2017年7月22日土曜日

ザックリ占い~72歳の呪縛
7月13日午前11時45分に無事73歳になった。
いやー、この1年をどれ程、細心の注意を払って暮らしてきたことだろう。
こわごわ、ヒヤヒヤ、ひっそり、こっそり、…どんな言葉でも言い表せないイヤーな気分で生きてきた。
この事をあいつにだけは伝えておかねばならないと思う。
そう、あいつ。構成作家のIKだ。
まだ生きているなら訴訟を起こして、できることなら慰謝料を分取りたいくらいだ。
26~7歳の頃だろうか?
僕は文化放送で皿回しのアルバイトをしていた。
『涙をこえて』が出て1年も経つのに僕の暮らし向きは一向に好転しなかった。作詞の仕事はそこそこあったし、オリコンのチャートにも3曲ランクインしたが喰えなかった。
そんな時、売れっ子の構成作家だったIKが言った。
「かぜさん、運勢占ってやろうか? タダで良いよ、普通は1万貰うんだけど」
僕は素直に生年月日を教え、彼は即座にメモした。
2週間位経った頃だ。
彼が鑑定結果を教えてくれた。
「かぜさんは"2"の歳に何か起きるのね。2歳、12歳、22歳、32歳、まあ、可も無し不可も無しなんだわ。42歳。これがかぜさんの大吉の年なのよ。でも、ほら、ご存じの通り、42歳は厄年ジャン? だからかぜさんの人生は、まあ、一番のピークが小吉の人生なのね。52歳、62歳、なんかあるかもしれないけどまあまあの年。で72歳で死ぬのよ。そういう運勢」
オイオイ、他人の人生そんなザックリ纏めるなよ、と思った。
しかし、このザックリ占いに傷ついたのは僕だけではなかった。彼と同世代の文化放送のバイト、局のお抱え作家達はみんな怒りに震え、誰もが口々に言い合った。
「死ぬ歳言う占いってありかよ! そういう夢のない占いってありかよ! 誰か楽しいこと言われた奴、いる?」
みんなはどう対処したのか知らないけど、僕はその後の人生の照準を72歳に合わせた。
つまり僕は彼の言葉を信じたわけですね。
32歳、そうねえ、人気も出て、本も出て、1年に3日しか休みがないほど忙しかったけど、年収はさほどでもなかったよねえ。
それに、ホントの変化は30で起きたんだよねえ。
42歳。この年にした仕事で、以後、10年、喰うに困らなくなったな。その程度では大吉と言う気にならないんだから、やっぱり小吉でしかなかったってことなのかなあ。
52歳。アメリカで妻と大喧嘩。1年の滞在予定を3ヶ月で切り上げ。ま、ほぼ最悪の年。
62歳。前立腺肥大気味で一日中不快。翌年手術。
72歳。死ぬのは今日か明日か、今か、もう少し後か。
ビクビクしながら1年を過ごす。
振り返ってみると格別「2」の年に重大な事件が起きている訳でもなかった。
重大な事件とは数年づつズレていた。
つまり、IKの占いはそんなに当たっていなかった。
せいぜい、小吉の人生しか待ったいなかった、という点がやや当たっていなくもなかったというところか?
しかし、用心するに越したことはない。
僕は誕生時間の7月13日午前11時45分まで気を抜かずにいることにした。
2017年7月13日。
10時にコラアゲン君来宅。東スポに連載中の記事をファイルにして持ってきてくれる。
で、前述のような話をしたら、心配だから11時45分までおりますわ、と付き合ってくれた。
その日から関西四国方面のライヴツアーだったのに出発を遅らせてしまったようだね。悪いことしちゃったよ。
昼過ぎには津布久さんが一緒に飯食いましょうと崎陽軒のお祝い弁当を持って訪ねてきてくれた。
直前にはアイスキャンデーと、別スレッドで話題にしていたエプロンも宅配便でお届けくださり、いつもながらかたじけない!
その後はコラアゲン君の記事で笑い、ちょっと掃除機かけるうち、夜。
友人Kと菅谷先生が焼き肉をご馳走してくれるというので隣町まで。
談笑するうち9時半で、早寝早起きの菅谷先生はもう眠そうで…。
僕の73歳はこうしてこわごわと明け、ほのぼのと暮れていったのだった。
IKさんがご健在ならひと言。
今後は占いをやめてください。
それを暮らしの道具にしているとは思わないけど、死ぬ歳まで聞きたい客はいないと思うぞ。
占いが恐怖商売なのは知ってるけど、何よりあなたの占いは当たらない。
それは僕が身を持って証明した。
まあ、正午までは訴訟も考えるほど怒ってたんだけど、お祝いメッセージに全部返信し終える頃には、怒っていたことさえ忘れてしまった。
沢山のお祝いメッセージ、ホントに嬉しかったです。
僕はあと何年か、生きられる限りは生きて、し残した仕事を片付けたいと思います。
これからもよろしくお願い致します♪
昨年の花見の時、竹内幸子さんが撮ってくれたblake。
今朝、散歩途中でかっこいい犬だねえ、と褒めてくれた方がいました。





0 件のコメント: