2015年3月24日火曜日

お花見 蛇足


以前から「嵐山渓谷のお花見」は噂には上っていたのだけど、昨日、blakeと散歩していたら、カステラ工場の桜が一斉に開き始めていた。
で、どうしようねえ、みんなのスケジュール合わせてると葉桜になっちゃうねえ、と相談したら津布久さん、菅谷先生、hecoちゃんのお三方がすぐに案内状をつくってくれた。
花見しながらお茶でも飲みましょ、という気軽な集まりなのでいろんな方におしらせしています。
超大忙しの方から九州や北海道、はては海外の方にまでお知らせが届いてると思いますが、季節の便りと思っていただけると幸いです。
ちなみに僕の住む「武蔵嵐山」というところは一応観光地です。
最近は木曽義仲が産湯に浸かった神社が売りになっているのですが、昔は源平合戦「鵯越の逆落とし」で馬を担いで坂を降りた怪力の武将、畠山重忠公
お花見
以前から「嵐山渓谷のお花見」は噂には上っていたのだけど、昨日、blakeと散歩していたら、カステラ工場の桜が一斉に開き始めていた。
で、どうしようねえ、みんなのスケジュール合わせてると葉桜になっちゃうねえ、と相談したら津布久さん、菅谷先生、hecoちゃんのお三方がすぐに案内状をつくってくれた。
花見しながらお茶でも飲みましょ、という気軽な集まりなのでいろんな方におしらせしています。
超大忙しの方から九州や北海道、はては海外の方にまでお知らせが届いてると思いますが、季節の便りと思っていただけると幸いです。
ちなみに僕の住む「武蔵嵐山」というところは一応観光地です。
最近は木曽義仲が産湯に浸かった神社が売りになっているのですが、昔は源平合戦「鵯越の逆落とし」で馬を担いで坂を降りた怪力の武将、畠山重忠公の居館址で知られていました。
秩父のお殿様重忠公は今では知名度が低くなり、多分、町の人たちも義仲に乗っかりたいのだと思いますが畠山重忠は鎌倉時代の名将の一人。文武両道に秀で浄瑠璃作品にまで登場。相撲の歴史にも「秩父どのさえすまふ取る」と記されていて業績、その他、重忠公の方がどうみても格上なんですけどね。
義仲は生まれたばかりの時、一家全滅となるところを、同じ頃生まれた息子重忠を持つ畠山氏が憐れに思い係累から係累へと義仲を渡し、行き着いた先が木曽だった、のですがね。
今では村の人も重忠公の偉業を知らんみたいね。
重忠公、怒ってらっしゃらないかなあ、と子供の頃から重忠ファンの僕はひっそりと思うのだった。
カステラ工場の桜と義仲メインの我が村。




「かぜさんと嵐山の桜を見る会 with Blake」 4/2開催

「かぜさんと嵐山の桜を見る会 with Blake」
4月2日(木) 13:00~16:00
待ちに待った桜の季節がやってきました!
かぜさんの住む武蔵嵐山の桜の名所でお花見しましょう。
当日は現地集合・現地解散。飲み物、食べ物、ビニールシートなどのお花見グッズは各自持参してください。
集合場所は桜まつりのイベント会場付近です。13時にお待ちしています。遅れる方は、近辺を探してみてください。
東武東上線「武蔵嵐山駅」より徒歩15~20分です。
下記サイトにマップがあります。
http://ranzansakura.iinaa.net/
雨天中止です。
参加される方は3月31日までに幹事・津布久までメッセージにてお知らせください。https://www.facebook.com/shizuo.tsubuku
作成したイベントページがご覧になれる方はそちらで参加表明をお願いします。
幹事:菅谷・古川・津布久
4月4日5日はNWECの屋上9階から展望できます。独立行政法人 国立女性教育会館(NWEC)
RANZANSAKURA.IINAA.NET










