2015年9月5日土曜日

本日(9/5)のFMさがみ『かぜ耕士のどこかでラジオが』

『かぜ耕士のどこかでラジオが』(隔週土曜日 Pm.11:00~11:59)

『かぜ耕士の昭和史』は1970年~71年(昭和45~46年)
僕が『出発の歌』でフォーク・ブームの先鞭を付けるまでの「上条恒彦+小室等と六文銭」の座付き作詞家だったことはあまり知られていません。
正直、『涙をこえて』で世に出てから声を掛けてくれたのは音楽出版社の「ユニオン・コルス」と小室等さんだけでした。
70年、小室さんの誘いで、僕は上条さんのコンサートのオリジナル曲や訳詞を手掛け始め、続いて71年には小室等と六文銭の詩を書き始めました。
「小室等と六文銭」はメンバーそれぞれが作った歌は何曲かあったのですが、グループとして歌う曲がなく、ちょうど71年4月頃からラジオにレギュラー出演するようになったために、彼らのソロと僕が外国曲に詩をつけたグループ・ソングで急場をしのいでいました。
僕の名はフォーク史に残っていませんが、僕が『出発の歌』を書かなかったことで日本のフォーク・ブーム、ニュー・ミュージック・ブームを招来させたのは本当です。
まあ、『出発の歌』の半年後に出る拓郎君の『結婚しようよ』で間違いなくフォーク・ブームは到来したと思いますが、『出発の歌』とのタッグが功を奏した側面は見逃せないと思います。
僕が何故『出発の歌』を書かなかったかは71年という時代にありました。
そう、沖縄県発足の前年でした。
僕はその夏に予定されていたミュージカル『ロック戦争』への出演と『第3回合歓ポピュラーソング・フエスティバル』への参加を蹴って沖縄取材に奔走していたのです。
今日はそんな話を。

曲は
①『傷ついた小鳥』(ダリダ)
①『風に立つライオン』(中山エミ)

特に2曲目は一聴の価値あり。物語を歌うことに長けたシャンソン歌手ならではの一曲です。

FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
http://csra.fm/blog/author/fmsagami/
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スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただけるとありがたいです。

写真はkuro-sanとProNex st.で。
もう一枚はこの日、寂しく一人で喰った池袋東武「和幸」のロースカツ定食。







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