篠田伸二監督作品『Daddy Long Legs あしながおじさん』
~誰の胸にも灯をともす心優しきミュージカル映画~
『あしながおじさん』(Daddy-Long-Legs)という子供文学はかつて日本でもよく知られていた。今でも、なのかどうかは知らない。日本の教育が変わりすぎてしまったので、僕らの時代の「常識」が今では通用しないことが多いからだ。
この小説はジーン・ウェブスターという女性作家によって1912年に発表された。
孤児院育ちの少女ジュディがある資産家の目に止まり、その資産家に毎月手紙を書くことを条件に大学進学用の奨学金を受け、生き生きとした青春時代を過ごす、というシンデレラ物語だ。
「Daddy Long Legs」(あしながおじさん)とは少女が資産家に付けた呼び名で、資産家に向けた手紙がそのまま小説になっている「書簡体」の文章も子供たちをワクワクさせた。勿論、僕が最初に読んだのは翻訳本なんかではなく、そこからさらに噛み砕いた形で書かれた子供文庫かなんかだったが…。
この人気作は、当然、何度も映画化、テレビ化、舞台化されている。
日本では特に1955年(昭和30年)、フレッド・アステア、レスリー・キャロン主演のミュージカル映画『足ながおじさん』(監督:ジーン・ネグレスコ)が大人気となり、以来、資産家の「篤志家」(社会奉仕や慈善活動を実行・支援する人)を指す「あしながおじさん」という言葉も定着していった。
子供の頃の記憶なので、間違いがあるかも知れないが、小説「あしながおじさん」を読んだのはちょうどその頃だし、篤志家を「あしながおじさん」と呼ぶことを知ったのもそれから2~3年後、ちょうど中学生になった頃だったと思う。
この映画は「あしながおじさん」という言葉の由来をウェブスターの小説をなぞったアニメーションで見せることから始めていて、子供にも解るようなじゅうぶんな配慮がなされている。
そう、この映画の重要な点は「子供にも解るように」作られていることだ。
2012年。
最初の舞台はウェブスターが『あしながおじさん』を発表してからちょうど100年経った、アフリカはウガンダの「Ashinaga Rainbow House」という学校。
校長先生は「タマちゃん」と呼ばれる日本人玉井義臣(たまい・よしおみ)さん78歳。
タマちゃんは「あしなが育英会」の現会長だが、50年以上前から学生たちと共に「遺児支援運動」を行ってきた。
当初は自身が交通事故で母を亡くしている経験を基に「交通遺児」支援運動から始めたが、災害遺児、病死遺児、自死遺児へと活動が広がり、2001年からは両親をエイズで亡くした遺児たちの支援拠点としてエイズ死が最も多いウガンダに「Rainbow House」を置いている。
だが、映画はタマちゃんが「あしながおじさん」になった軌跡やその活動をを追ったドキュメンタリーではない。
親を失って絶望の底に沈んでいる子供たちを勇気づけるタマちゃん。子供たちに自らの手で今日という日をつかみ、明日を生きる力を与えたいと考えるタマちゃんが描かれる。
怒りを、祈りを、夢を、自分の言葉で語れ。歌え。踊れ。ぶつけろ。
誰かに聴いてもらえ、見てもらえ。
自分の思いが、自分の表現方法で、他人にしっかり伝わった時、人は自分を束縛しているモノから自由になれる。
その時、人は今日を脱ぎ捨て、明日に向かえるのだ。
そう考えたタマちゃんはエイズ遺児としてつらい日々を過ごす子供たちに「ミュージカル」という表現方法を用意する。
大地の響きにも似たドラムの音に敏感に反応する子供たち。
リズム勘は申し分ない。
ならば彼らにリズムに乗せた歌と踊りを与えてみよう。
タマちゃんはさらに考える。
目標は大きい方が良い。
そうだ、彼らをニューヨークはブロードウェイの舞台に立たせよう。
子供たちの、思いや願い、悩み、苦しみを世界中の人たちに知ってもらうのだ。
タマちゃんの呼びかけに賛同した人たちがウガンダにやってくる。
『レ・ミゼラブル』の初演舞台の演出家ジョン・ケアード。(映画版にもクレジットされている)