2015年3月21日土曜日

3月21日 本日の『どこかでラジオが』

本日の『どこかでラジオが』(FMさがみ 23:00-0:00)
「かぜ耕士の昭和史」今日は1960年(昭和35年)。
高校1年になりました。
この年は1月から『安保、安保』で揺れておりました。
そして6月15日。デモ隊と警察隊との衝突の中で一人の女子大生が圧死します。
1959年、皇太子ご成婚直前に出会った痴漢話と憂鬱だった「イジメっ子」と高校生としてみた安保闘争、の途中まで。続きはまた次回へ。
曲は
①『ブルー・カナディアン・ロッキー・ドリーム』(リチャード・ハリス)
②『誰も知らない僕の名前(2:10,6:18,10:44)』(ロッド・マッケン)
③『ボーン・イン・ザ・USA』(ブルース・スプリングスティーン)
④『アカシアの雨がやむ時』(西田佐知子)
お楽しみいただければ幸いです。

写真はkuro-sanと。


3月16日 取材

FB上の「友達」である山田勝仁さんに取材していただいた。
山田さんは今年の1月末に「日刊ゲンダイ」を離れられたのだけど、記者としては、まだ現役だ。
山田さんのFBへの投稿は「シェア」が多い。
シェアする記事に添えた言葉は1行、もしくはひと言なのだけど、そのリンク先に飛んでみると「なるほど!」「うん、その通り」「www」となることうけあいで毎日楽しみにしていた。
ご自分の写り込んだ写真は大半が芝居のはねたあと。劇場で会った友人知人と楽しげに笑ったり照れ臭そうに微笑んでたりした。
連日の観劇。仕事とは言え、ずいぶんフットワークの良い人だなあ。
それが「友達」になって最初の印象だった。
取材の話をいただいたのはつい10日くらい前だが、場所や日時を決めてから、FB上での接し方にちょっと迷いが生じた。
今まで通り何気なく「いいね!」したり、感想を書き込んで良いのかなあ。
…おもねってる感じがしないだろうか。
それが一番の心配だったのだけど、ま、結局は普通にしていよう、と決めた。
そして、の今日なのだけど、取材の枠は、今の僕にはコレしかない『あの人は今』。
「あの頃」について語ることに僕に躊躇はない。
ナニが出来てナニが出来なかったのか、これからナニが出来るのか、はあの頃の反省の上に立った方がよく判る。
それより、僕は山田さんにお訊きしたいことや、話してみたいことが幾つか(幾つも、かな)あったんだけど、今日は仕事なので無駄話の時間はなかった。
次には仕事抜きでお会いできたら最高だ。
FB繋がりで人数だけ増える「友達の輪」。
でも、このところ、戯曲家・演出家の山崎さん、映像作家のGeeさん、画家の森本さんに直接お会いしてさらに知りたいことが増えた。
衰えるばかりの脳を新しい刺激が幸福感で満たしてくれた。
まず、やらなければならないことを早く片付けて、会いたい人に会おう。久しぶりに北陸新幹線で金沢の坂本善昭君にも会いに行こう。
たまさか行きあっちゃたふりしてコラアゲン君やタマちゃんのライブ現場を訪れたりしたいな。
そのためには早く体を、万全にしないとな。
お会いしたかった人、取材してもらいたかった人、
山田さんにお会いできて急に元気が湧くのを感じた今日の僕でした。
池袋東武デパート4階にて
山田さんと。


