonへの出品者から急いでDVDを購入したのですが、なんとこれが全く映らない。再生機3台全部ダメ。PCでも失敗。締め切りは迫ってる。
誰かこれを持ってるって話、どっかで読んだか聞いたかしたよな。
このところ、気にして読んでたネット上の映画情報ってどれだっけ、と思ったらすぐに新さんのページが思い浮かんだのでした。
早速、電話させてもらい、借りて、事なきを得たのですが驚いたのはその対応の速さ。感謝と共に僕は尊敬の念すら抱いてしまった。尊敬ではどっか感じが遠いので「敬愛の念」と言い換えるべきかも知れない。ま、ファンになっちゃったのですね。

で新企画を立ち上げるに当たって、なんか藤島さんとやりたいな、と思ったのだ。
そうそう、僕はスマホを使うようになってから、原稿を書くときには決してしないローマ字打ちをしてるので簡便に済ませたいというだけの理由でFB上では「新さん」と馴れ馴れしく言ってるのだけど、会うときはちゃんと「藤島さん」って言ってる。時々は「新先生」とも言ってる。
と言うのも新さんは歌手であると同時にフラワー・アーチストとしても多忙で何人ものお弟子さんがいる。「先生」と呼んでなんの不思議もないお方でもある。

新さんのFBには時々、仕事上不可分な花の写真が載ることもあるんだけど、実は硬派な政治ネタが紹介されていることが多い。
紹介の振りを読んでいて、今の日本の音楽からはメッセージが消えてしまったな~、思うことが何度かあった。
今、必要なのって、メッセージ精神じゃないのかなあ、とふと、考えた。
新さんと「メッセージソング101」なんてコーナーをやってみたいなあ。そう思った。
黒人霊歌の中にある棉花摘みの歌や、ウディ・ガスリーの砂嵐難民のブルースを経て、ピート・シーガー、ボブ・ディラン、PPM、ジョーン・バエズ、下ってブルース・スプリングスティーンやトレイシー・チャップマン、カニエ・ウエスト、レディ・ガガなどのフォークソング以降のメッセージソングの流れや、そこから派生した日本の優れたメッセージソングなど紹介したら101曲はすぐ見つかるんじゃないのかなあ。
そこに新さんのその歌への感想が加わったらかなり面白いものになるんじゃないかな…、なんて考えた。
でも、折角、新さんに出てもらうのだから「101」ファンにも聞いてもらいたい、という損得勘定は当然あった。
で、ヤング101出身者の歌を「1週1アーチスト」ずつ紹介してみたいな、とも考えた。
現役を張り、新しいCDを皆さん作ってらっしゃるのに、一度もどこでも紹介されないなんて勿体なさすぎる。どれほどの宣伝効果があるのかはまだ未知数だけど僕はそれを紹介したいと思ったのだ。5曲くらいは必ずかけられるもの。
それにはその関係者がパートナーとして絶対に必要なんだ。
だって、僕がある日突然、ヤング101の楽曲を1時間丸々かけ始めたらあまりに唐突でしょ?
で、新さんにパートナーをお願いした。
新さんのシンガーとしての存在も印象づけられるし、ちょっと硬派なテーマにも取り組んでもらえる。
僕が「こんなことしたい」と言ってるだけなので、僕だけが暴走してるだけなのかもしれないんだけどま、1回手合わせしてみれば手応えは得られるのじゃないか、と妄想している。
これまでは喋り続けるだけ、の番組作りしかして来なかったんだけど新さん清須さん、kuro-sanの助けを借りて音楽番組をやってみよう思っています。

リニューアル1回目の録音が済んだら改めて報告させてください。

打ち合わせの途中で激しい雨と突風がありましたが、番組の方は順風が吹いてほしいと願っています。

2013年5月10日金曜日

5/9 ラジオの打合せ



今日は東松山の病院で定期検診のあと渋谷まで。6月からリニューアルするラジオの打合せです。
東上線で和光市まで。元町・中華街行きに乗り換えて渋谷まで。
なかなかスムーズに行けたんだけど降りてからがチョッとね。
上りエスカレータだらけで下りエスカレータは一機も見当たらない。
帰りをどうしようかと思案したね。
エスカレータで僕の前にいたお年寄りなんか下り階段だけのこの駅、一人では帰れないよね、多分。
すごく不安そうに渋谷の雑踏に消えて行った。

東急プラザ2階のcafeにて歌手以外にも様々な顔を持つアーチスト、清須邦義さんと。
これまではすれ違い程度の付き合い。
きちんとお喋りするのは初めてだったかもしれない。
ただ、以前に『涙をこえて』について書く企画があり、その歌を歌ってくれた人たちの来し方については一度かなり詳しく調査している。
ま、それですべてを知った気になっている訳じゃないんだけど、ラジオでのパートナーになってもらうための僕の勘所はそんなに狂ってないと思う。

清須邦義さん。
僕の知る中では新しいことに一番触覚を伸ばしている人だ。
アンテナが錆びていない。面白い話を聞かせてもらうのには最適な人だと思う。
新しい音楽シーンについて色んなニュースを聞かせてもらおうと思っています。
聴く人との接点をどんな風に設定するかは、探りながら、って感じかな? 60歳過ぎの二人が最初っから澱みない旧知のごとき滑らかなトークを繰り広げられるか、と言ったらおそらく無理でしょ。
二人とも訥弁系なので、ま、徐々に、ってことで。
様々な意味で面白い展開になればなあ、と思っています。

