僕の今月の目玉は5/28日午後9時からWOWOWで放送されるこの1本である。
『孤独の報酬』1963年/英映画
(日本で
は1965年5月公開)
原作 デビッド・ストーリー
監督 リンゼイ・アンダーソン
主演 リチャード・ハリス
レイチェル・ロバーツ
イギリスでは50年代から「怒れる若者たち」を描くブームがあったらしいのだが、当時の僕に外国映画の流れなんか掴めてはいない。
だって、1962年3月に見た『ウエストサイド物語』が僕の外国映画への目覚めなんだから。
目覚めて間もないのだが以来、狂ったように洋画を見まくり、作品選びの勘のようなものだけは掴みかけていた僕は時勢に傾く形でやがて「アートシアター系」へとのめり込んだ。
1961年末、新宿伊勢丹四ツ谷側向かいに「アートシアター新宿文化」という映画館が出来(1962年本格始動)、それまでなら上映を見送られていたような芸術映画を次々に公開し始めた。
映画の跳ねた夜には実験的な演劇公演も行われた。
「芸術」は僕にはちょっと難解ではあったが、なんとか必死で食らいつき理解しようと努めた。
勿論、1962年が洋画初体験なので62年公開の『野いちご』も63年公開の『二十歳の恋』も見ていない。1964年8月公開の仏映画『かくも長き不在』(監督 アンリ・コルピ)がアートシアター初体験だった。
もう大学2年だった。
なんだかものすごく高尚なものに触れた気がしてこの種のテイストに夢中になった。
アートシアター2度目に出会ったのがイギリス映画『孤独の報酬』だった。
炭坑夫上がりのラグビー選手が下宿先の未亡人に恋してしまう。
男は女に喜んでもらおうと好プレイを連発。チームの要にまでなるのだが、なぜか思いは女に伝わらない。高価な贈り物も優しい言葉も夫人には響かない。
男はやがて凡ミスに終始する無能な選手になってしまうのだった。終わり。
オイオイ、終わりかよ。
映画館から放り出された僕は固く閉ざした心を二度と開かないまま死んでしまった未亡人のその心の裡を知りたいと葛藤する内、いつか主役のラグビー選手と同化して一緒に深い人生の闇間でもがき始めていた。
リチャード・ハリスはこの映画のなかで何種類かの声のトーンを使い分けるという見事な演技術を披露する。
絶望、失望、野望、希望…。
絶望の底、壁を這う蜘蛛を素手で叩き潰した瞬間、僕は彼と共に呻いた。
そういう芝居を知らなかった僕はこの役者にコロリとイカれた。
イカれてから気付いたのだが僕はこの役者にすでに二回イカれていた。
一度目はマーロン・ブランド主演の『戦艦バウンティ』の水夫。2度めはこの映画の上映が遅れていたために先に見てしまったチャールトン・へストン主演の『ダンディ少佐』だ。
二つとも大スター主演の娯楽作品で『孤独の報酬』とは全く味わいが違う。
曲者水夫を演じた『戦艦バウンティ』では逡巡するマーロンの後ろを「ねえ、ま~だァ」と反乱を促して通り過ぎる。その誘い方に挑発水夫のズルさも苛立ちも見えた。
なんだ? この役者、の一回目であった。
『ダンディ少佐』はヒロインが大迫力肉体派美女センタ・バーガーなのでその迫力にいささか食傷した僕はチャールトン・へストンを向こうに回して一歩もヒケを取らない新顔俳優(もう新顔とは言えなかったわけだが)に、なんかスゲエぞ、コイツ、の二度目の出会い。
『バウンティ』とは役の比重が比べ物にならないほど大きくなっていたので、あの、曲者水夫だとはとても気づけなかった。
そう、相手役のセンタ・バーガーよりリチャード・ハリスの方がこの映画ではセクシーなんだ、どういうわけだか。
後に、『男の闘い』でショーン・コネリーを向こうに回したときもなぜかリチャード・ハリスの魅力が際立った。
実際には甘さが皆無なので映画雑誌に登場することも少なく、1977年版『キネマ旬報俳優名鑑』でも彼の写真はない。
そういう男臭い個性になぜ魅かれたのかは解らない。
だが、このテイストの役者にイカれたのはあとにも先にも彼だけだ。
リチャード・ハリスは『孤独の報酬』でカンヌ映画祭主演男優賞を受賞。アカデミー賞にもノミネートされてイギリスからハリウッドへと渡り、以後、20年、主演作が作られるのだが、いかんせんハリウッド・スターの甘やかさはない。
『赤い砂漠』『テレマークの要塞』『キャメロット』『馬と呼ばれた男』『クロムウェル』『ジャガーノート』『オルカ』『カサンドラクロス』『ワイルドギース』etc.
目覚ましい活躍ぶりなのだが、日本での知名度は全く上がらなかった。
おそらくはアメリカでも活躍に比例した評価は得られていなかったんだろうと思う。
アン・ターケルと言うモデル上がりの女優に熱をあげ、共演しているのなども不興を買っていたと言う。
やがてアル中、薬物依存で10年を棒に振り、だが、さすがだ。90年代に甦る。
1990年『ザ・フィールド』で28年ぶりにアカデミー主演男優賞にノミネートされると、徐々に脇へと回って、1992年イーストウッドのアカデミー賞作品『許されざる者』の英国没落貴族のガンマンで見事な落ちぶれ人間を演じてみせた。『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』の爺さんぶりに年輪をみせ、『グラディエイター』『ハリー・ポッター』『モンテ・クリスト伯』では落ち着きどころの見事な大役。
そして2002年、ついに別れの時がくる。遺作は『ハリー・ポッターと秘密の部屋』。
ダンブルドア校長によってなぜか「名優」と呼ばれるのだが、本当にそう思ってたんなら、もっと早く言って欲しかったよ。
今、ネットで「リチャード・ハリス」を検索すると、時々、僕の名前が一緒についてくる。
それは僕が映画の他に、彼の歌声も愛し、番組のテーマソングとして使っていたり、時々、彼の歌った『スライズ』と言う詩を朗読することがあるからだ。
ディスコソングとして知られてしまった『マッカーサーパーク』は彼が創唱した歌で実はミリオンヒットを記録しているが案外知られていない。
『マイボーイ』は彼が2番手を務めた佳作『ワイルドギース』を彷彿させる名唱で森山良子さんがカバーしている。
僕がテーマに使っていたのは『ブルー・カナディアン・ロッキー・ドリーム』。
物語性の強い佳曲で一聴すればきっと好きになると思う。
『孤独の報酬』は僕に長い映画の旅と素敵な歌の旅を教えてくれた記念の作品だ。
機会(機械も?)があったら皆さんにもぜひ見ていただきたい映画です。
原作 デビッド・ストーリー
監督 リンゼイ・アンダーソン
主演 リチャード・ハリス
レイチェル・ロバーツ
イギリスでは50年代から「怒れる若者たち」を描くブームがあったらしいのだが、当時の僕に外国映画の流れなんか掴めてはいない。
だって、1962年3月に見た『ウエストサイド物語』が僕の外国映画への目覚めなんだから。
目覚めて間もないのだが以来、狂ったように洋画を見まくり、作品選びの勘のようなものだけは掴みかけていた僕は時勢に傾く形でやがて「アートシアター系」へとのめり込んだ。
1961年末、新宿伊勢丹四ツ谷側向かいに「アートシアター新宿文化」という映画館が出来(1962年本格始動)、それまでなら上映を見送られていたような芸術映画を次々に公開し始めた。
映画の跳ねた夜には実験的な演劇公演も行われた。
「芸術」は僕にはちょっと難解ではあったが、なんとか必死で食らいつき理解しようと努めた。
勿論、1962年が洋画初体験なので62年公開の『野いちご』も63年公開の『二十歳の恋』も見ていない。1964年8月公開の仏映画『かくも長き不在』(監督 アンリ・コルピ)がアートシアター初体験だった。
もう大学2年だった。
なんだかものすごく高尚なものに触れた気がしてこの種のテイストに夢中になった。
アートシアター2度目に出会ったのがイギリス映画『孤独の報酬』だった。
炭坑夫上がりのラグビー選手が下宿先の未亡人に恋してしまう。
男は女に喜んでもらおうと好プレイを連発。チームの要にまでなるのだが、なぜか思いは女に伝わらない。高価な贈り物も優しい言葉も夫人には響かない。
男はやがて凡ミスに終始する無能な選手になってしまうのだった。終わり。
オイオイ、終わりかよ。
映画館から放り出された僕は固く閉ざした心を二度と開かないまま死んでしまった未亡人のその心の裡を知りたいと葛藤する内、いつか主役のラグビー選手と同化して一緒に深い人生の闇間でもがき始めていた。
リチャード・ハリスはこの映画のなかで何種類かの声のトーンを使い分けるという見事な演技術を披露する。
絶望、失望、野望、希望…。
絶望の底、壁を這う蜘蛛を素手で叩き潰した瞬間、僕は彼と共に呻いた。
そういう芝居を知らなかった僕はこの役者にコロリとイカれた。
イカれてから気付いたのだが僕はこの役者にすでに二回イカれていた。