2015年3月6日金曜日

3月6日 足が縮んだ


明日、一番下の妹の娘(姪ですね)が結婚する。
東京にいれば今の体型に合った礼服を借りにも行けるのだが、仕方なく自分のもので間に合わせることにした。
体型が元に戻っていないので服もズボンもユッルユルなのだ。
て、ことは、と靴を履いてみたら、何とこっちもブッカブカなのだった。
これまで着脱しやすいようにリハビリ靴を、外出用と運動用の2足揃えていたのだが、2足とも草臥れかけていた。
仕方ない。
式用革靴を買いに出掛けた。
26.5㎝。メーカーによっては27㎝。
高校以来これが変わらぬサイズだった。
ところが、ぬあんと!
26.5㎝ではブカブカなのである。
26.0㎝でも実は少し緩いかな、という感じがするくらいなのだが、もうワンサイズ落とすのはなんだか気分が許さなかった。
それでなくとも、不恰好な歩きしか出来ないのに更に緩い靴でみっともない歩き方をするなんて…。
ホントはそっちの方がもっと格好悪いのに、そんなことは頭じゃ判ってるんだけど、萎縮しちゃった自分の身体を易々と認めてしまうのは何故か癪だった。
手足の痺れが取れたなら26㎝では小さくなって、この靴は今回しか履かないのだからジャストサイズのを買えばよかったのに…。
とは思うのだが、じゃあ、この靴がぴったり来るところまで、身体を取り戻そうじゃないか!
またも、負けず嫌いに火を点けてしまった今日でありました。
写真は一昨日。
blakeと久しぶりの川辺の散歩。



2月24日 一人で電車に乗ってみた



先週土曜。
一昨年の8月以来1年7か月ぶりに電車に乗って目黒まで出た。
東上線武蔵嵐山駅は始発駅から2つ目なのでラッシュ時以外、絶対に座れる。
問題は池袋駅コンコースの雑踏と電車の乗り降り、そして山手線の揺れに耐えられるかどうかだったのですが、一番空いていそうな時間を選んだので雑踏はクリア。
しかし、山手線車内では赤いデッカイ「助けてください」マークを着けて、杖をついていても、席を譲っては貰えませんでしたね。
新宿駅の直前で存在に気づいてくださったのは僕より高齢の女性でした。
「あ、大丈夫ですよ、どうぞお掛けになっててください」
と言ったのですが親切なその方はすでに立ち上がっていたのでありがたく座らせていただきました。
渋谷駅でまた席が空き、その方はまた座ることができたのですが、その間、老婦人に席を譲る人は誰もいませんでした。
もはや、なにかに期待する心はないので、揺れがキツくても多分、一人で目黒まで出られることは確認できました。
久しぶりなので東武の和幸でロースかつランチ。
家に戻ると一人にされてたblakeはイライラからふなっしー君のナシ汁を出してしまっていました。
今日は今日とて友人Kが海外ロケから戻ったのでblakeと桜並木の散歩に連れてってもらった。
blakeはご機嫌で走り回った。
帰りにBaisia電機で自撮り棒を買ってみた。
まあまあ、急がなければそこそこ撮れる。
さて、急な上京は歯科検診のためでほぼ35年お世話になっていた。
しかし、院長が「やっぱり1年半も来ないとあちこちひどくなってるのでもっと近場の病院、紹介しますよ」と、わざわざ電話をしてくださった。
大変ありがたいことなんで、何も言わずに帰ってきたんだけど、そこは「熊谷」なんだ。
埼玉って距離は近くても交通の便がやたら悪く、我が家から熊谷はタクシーで30分。片道6,000円。
これが一番早くて時間も大体読める。
これ以外では、3つ先の駅からバスで何10分か走るのだ。そのバスも一日何本あるのか?
つまりは、ちょっと大変でも東京に出ちゃった方が早いんだ。
でも、せっかくの紹介。
1度伺って、通いきれるかどうか確かめてみないとね。
写真は「和幸」のランチ。
喰われたふなっしー。
それでも可愛いblake。
自撮りの試し撮り。





