2013年5月26日日曜日

来客あり


もう40年のつきあいになるニッポン放送のディレクター藤井正博さんが4年ぶりに我が家を訪ねてくれた。
藤井さんは僕がニッポン放送で『たむたむたいむ』という番組を持っていた頃、ディレクターとして4年間ついててくれた。
藤井さんは「音楽ディレクター」として入社した人でニッポン放送の長い歴史の中でもわずか2年間しか試みられていない珍しい採用方式で生まれた社員ディレクターだ。
つまり、音楽番組専門のディレクター。
ところが、音楽全盛時代と言っても、番組には様々な種類がある訳だから、好きで得意な音楽番組ばかりに配属される訳ではない。
結局、僕の番組みたいなトーク主体の番組にも付かされた訳だ。

僕の番組には『自作自演の歌』というコーナーがあった。
応募されたアマチュアたちの歌の中から放送に乗せられるレベルの作品を選ぶのには専門の耳が必要だった。
その意味で藤井さんの活躍のしどころは用意されていた訳で、後に番組でレコード化したほどの楽曲がその耳で選び出された。
今に至るも番組屈指の人気曲であるハックルベリーフィンの『流れ星』や後にEPOとなる当時は佐藤永子ちゃんのWITHが歌う『ウェディング・ベル』、たまにーず『星の首飾り』、ピエロのR『まってます』、鈴木和『勿来の浜』など、何とも愛らしい可能性に溢れた楽曲たちが電波に乗った。

だが、藤井さんのセンスの良さが最も発揮されるのはリスナーから届いた詩を朗読するコーナーで、だった。
つまり、詩の後ろに流すBGMの選曲だ。
藤井さんが選んでくれた音楽に乗せて朗読するとすンごく読みやすいのだ。
色んなジャンルの音楽に精通しているのがよく判った。
僕は毎週、気持ち良く番組に臨ませてもらえた。

ま、この番組がラジオ時代の僕のピークなのだけど、その後の低迷期も併せて考えてみるとピークの頃はほとんど良い想い出しかないもンだね。
当然、『たむたむたいむ』の頃の聴き手や関係者と『セイ!ヤング』以降のリスナーや関係者とではつき合い方自体が全く違う。というかその後、全く会うこともない。おそらく会っても恨みつらみの類しか出てこないと思う。
上昇気流に乗り始めた人間を見守っててくれた人たちと下り坂の人間を見ていた人たちとでは僕に対する評価も当然のことながら、かなり違うよね。
藤井さんと今でも楽しく話が出来るのはお互いに力を出し合って坂を登って行った共通の体験やその過程で培った敬愛心と、おそらく無縁ではない。

僕は幸いなことに40代後半にテレビの世界で人生上最大のピークを迎えたんだけど、なんだろう、20年近く経った今もその時代を懐かしむ気持ちは湧いてこない。
学校でテレビに関する講座を持ってしまったことで、現役は退いたつもりなのに実は「完全引退」してないからなんだろうか?
とにかく、僕の中でその時代に対する評価はまだ出来ていない。

アッと言う間に4時間が過ぎ、藤井さんは知り合いの展覧会の閉館に間に合うようにと帰って行った。

一昨日のkuro-san、今日の藤井さん。
ラジオ仲間と連続して会ってなんだか楽しい週末でした。

写真は赤坂のスタジオでkuro-san と。
もう1枚は藤井さんと我が家で。
笑っているつもりなのに表情をなくした爺さんみたいに見えるのがやっぱり気になります。
まあ、ちょっと前より元気そうなのは僕にも判るんですが…。  

2 件のコメント:

mm さんのコメント...

古くからのお仲間と会い、
番組リニューアルの準備もチャクチャクと。。。

お元気になられているわけですね。

むつらぼし さんのコメント...

ディレクターの藤井さん・・
たむたむたいむの頃には
何度も耳にした懐かしいお名前です。
スタジオ公開録音の時には
ニッポン放送の玄関までリスナーたちを
迎えに出てこられましたよね。
(私の記憶ちがいだったらごめんなさい)

かぜさんと同じように
やさしいお兄さんという感じでした。
かぜさんとお2人で今もこうして
並んで写真に収まっておられるのが
とても微笑ましくうらやましくもあります。
古いお友達って、素敵ですね。