一度目はマーロン・ブランド主演の『戦艦バウンティ』の水夫。2度めはこの映画の上映が遅れていたために先に見てしまったチャールトン・へストン主演の『ダンディ少佐』だ。
二つとも大スター主演の娯楽作品で『孤独の報酬』とは全く味わいが違う。
曲者水夫を演じた『戦艦バウンティ』では逡巡するマーロンの後ろを「ねえ、ま~だァ」と反乱を促して通り過ぎる。その誘い方に挑発水夫のズルさも苛立ちも見えた。
なんだ? この役者、の一回目であった。
『ダンディ少佐』はヒロインが大迫力肉体派美女センタ・バーガーなのでその迫力にいささか食傷した僕はチャールトン・へストンを向こうに回して一歩もヒケを取らない新顔俳優(もう新顔とは言えなかったわけだが)に、なんかスゲエぞ、コイツ、の二度目の出会い。
『バウンティ』とは役の比重が比べ物にならないほど大きくなっていたので、あの、曲者水夫だとはとても気づけなかった。
そう、相手役のセンタ・バーガーよりリチャード・ハリスの方がこの映画ではセクシーなんだ、どういうわけだか。
後に、『男の闘い』でショーン・コネリーを向こうに回したときもなぜかリチャード・ハリスの魅力が際立った。
実際には甘さが皆無なので映画雑誌に登場することも少なく、1977年版『キネマ旬報俳優名鑑』でも彼の写真はない。
そういう男臭い個性になぜ魅かれたのかは解らない。
だが、このテイストの役者にイカれたのはあとにも先にも彼だけだ。
リチャード・ハリスは『孤独の報酬』でカンヌ映画祭主演男優賞を受賞。アカデミー賞にもノミネートされてイギリスからハリウッドへと渡り、以後、20年、主演作が作られるのだが、いかんせんハリウッド・スターの甘やかさはない。
『赤い砂漠』『テレマークの要塞』『キャメロット』『馬と呼ばれた男』『クロムウェル』『ジャガーノート』『オルカ』『カサンドラクロス』『ワイルドギース』etc.
目覚ましい活躍ぶりなのだが、日本での知名度は全く上がらなかった。
おそらくはアメリカでも活躍に比例した評価は得られていなかったんだろうと思う。
アン・ターケルと言うモデル上がりの女優に熱をあげ、共演しているのなども不興を買っていたと言う。
やがてアル中、薬物依存で10年を棒に振り、だが、さすがだ。90年代に甦る。
1990年『ザ・フィールド』で28年ぶりにアカデミー主演男優賞にノミネートされると、徐々に脇へと回って、1992年イーストウッドのアカデミー賞作品『許されざる者』の英国没落貴族のガンマンで見事な落ちぶれ人間を演じてみせた。『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』の爺さんぶりに年輪をみせ、『グラディエイター』『ハリー・ポッター』『モンテ・クリスト伯』では落ち着きどころの見事な大役。
そして2002年、ついに別れの時がくる。遺作は『ハリー・ポッターと秘密の部屋』。
ダンブルドア校長によってなぜか「名優」と呼ばれるのだが、本当にそう思ってたんなら、もっと早く言って欲しかったよ。
今、ネットで「リチャード・ハリス」を検索すると、時々、僕の名前が一緒についてくる。
それは僕が映画の他に、彼の歌声も愛し、番組のテーマソングとして使っていたり、時々、彼の歌った『スライズ』と言う詩を朗読することがあるからだ。
ディスコソングとして知られてしまった『マッカーサーパーク』は彼が創唱した歌で実はミリオンヒットを記録しているが案外知られていない。
『マイボーイ』は彼が2番手を務めた佳作『ワイルドギース』を彷彿させる名唱で森山良子さんがカバーしている。
僕がテーマに使っていたのは『ブルー・カナディアン・ロッキー・ドリーム』。
物語性の強い佳曲で一聴すればきっと好きになると思う。
『孤独の報酬』は僕に長い映画の旅と素敵な歌の旅を教えてくれた記念の作品だ。
機会(機械も?)があったら皆さんにもぜひ見ていただきたい映画です。
1 件のコメント:
wowowは観れないので、残念。
若き日のリチャード・ハリスさん、観てみたい。
ダンブルドア校長は断然、初代、ですよね。
なんなんだろう、やっぱり、イギリスの俳優さんって、
どこか知的です。
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