2月21日 「かぜ耕士の昭和史」 

本日の『どこかでラジオが』 (FMさがみ 23:00~ )
FMさがみでは僕の担当週を「かぜ耕士の昭和史」として売ってくれることになったようです。
以下は、FMさがみの番組紹介ページから。
番組紹介
【2月21日(土)「かぜ耕士のどこかでラジオが」】
 隔週でお送りしている「かぜ耕士のどこかでラジオが」、
 今週は「かぜ耕士の昭和史」の二回目。
 叔父の家で勉学に臨むかぜ耕士の少年時代、
 しかしその家業「美容室」は多忙の毎日。
 見えるものは、「女の園」の中の
 むせ返るように濃密な昭和30年代の東京向島。
 猥雑と活気、
 少年は戦後の高度経済成長そのものを呼吸する。
 曲は
 ①アローン・アゲイン(ギルバート・オサリバン)  
②墓に咲くバラ(キャット・スティーヴンス)
 ③私もあなたと泣いていい?(兼田みえ子)
【3月7日(土)「かぜ耕士のどこかでラジオが」】
 今週は「かぜ耕士の昭和史」三回目。
 中学から高校へ、
 青年に変わろうとする少年・かぜ耕士。
 家業は「美容室」に留まらず「花街」に拡張。
 芸者、赤線廃止、私は貝になりたい、東千代之介…
 華やかさとその重さを知り、
 心を揺さぶる物語に出会う。
 曲は
 ①I NEED to KNow (マーク・アンソニー)
 ②不良少年【ろくでなし】(アダモ)
宣伝文通りになっていると良いんですけどねぇ。
まずはお楽しみください。
なお、FMさがみは、お手持ちのパソコンで世界のどこでもお聴きいただけます。
http://csra.fm/blog/author/fmsagami/
からサイマルラジオにアクセス。
専用無料アプリをインストールすればスマホでも聴けます。
Tunein Radio など最適なアプリを探してみてください。
よろしくお願いします。
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CSRA.FM

2月13日 Valentine's Day eve.


今日はFMさがみの録音日。
しかも、録音時間は朝の10時から、といささか早目。
おまけに、いつもドライバーを務めてくれる友人Kがこんな時に限ってロケでタスマニアに行ってる。
いよいよ、一人で電車に乗って赤坂まで出なきゃならんか、と覚悟しかけたのだが、まだ、駅の雑踏は怖い。
困っていたら「弟子」の菅谷先生がドライバーを務めてくれるという。
僕が菅谷さんを「先生」と呼ぶのを単なる「愛称」だと思われる方が多いと思うのだが「先生」はホントに「大学」の「電子工学」の「教授」なのだ。
患者本人が入院中だというのに生活の拠点を2階から1階に移すための大掃除に迫られた一昨年の暮れ、彼が配下2人を連れて駆けつけてくれた。
以来、彼は僕を勝手に「師匠」にし、勤務先が比較的近いことから時にはお茶に、時には手伝いに来てくれる心強い友人になってくれた。
還暦以後、新しい友人などいないも同然だったのでホントに有り難いことだと思っている。
特に今日は僕にとって大きなイベントが用意されていた。
なぜか1週間前、突然、演劇界の大御所山崎哲さんとお会いする予定が組まれた。
これもFBをやっていたからこその出来事なのだが、映画監督のGee Fujitaさんが上京するにあたり、山崎さんと僕と、僕の友人の一人で山崎さんともFB友達の田中やよいさんとの4人で酒でも飲みたい、という予定を組んだ、らしい。
Geeさんからは2週間位前に「友達申請」が届いた。「写真だけ見て気に入ったので申請しました」という、どこかエキセントリックなメッセージが妙に気に入ってしまい「承認」させていただいた。
ただ、直接、お会いするとなると僕にはかなり制約があった。
一人で電車に乗れるほどには体調が万全でないこと。
そのためにはドライバーが必要なこと。
ドライバーの都合がついて、なおかつ、仕事で東京に出る日ならばその他の予定も組みやすい。
などなど。
こんな無理、Geeさんにも大御所にも通じないだろうと失礼は承知で田中さんに伝えたところ、「お二人とも日時、場所共にOkだそうです」
エッ、俺なんぞのわがままに合わせてくれるの?
突然、ハラハラドキドキが始まった。
山崎さんはGeeさんの作品を認めてらっしゃるなあ。
ソレに比べると俺、Geeさんの作品さえまだ、見てないぞ。
急ぎ、Geeさんの『代引き』と『赫奕たる逆光』を見てにわか仕込みにGeeさんのタイムラインを読ませてもらい今日に備えた。
スタジオProNexは本日、不思議な賑わいを見せた。
僕の同期で『サンデーモーニング』の構成を長年手がけてる平松くんやら、菅谷先生の音楽仲間のcarimeroさん、津布久さん、そして、録音終わりには山崎さん、田中さん、Geeさん、山崎さんのFBでその名を存じ上げていた画家の森本さんが訪れてくださり、待合室にはスタジオの空きを待ってたkuro-san、まねき猫ちゃんとゲストの噺家さんたち。
そば屋『砂場』から『上嶋珈琲』に場を移し、しばし歓談。
Geeさんは髪型ばかりでなく全身からピカピカを発していて羨ましかった。
山崎さんは大御所風を吹かさぬ方で、ソレだけでもう感心してしまった。
ただ、本日、体調が悪そうで顔色が芳しくないのが気になった。
先日、風邪で臥せっておられたことをFB上で存じていたので、無理してお出で下さったのではないかと心配になった。
風邪、今年は長引くようなので是非、大事にしてください。
森本さんは笑みを絶やさぬ穏やかな口調の方で、今日「友達」になりました。
お開きのあと、田中さんと共に津布久さん、菅谷先生、hecoちゃんらに合流。
田中さんはこの仲間に入ると「さんがつ」さんと名が変わります。
菅谷先生にまた家まで送ってもらいどこかフンワリとした1日を終えました。
しかし、菅谷先生は今日は大学に戻らず、東京の自宅に帰るとのことでした。
戯れで「師匠」と呼んでしまったことから面倒なことになっちゃったなあ、と悔やんでいると思います。
なるべく早く一人で電車に乗れるようリハビリに努めます。
本日のところはご容赦ください。
写真はさすがValentine's Day前日。
甘いもの大集合となってしまいました。
「霧の森大福」はGeeさんに戴いた四国の銘菓です。
森を包む霧をイメージさせるよう作られた大福は柔らかく上品で口の中で溶けて行くような味わいでした。
「是非、今日中に食べてくださいね」
と重ねて仰有った理由が解りました。
Geeさん、ご馳走さまでした。
皆さん、今日はありがとうございました。







