2013年6月15日土曜日

今日も法事


朝6:30、妹からの電話で起こされた。
先週に引き続きまたしても訃報で、亡くなったのは母の甥。
5年前、彼のアパートを借りていた。
この家に住む前の5ヶ月間の付き合いだった。
彼の妹のMちゃんは僕より2歳下で、僕が預けられていた向島の美容院で働いていた。
2年ほどひとつ屋根の下で暮らした勘定だ。

母の甥Hさんとはそんな話をすることもなく、単なる大家と店子の関係だったが、住んだのが年の瀬を挟んで5ヶ月半。
郵便受けが玄関ドアの下部に付いているのだが郵便を土間に投げ込むだけの、閉まらないただの穴なので、ここから冬の冷たいすきま風が入り、部屋は一日中寒かった。
蒲団の中と外とでは気温が違いすぎて夜中にトイレに立つのが怖かった。

こんな狭い村にいるのに親戚と言ってもその程度の付き合い。
特に小卒時に村を離れたから、法事などで訪れるその家自体が自分とどんな繋がりがあるのか理解できていないことが多い。

ましてや親戚のはずの家でまるで奉公人のような扱いを受けて育つと「親戚」とか「親等」とか言う概念に亀裂が生じて、甥とか姪とかの関係が僕には長いこと理解できなかった。
多分、45歳頃、妻の弟、すなわちbrother in lowに娘が出来て、その子に会うためにアメリカに行くようになってやっと「姪」という関係を理解した。

やっぱり、無理はいけないね。
歪んだ環境の中で自分だけは健康な心を持とうとした僕はとても不健康な少年だった。
水の少ない土壌に瑞々しい植物は育たない。もっと、そうだよ、サボテンみたいにきれいな花をつけながら、近寄るものは鋭いトゲで刺すような少年に育てばよかったんだ、と今さらのごとく思う。
もう一度17歳がやれるなら狡猾な不良になってやるんだ。

二度寝の床の中で僕はまるで子供みたいな、そんな年甲斐もないことを思うのだった。
12歳でのよそン家暮らしにはやっぱり無理があったね。
この年になっても忘れようとして忘れられないトラウマになってしまってるんだもの。
ただ、このかさぶたは何となくいつも痒いので引っ掻くと結構気持ちいいのよ。
その時代を語る僕の言葉はもはや「フシ」になっちゃってるものネエ。

通夜は6時からである。

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