ちなみに2 shotは勿論撮りましたが掲載はナシ。
帰りは山手線で池袋まで。
明日の授業に着て行く服を見つけてみたけど高過ぎて手が出せない。
金に糸目をつけずにモノを買ってたのはいつのことだ、とブツブツ言いながら、結局、ユニクロで間に合わせたよ。
高い衣服はもう少し稼げたら、にするワ。
トンカツ「和幸」でロースカツ定食食って午後8時の池袋発。
今、森林公園で発車待ち合わせ中。あと5分で我が家駅である。

2013年5月7日火曜日

燕の巣



中華料理の話ではなくこれは本物の燕の巣。

今日は連休明けで膝の注射の日。
いつものクリニックへ出かけたのだが玄関の軒に時々ツバメが飛来する。
なかなか中へ入ってこないので、目を凝らして見ると何と玄関の軒の内側に巣が作られていた。
道理で泥拭きに枯草が落ちているはずだ。
けれど玄関には開院待ちの客が次々。すでに列を作り始めている。
そうか。
ツバメたちは病院が黄金週間に入って、客も看護士も誰もいない休みの間にセッセと巣作りをしてしまったのだ。

巣は手を伸ばせば届くところに作られている。
目の当たりにするのは久しぶりのことだ。

この辺はしばらく前まで完全な農村地帯だった。
いまでもまだ稲作農家が少し残っている。
で、こうしてツバメもやって来るのだが、軒を貸してくれる家は無くなっているのだろう。

昔、我が家では家の中に巣を作られてしまったことがあり、その夏は遂に玄関の戸を閉めることができなかった。

ツバメは帰巣癖があるらしく翌年も家人がうっかり戸を閉め忘れている間に巣を作ってしまい、それは数年に及んだ。
ツバメが渡って行くまでの梅雨時、我が家では夜以外、戸を閉めずに暮らした。
ある年、誰かがツバメが餌取りに出掛けているとき、うっかり戸を閉めて野良仕事に出掛けてしまったことがあり、それを境にツバメは二度と我が家にやって来ることはなかった。

クリニックの軒先のツバメはコレからどうするのだろう。
このひと夏、この軒に餌を運び続けるのだろうか?

さ、クリニックオープン。 話の途中ですが受付へと急ぎますので、これにて御免。  

2013年5月6日月曜日

dog-run RANZAN


午後1時半。
天気が良いので近くのドッグランへ。
前回¥500-だったのに、今日は¥700-になってた。
「一面はイべントで使ってるので奥の方で遊ばせてください」
と言うことだったんだけど、隣の囲いに入ろうとしたら、
「こっちで一緒に遊びませんか」
と誘ってくださる。
有り難く仲間に加えて貰い、ブレイクは音楽に乗って他の仲間と「ストップ」や「オスワリ」を体験した。
一緒に暮らし始めた頃、その訓練はしたのだけど、強制したことはなかった。なので、仲間たちがやるのでそれに倣い、思いの外、素直に従うことにビックリ。
ストップする度に裏返しになっているカードを拾い、そこに書かれた数字の合計点で賞品が戴けるのだが、何とブレイク、128点も獲得して第3位に入ったのでした。
なんか良さげな賞品でしたよ。

時々、怪しい動きはするんだけど、他の仲間にいやがられることなく遊びの時間を終え、集まった人たちの評価は「大人しい良い子ちゃん」。
森林公園でのドッグラン体験はとても大事なものだったみたい。
しかし、事件はそのあと、やっぱり、起きました。
起きないわけ無いような気もしてたんで、逆に納得だったりして…。

子犬の多い囲いから一番遠い、柵の高い囲いで遊んでいる内は良かったんですが、他の犬たちがほとんど帰ってしまったので、最初に逃亡した囲いに移したのが仇となりました。
何と「補修しましたから」と言ってた場所は以前のままだったようです。
ブレイクは前回同様、我々をすっかり油断させてから、トコトコと問題の箇所に近付くと、アッと言うまに草深い田舎道へと走り去ってしまいました。

まあ、すぐに戻るとは思ってたんだけど、のんびり帰りを待っていたんでは、仲間に迎え入れてくれたイベント関係者たちが帰路につけない。
僕はまた廃屋となりつつある実家への道を歩いた。

僕が実家の庭にたどり着いた時、後ろから
「か~ぜさん、帰ってきたよーォ」
と友人Kの呼び声。
一件落着。イベントの人たちに挨拶して帰ってまいりました。

訊けばイベント主催者は近所で動物用ケア商品を扱うお店。
ぜひ、一度うかがってみようと思う。

考えてみるとブレイクはドッグランにいる間じゅう一言も発していなかったが、あれでコミュニケーションは出来ているのかな?

帰り道はデジカメプリント中にいつものうどん屋で「すき焼き鍋うどんセット」。
冬物の洗濯物を受け取って午後6時帰宅。
沢山遊んだブレイクはさすがに満足したようで、大人しく眠りにつこうとしています。
めでたしめでたし。チャンチャン。