2月7日 本日(2/7)の『どこかでラジオが』(FMさがみ 23:00-0:00)


僕はしばしば「中学から東京・向島に預けられまして」という表現をしているようです。
そのたびにFB上の友達から「なぜ、中学から上京して」だけで済まないのかとか「預けられたことにこだわりすぎなのが気になります」といったメールやメッセージをいただきます。
「かぜさんて理想論ばかり喋る人でしたよね。そこが好きでした」という方もおられます。当然、「そこが嫌いで聞かなくなりました」という人たちもいるはずで、ま、その人たちはFB上でも出会いませんから今日の放送を聞いてもらえないのは残念です。
僕は今日から隔週で何回かにわたり、「向島」に「預けられ」、自分の心に「理想」を掲げなければ生きてこられなかった青春時代を語ろうとしています。
「昔、ラジオを聞いていました」という言葉を「友達リクエスト」の理由にされた方は是非、今日から何週か『どこかでラジオが』におつきあいください。昔、喋れなかったことを喋ります。
『嘘は言わないけど秘密はいっぱい』のかぜ耕士の裏側を「少し」話します。
「全部」だと自分でも責任取り切れないので…。
曲は
①『Motherless Child』(Sweetwater)
②『戦争は知らない』(カルメン・マキ)
③『ジャニスを聴きながら』(荒木一郎)
なお、FMさがみは、お手持ちのパソコンで世界のどこでもお聴きいただけます。
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2月6日 知恵はこの程度…

今日、blakeは珍しく僕が食べているピザを欲しがった。
彼はあまり食べ物を欲しがらないので喜んで皿に乗せてやったら旨そうに食べ始めた。
しかし、最後の一枚は食べ残した。
食べ残した場合、彼はその痕跡を消そうとする。
通常は下顎で食べ物に砂を掛ける。
という、おまじないのような動作をする、という方が正しいかもしれない。
しかし、食べ物は消えないので、次にこれをどこかに隠そうとする。
が、我が家にそんな場所はないので結局、玄関や階段に置きっ放しにしてしまう。
その時も砂かけの儀式は忘れない。
しかし、ブツは明らかに見えているのだから、おそらくはblake本人(本犬?)の中でだけ見えないことになってるんだと思う。
さて、今日は「Air 砂隠し」しようとしたら、うまい具合に砂の代用となる食べ残しfoodがあった。
彼は見事、食べ残しを隠すことに成功したのであった。
ン、ホントか?
実際には丸見えだがね。これがblakeの知恵の限界なら仕方ないな。




2月1日 blake散歩に大異変


機嫌良くスーパーへの散歩道を歩きあと80米ほどで辿り着こうとした時だった。
向こうからそこそこ高級犬らしいのがやって来た。
僕は対岸歩道に渡って事態を回避しようとしたが時すでに遅し。
blakeは、その犬に飛びかかり首を噛んだらしい。
同伴者は違ったがこの犬とはいつもリードが縺れ合う大騒ぎをしていたように思う。
敵対関係にはなかったと思うのだが…。
ともかく相手は警察を呼ぶと言い、僕はそれにしたがった。
「右側通行ご存じなんですか?!」
と飼い主には責められたが、散歩道のコース変更してこちらを通ることにしていたのだ。
腱鞘炎がいたくならないのでね。
ま、そんなわけで警察を待つこと数十分。
ちょっとした調べのあと、血も出てないので様子を見てから医者に行き、領収書お見せします、と言われ、別れた。今夜の飯は買う気力もなくし、今晩は飯抜きだな。
ウソウソ。
しおらしいのか知らん顔なのか加害犬blake。




1月20日 アレルギー


4年くらい前。
花粉症かな?
と思ったことがあった。
そこでアレルギー検査をしたら「そば」と「鮭」に反応が出た。
そばは大好物で、鮭は魚類の中で唯一食べられるものだ。
アレルギーを起こしたことは一度もなかった。
再検査をしたのは一昨年のことだったろうか?
そばが食べたくて食べたくて我慢できなくなった。
そこで別の病院で再検査を受けた。
そばと鮭、両方知りたかったが検査のグループが違うという。
そばは花粉症13種検査の中に入っているが、鮭は別料金になる上に、今ここで鮭以外に調べたい12種を選べと言うので、何だか面倒になり、すぐにでも食べたい「そば」だけを調べて貰った。
結果は「アレルギー無し」だった。
鮭はどうしても食べたいという食い物ではないのでそのまま再検査を忘れていた。
昨年の暮れ、腱鞘炎がひどく痛みだし、久しぶりに近所のクリニックに出掛けた。
そう言えば、アレルギー検査、アレっきり忘れてたなあ。
で、お願いしておいた「鮭」の計測結果が出ました。
コチラも「アレルギー無し」でした。
じゃあ、4年前のアレは何だったんだろう?
耐えて忍んだこの4年、そばは我慢し鮭さえ喰わず、ってほどのことでもないので、まあ、結果はめでたしめでたし♪
これからは年越しそばも新巻ジャケも心置きなく食べられるというわけですね。
とりあえず、これも「今年の幸運」の1つに加えちゃっときましょうかね♪


