僕らは永さんに集められてこの業界に入った。
先日の永さんを送る会では全員の顔が揃わなかったので、昨日、再び集まって、僕らだけの永さんとのお別れ会を開いた。
一期生45人、二期生18人。定かな数字ではないのだが、1966年と67年の暮れ、そんな数の大学生たちが永さんの名で集められたが、連絡が付いたのは9人だけだった。
井上さんが古い写真を一冊の冊子にして持ってきてくれたのだが、一期二期合同写真で最も古いのがコレだった。
反戦フォークゲリラ事件(新宿駅西口フォークゲリラ事件)が1969年6月末のことだから、そのちょっと前だと思う。
僕らの事務所は六本木アマンドの裏にあったのだが、何かを予感していたのか、夜になると僕らは吸い寄せられるように新宿駅に向かい、駅周辺にたむろしていた。
この写真の前後には機動隊を挑発して路地裏まで追い詰められたこともあった。
写真の場所と時刻は1968年から9年頃の新宿のとある朝。
ゴミが散乱していた。
写真の中の三人はすでにいない。
永さんもさすがに僕らがその後50年もこの業界に居座るとは思わなかったのではあるまいか…。
一期生45人、二期生18人。定かな数字ではないのだが、1966年と67年の暮れ、そんな数の大学生たちが永さんの名で集められたが、連絡が付いたのは9人だけだった。
井上さんが古い写真を一冊の冊子にして持ってきてくれたのだが、一期二期合同写真で最も古いのがコレだった。
反戦フォークゲリラ事件(新宿駅西口フォークゲリラ事件)が1969年6月末のことだから、そのちょっと前だと思う。
僕らの事務所は六本木アマンドの裏にあったのだが、何かを予感していたのか、夜になると僕らは吸い寄せられるように新宿駅に向かい、駅周辺にたむろしていた。
この写真の前後には機動隊を挑発して路地裏まで追い詰められたこともあった。
写真の場所と時刻は1968年から9年頃の新宿のとある朝。
ゴミが散乱していた。
写真の中の三人はすでにいない。
永さんもさすがに僕らがその後50年もこの業界に居座るとは思わなかったのではあるまいか…。
その下の三枚は2016年10月29日の集まり。原宿「南国酒家」にて。
撮影者は坂本善昭(沢洋平)さん。Facebookからいただいちゃったよ。
一枚も写真を撮らなかったので(何故か忘れてた)洋平ちゃんの姿がなくてゴメンね。
僕は目をつむっているのではなく、目は開いているんだけど、瞼が上手に開いてないんです。
コレを早く何とかしたいなあ。