2013年4月16日火曜日
4/16(火) 50年の付き合い
古い知り合いがお見舞いを兼ねて我が家を訪ねてくれた。
3~4年毎に会っているのでウーンと久しぶりというわけではないが、もう50年の付き合いになる。
彼女たちは僕が19歳の頃、アルバイトをしていたある芸能プロダクションの経理と演技事務をしていた。
僕はそこでテレビ映画や舞台の製作助手をしながら大学に通っていた。
基本は単なる俳優プロダクションだったが、29歳の若手社長は意欲的で、ドラマや舞台の制作協力に手を貸し、僕を派遣した。
それらの仕事の合間にドラマの企画書を書くと奨励給が出たので何本も書いた。大卒の初任給より4~5.000円高い月給になった。
企画は一度も通らなかったが、企画書がテレビ局の制作部に届くことで、俳優たちの大きなプロモートにもなったらしく、俳優たちはかなり忙しかった。
僕が携わったのはTV映画『空手風雲児』とミュージカル『九人の交換手』だけだが、準備期間を含めるとかなりの月数を数えた。
後者は渋谷公会堂での上演だったが、2,000人のキャパに客が毎日600人の入り。
この舞台のために作られた制作委員会は公演4 日目に誰もいなくなり、20歳の僕は後始末に忙殺された。
未払いギャラのことなんか全く知らなかったので、4ヶ月ほどでヘトヘトになり、まっとうな学生生活に戻った。
プロダクションはその半年後に崩壊した。
お二方とはそういう波乱の共通体験がある。
僕は19で夜な夜な「チャイナタウン」というグランドキャバレーに連れて行かれ、擦れっ枯らしの青春を送っていた。
先輩マネージャーのTさんが可愛がってくれたからだ。
僕はあまり人に可愛がられない人間なんだけど、その頃だけは別だったみたい。
遊びに来てくれたお二方も、僕がまだ可愛い時に出会っているので今でも付き合ってくれてるのだ。
お二人に会うと僕は自分が清廉潔白なとても良い子だった時代に帰れる。
懐かしい話をいっぱいしたよ。
その会社の社長はのちにテレビ映画の制作を始めたので田村正和さんの時代劇初主演となった『若さま侍捕物帖』の主題歌を書かせてくれた。
『夕陽のまつり』というその主題歌はすんごく良い仕上がりだったが、正和さん初時代劇なのに野球の雨傘番組化してしまい、26話のはずが18話で終了。歌もヒットに至らなかった。
19の僕にお前は書けると言ってくれ、のちのち、僕に仕事をくれたその社長には今でも感謝してる。
その社長が亡くなり、そのお兄さんである有名なゴッホ俳優が亡くなった時、ご葬儀で当時の副社長と再会した。
副社長は何故か、「お前の卒論、オレが代筆してやったんだよなぁ」などと言いだし、「お前、今、何して喰ってんだ」と的外れな質問をされて困った。
社長は僕に仕事を依頼してきてくれ、副社長は僕の卒論を書いてやったと思い込んでいる。
何だ、コレ?
そんなトンチンカンな想い出話もした。
お一人は来年「喜寿」、お一人は「傘寿」となる。
三人で、「あと何回会えるかナー」と同時に言ってしまう年齢にさしかかっているのだが、芸能界の入り口での話はもう、お二人以外には話す相手もないので、いつまでもご健在でいて欲しいと思ってる。
写真は我が家の玄関で元・美女二人と元・良い子君。
写真右の山藤明子さんは若い時女優さんだったので、今でも都市圏の公会堂で朗読の舞台に立たれることもある。
ちなみに笑ったつもりなのに笑顔にならないのが僕の後遺症の一つである。
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1 件のコメント:
この写真もとっても素敵ですね。
古くからの知り合いとのショットは
久々に会ったのにもかかわらず、何かお互いにふんわりとした暖かいものに包まれて
安心して収まるものですね。
それにお三方のお人柄が
それがすごく表れているようで、
ああ、いい写真だなぁ・・
と思います。
私も年を重ねるうちに、
こんないい写真にたくさん
おさまりたいな・・。
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