1月18日 阪神淡路大震災から20年


その日、僕は心臓のバイパス手術を施されることになっていた。
殺人的スケジュールと暴飲暴食の果てだった。
カテーテル検査をするためには体力が無さすぎる。
入院から3週間、身体の回復を待ち、3本のバイパスをつくることになった。
手術の朝、6時に起こされると、TVの中で街が燃えていた。
ほぼ無音の画面からは事情が全く伝えられず僕は燃える街を見ていた。
「あんまり被害がひどくならないとイイね」
と言ったら隣のベッドの桜庭さんから
「山田さん、今日は自分のことだけ考えた方がいいんじゃないの」と言われ、僕は間もなく手術室へと運ばれた。
それから4日間、ほとんど記憶がない。
これで心臓の問題はすべて片付いたのかと思っていたら、バイパスは10年が寿命なのだそうだ。
10年経ったら再手術、というのは周知の事実らしかったが、僕は格別な不都合を感じなかったのでそのまま19年も放ったらかしていた。
時々、気が遠くなる症状が起きたのが去年6月。
それもそのはず、1日に18回も心拍停止していたらしいのだが、深夜帯に多かったらしく、そんな大事とは感じていなかった。
急ぎ、夏に3回の入院で2回の手術をした。
結局、最後はペースメーカーを植え込まれて(くどいようだが「埋め込み」ではないらしい)しまい、現在、は電池と薬だけで動いてる。
なんかの加減で電池が作動不良を起こさない限りはどうやら長生き態勢に入ったことになるんだろうか?
ギランバレー症候群を抱えたまんま長生き態勢に入って幸せなのかな?
でも、ギランバラー完全克服の全貌が自分自身で確かめられるのなら、この難病と闘う人へ多少の寄与となるのかな?
もう少し生きてみよう、と思った阪神淡路大震災から20年目の夜でした。

1月16 日 録音初め

FMさがみ
1/24日分と2/7日分とを録りました。
清須さん、kuro-sanと新年初の顔合わせ。
明日はkuro-sanの放送を、そして来週は僕のも聴いてやってください。
特に2/7(土)分は是非是非お聴きください。



