2014年2月26日水曜日

2月24日

25年ぶり

懐かしい、と言うにはあまりに久しぶりの来客があった。
ちょうど『セイ!ヤング』を始めた頃から終わりまでのおよそ2年、僕は音楽事務所に所属していた。
その事務所で僕の担当をしてくれていた「恵子ちゃん」である。

恵子ちゃんは吉本美代子ちゃんにそっくりの美人マネージャーで僕をシッカリ管理してくれた。
おそらく僕は彼女の仕事ぶりに不平や不満を言ったことはなかったと思う。
とてもいい関係だったので他の所属作家から「恵子ちゃんはかぜさんの仕事ばかり取ってくる」と嫉妬されたことさえある。

僕が事務所を離れて何年か経った頃、彼女は遠く青森に嫁いで行った。
お相手は新人歌手の売り込みに出掛けた「ねぶた祭り」の元締め。タレントを売らないで自分を売ってきた、とみんなにからかわれたらしい。
ミッチョン似だから、駆け出しタレントより彼女の方が目立っちゃうのは仕方ない。

嫁ぎ先は武内製飴所(セイタイジョと読むらしい)という創業155年の老舗水飴屋さんである。
林檎の蜜を砂糖と水飴で煮詰めた甘味料「紅玉蜜」というヒット商品を持っている。
で、当然のことながら毎日が大忙し。今回は大学生の娘さんのアパート契約更新に立ち合うために上京した。その合間を縫って訪ねてくれたのだが、まあ、相変わらずチャーミングな「恵子ちゃん」でしたね。
勿論25年のあれこれがわずか5時間で語り切れるわけもなく、再会を約してさよならしたのですが、ここ何日かよく人が訪ねてくれます。藤井さん、藤田くん、恵子ちゃん、そして明後日は菅谷さんと萩原くん。
このまま、いい春に突入してくれるといいなあ、とつくづく思う今日でした。





2月23日

退院から1ヶ月

病院から戻って1ヶ月経った。
戻った当初はこれからしたいこと、しなければならないこと、の準備で元気一杯だった。
何人かに電話し、退院報告やらコレからの相談をした。
疲れ知らずだった。
通所リハビリも苦にならなかったし、リハビリ用品も買いに出て、家での自主トレーニングにも余念がなかった。
ところが10日もすると突然、疲れが出てきた。
元気一杯のはずが精一杯になり始めた。
朝ごはんと洗濯だけで疲れる。洗濯物を干してしまうともう買い物に出る気も夕飯を作る気もしない。
TVを見るのも億劫で、見逃した映画も見る気が起きない。
何か1つの用事をこなすとそれだけで1日が過ぎてしまうようになった。

つまり、体力が「思い」について行けないのですね。
思えば病院は楽でした。
掃除も料理も洗濯も人任せ。1日の予定も人任せなんだもの。
従うだけ。考える必要もない。
だから、疲れなんか全く知らずにすんだ。

ところが家では結構雑用があるんですよね。
水が飲みたくなります。
10:00~12:00はリハビリの時間です。
階段の昇り降り1日5回です。
郵便物取りに出ます。
電話も出ます。
Blakeの頭も撫でてやらなくてはなりません。
かまってもらおうと擦り寄ってきた愛犬に知らん顔はできません。
普通なら何でもなかったはずのそんなことがひとつの用事として数えなければならないほど体力はなくなっていたんですね。
なんせ中腰という姿勢が無理なので寝転んでしまったBlakeを撫でるには低い椅子を運んでこなければなりません。

相変わらずウドンは啜れませんし、厚いコップの飲み物はこぼれます。
レトルト食品の「ここを開ける」は決して開きませんし、財布から小銭を取り出すのも時間がかかります。
脚はまだ痺れていますし指の感覚も戻っていません。
誰かと楽しく話をしながらなら10分歩けることは判ったのですが、一人で10分はまだ無理です。
首を通す物を着るときは椅子に座らないと転びます。
ちょっとした動作に危険が一杯です。

出来ないことを挙げるとこんな風に切りがないのですが、いつまでもそんなこと言ってられないしね。
2月中には仕事態勢に持ち込むべく部屋を片付け始めています。
とは言え2時間のリハビリも欠かせませんのですが…。

仕事への意欲も少し湧き始めたので始動に向けて歩き出そうと思います。
まずはスケジュールを入れてしまいました。

4/18(金) 19:00~21:00
日暮里プロモボックス
トークショー

詳しいことはまもなくお知らせできると思います。

近況報告のつもりが宣伝になり始めましたので、今日はこの辺で。

節分

鬼は内

で知られる鬼鎮神社の豆撒きに行ってみた。
とは言っても、鬼鎮様が有名らしい、ということ自体、15年くらい前まで知らなかった。
去年は豆撒きの時間を確かめずに出掛けたので閑散とした境内を散策しただけみたいなものだった。
今年はさすがに豆撒きのその瞬間に立ち合いたいと思って出掛けたのだが、こんな身体なのでねえ、人混みの中に入るわけには行かない。
で、一番外側から眺めることにしたのだが、昔もこんなものだったかしらねえ。
人の混み具合は今日の方が多いと思うんだけど、何かねえ、祭の気分というかテンションというか、低いんだよねえ、熱くない。
昔より演出は大仰に、派手になってると思うんだけど、何だろう? 全体に静か過ぎる感じ。
どこの祭も、今ではみんなこんなもんだろうかねえ?

昔は忙しい野良仕事の合間合間、例えば春の花祭、夏の七夕、お盆、収穫後の秋祭り、お正月、節分、と年に数回の小さな息抜きとして祭は存在したのかも知れない。
楽しみの少ない農家の人々が祭の日にだけ弾けたのは当然なのかもしれないなあ。

僕は小学校最後の節分に100円貰って鬼鎮様に来たことを思い出した。
前の年の何月号だか、とにかくえらく月遅れの月刊誌『相撲』を屋台の古本売りから70円で買って、豆をいくつぶか拾って帰った。
『相撲』は貪るように熟読した。
年数回の村祭は僕にとっては『相撲』が買える数少ないチャンスだったので、歩いて小一時間かかる隣町の祭にまでよく出掛けた記憶がある。

まあ、祭を心待ちにしているような子は今はあんまりいないでしょうね。
楽しいことはそこらじゅうに転がってるものね。
思えばあの頃はラジオしかなくて、雑誌も学年誌しか買ってもらえなくて、僕の楽しみと言えば古本の屋台が出る祭の日とラジオから流れる古賀さと子のレギュラー番組と『新諸国物語』を雷雨の日以外は欠かさず聴くことくらいしかなかったんだよね。
そんなこと思い出してどうなる?みたいな昔の節分を振り返りながら、そうね、多分、演出が加わった割りには赤鬼が豆を撒いているとき、青鬼が下向いて撒くための豆を掬ってる、みたいな、赤青揃って同じ掛け声とと共に一緒に豆を撒く、というような細かい配慮の欠けた演出のせいなんだ、なんて気づいちまった。

威勢が足りないのでなんだか穏やかに祭は終わった。
まあ、豆の撒き方にまで文句つける僕も僕だが行事を単なる行事として片付けるとこんな風に行事はつまらなくなって行くのだなあ、と思った今日でした♪♪