1月6日 本日「リハビリ初め」で「トントントントンヒノノニトン」


「初」を「そ」とか「ぞ」と読む時、必ず思い出してしまうことがある。
深夜3時文化放送の『走れ!歌謡曲』のADをバイトにしていた時のことだ。
同番組は東海ラジオとラジオ大阪とも手を結び、主に深夜の長距離輸送のドライバーをターゲットにしていた。
東海と大阪からのリクエストは東名、名阪のサービスエリアで募り、今で言う「トラック野郎」たちを大事にしていた。
スポンサーは日野自動車。
パーソナリティーは女子アナ3人、ジャズ番組MC、交通情報の超人気お姐さん、バックコーラスのディーバの6人で、まだ1時~3時に『セイ!ヤング』も誕生していなかった頃だから大反響を呼んだ。
初回は1968年11月19日(月曜深夜火曜朝)。
彼女たちに随くバイトのADは3人。週2日づつを担当。
採用条件は「深夜放送は初めての試み。パーソナリティーが話に詰まったらすぐ台本を書いて渡せる者」で、後の朝ドラ作家松原敏春、後のWAHAHA本舗主宰者喰始、そして僕とがその初代バイトにありついた。
夜11時に局入りした僕らは最初に東海と大阪両局の当日担当アナに電話してリクエストの集計をするのが決まりだった。
両局の担当コーナーもあり、当然女子アナが起用されていたから番組の華やかさは巷で大評判となりターゲットのトラックドライバーの他に高校生や大学生のファンがついた。
1年後には人気も本物になり、公開録音などイヴェントも企画されたが6人のパーソナリティーはこれを嫌がった。
当然である。客は男ばかり。
中高生辺りの男の集団はどれ程のことでもなかろうが、大学生と長距離輸送のドライバーたちにジーっと見つめ続けられているとしたら…。
バイトの僕らが見ても一種異様な空気が漂っていた。
ちなみにこの番組から生まれたのが1969年の名曲として由紀さおりがカバーしている『私もあなたと泣いていい?』(三沢郷作詞作曲/兼田みえ子唄)と「レモンちゃん」こと落合恵子さんだ。
バックコーラスシンガーだった西条ゆり子さんは番組担当中に作詞家千坊さかえとして売れ始めボーカルトレーナーを務めていた青江三奈さんに書いた『国際線待合室』で100万枚超えのヒットを放った。
彼女が本当に凄いのは僕に業界裏話を決してしないことと、100万ヒットのあとも少しも人柄が変わらなかったことだ。
同じことは落合さんにも言えて、僕がパーソナリティーに転じたあと見倣ったのはいずれも僕がアシストした西条さん、落合さん、そして文化放送の女子アナ長野悦子さんのお三方だ。
ま、この番組に関してならひと晩は語れる。
そんな注目番組だから起きたとも言えるのが島崎藤村『初恋』事件だ。
ある週の担当コーナーで東海ラジオの●●さんが「今日は私の大好きな詩を読みます」と突然、
「まだ上げはじめし前髪の」
と始めてしまった。
担当日でなかったので僕はそれをラジオで聞いていたのだが、
「そめし、そめし、そめしだよ! アチャー、こりゃイカん!」
思わず声に出してしまった。
誤読した彼女に非があるのは間違いないのだが、ま、深夜4時近くの出来事。
通常なら知らん振りすることも出来た。
だが、この番組は日野自動車が社運を賭けてスタートさせた番組だ。
昼休み、日野自動車ではその日の放送が社内放送で流れ、全社員がそれを楽しみにしていたのだそうだ。
その日を限りに●●さんは放送から消えた。
「リハビリ初め」と書いた瞬間、僕は『初恋』事件を思い出した。
「鼓舞」を1分間に3回も「こまい」と読み続けてもニュース番組をやっている人もいる。
交通情報で読めないICの名が出てきたので「交通速報が入りました。……交通には何の異常もありません」とやってのけた人もいる。
「そめし」の読み違いだけで…と思わないでもないが有名すぎた詩、「一番好きな」という振り、熱心なスポンサー、と条件が重なりすぎの上に、この詩、「初めし」が何度も出てくるのよね。
余談ですが、この社内放送のせいで西条ゆり子さんはかなり早い段階で番組を降ろされかけた。
日野の社員に人気がなかったのだ。
だが、彼女はこの番組を10年も続けた。
それは日野の番組担当者の熱心さの賜物でもあったらしい。
彼はモニターを頼んでいた隣家の大学生の意見を尊重したらしいのだ。
大学生はこう言ったらしい。
「一番好きなのは西条ゆり子。性格が良くってハスキーな声が魅力的」
そう、深夜放送は昼に聞くものじゃない。深夜に聴いてこそのモノ。気づく部分もおのずと違うのですね。
担当の方もよく社内を説得してくれたと思います。
ラジオに関わる人たちが熱かった頃の話、と言ってしまえばそれまでですが…。
さらに余談:1
藤圭子さんの『新宿の女』は売れるまで時間がかかりました。作詞家で圭子ちゃんのマネージャーだった石坂まさを先生は圭子ちゃんを連れてほとんど毎週番組に売り込みにこられました。
なので、売れる前の圭子ちゃんに一番会ってるラジオ関係者は僕じゃないかと思ってる。
石坂先生は僕に自分が持ってるブルーインパルスというGSの作詞を依頼してきてくれたんだけど、賄賂を受けとるみたいなものなんで書かなかった。
さらに余談:2
喰ちゃんと意見が一致してるのは『長崎は今日も雨だった』は「俺たちが流行らせた」。
同曲は確か1969年2月の発売。
いい歌だけどこの季節の発売はないだろ!
雨の季節まで掛け続けてみようよ。きっと当たるよ。
結果はご存じの通り。
ラジオからのヒットが多いのは選曲の自由が利いたせいね。
しかも俺達みたいな勝手なADもいた。
自分のレコードをヒットに出来なかったのは作品の力のせいもあるけど、なんかそれはいけない気がして遠慮しちゃったね。
格好の場にいたのにね。何であんなにいい子ぶってたんだろ♪



201年1月3日





新年会です
今日は旧知の友人たちと我が家で新年会を。
hecoちゃん、みんちゃん、津布久さん、阿鬼羅くん、菅谷先生、
友人K、関さん、そしてアルパ奏者の藤枝貴子さん、娘のゆうきちゃん。
素敵なことに正月から藤枝さんのアルパを聴かせていただきました。
素晴らしい新年会でなんか良い予感のする年始めです。