ウェブスター女史が在学したN.Y.ヴァッサー大学からは歌唱指導の先生や振付師、ボイス・トレーナーもやってくる。
ちなみにジョン・ケアードは舞台のアカデミー賞とも言われるトニー賞を2度受賞。当然、『あしながおじさん』の演出経験もあるが、日本版『レ・ミゼ』の出演者だった女優今井麻緒子さんと結婚していて、日本との関わりも深い。
こうしてウガンダの子供たちはプロの手に導かれ、輝きを放ち始める。
その過程で感心するのはプロたちが決して焦らないことだ。
子供たち自らが発光するのを辛抱強く待っている。
中でも、母をエイズで亡くした少女アニータは自分を上手く表出できない。いつまでも癒えない哀しみの中でもがいている。
彼女が抱えている痛みや辛さが彼女自身の言葉で語れたらエイズ遺児の哀しさは世界中に伝わるのに。彼女自身も囚われの淵から飛び立つことが出来るのに。
プロたちは彼女が自分を語り出すまで我慢強く待つ。待つ。
次の舞台は日本。
前年2011年3月11日。未曾有の災害に見舞われた東北は宮城。
ウガンダからの選抜メンバー20人はここで東北の子供たちと合宿を張る。そして、自分たち同様、親を失った子供たちが日本にもいることを知る。
エイズ死と災害死の違いはあるが親を亡くした寂しさ辛さに変わりはないことにふたつの国の子供たちは気づく。
子供たちの間に互いを思い遣る心が育ち始める。
アニータは徐々に自分を語り出す。
日下マリア。伊藤健人。
東北の少年少女たちも災害で親を奪われた怒りを太鼓の桴に籠め、烈しく打ち鳴らし、哀しみ、寂しさを語り、踊る。
東北支援ソング『花は咲く』が印象的に何度か歌われる。
2015年6月。
最後の舞台はニューヨーク。
ヴァッサー大学の学生たちも合流して公演に向けての仕上げが始まる。
「真っ暗な空に光る星が恋しい」と歌う学生たち。
「あなたの履いてるキレイな靴が欲しい」と歌う遺児たち。
『もっと欲しい』というナンバーにウガンダの子供たちは、現実をぶつける。欲しい物は星なんかじゃなく、靴なんだ、と世界に向けて訴える。
ブロードウェイ公演は好評裡に幕を降ろす。
篠田監督はアニメーションでの「あしながおじさん」紹介からタマちゃんの登場までを違和感なくつなぎ、『ロンドン橋』に乗せて、目、鼻、口といった単語を覚える子供たちを『サウンド・オブ・ミュージック』の『ドレミの歌』よろしく軽快に見せて行く。
また、アニータ、シャロン、パイアス。3人の子供たちのバックグラウンドをドキュメントすることで、「世界最貧国群サブ・サハラ」のひとつの現実を知らせる。
「サブ・サハラ」とはサハラ砂漠以南の49カ国を指しているが、貧しさが子供たちから教育を奪い、無知無教養が連鎖的にこの一帯の貧しさを加速させている。
草木を刈り取る代わりに緑を育てるという知恵がないために年間200ミリ程度の雨しか降らないモーリタニア。国の大半は砂に埋もれ、細かい粒子の砂が子供たちの目から光を奪って行く。
部族間の争いばかり続けていて、少年は兵士に、少女は大人の性欲のために誘拐されて行くコンゴ。今日を生きるのに精一杯で明日があるのかどうかも判らない子供たち。
一生身につけることもないダイヤモンドの掘り手として教育の機会を奪われるシエラレオーネの子供たち。
「給食」が食べられるということだけで学校に来る子供たちも少なくない。
つまり、教育も食事も満足でない子供たちが大半を占めるのが「サブ・サハラ」の現状だ。
この映画では玉井義臣さんの功績は必要以上に語られてはいないが「あしなが育英会」は50年にも及ぶその活動の中で様々な理由による遺児たちの高等教育を支援してきた。その恩恵にあずかった子供たちはすでに10万人を数えるらしい。
21世紀に入ってから玉井さんはアフリカの遺児への高等教育支援に目を向け、「サブ・サハラ」49カ国の中から毎年優秀な1人を選抜して、世界のあらゆる国への留学の機会を作ってきた。
世界のトップクラスの大学への就学。そのために必要な奨学金と生活費の支給。
卒業し、母国に戻った学生たちは国のリーダーとなり、自分が受けた支援を社会に還元して行くだろう。
玉井さんは自らが計画したこの「アフリカ100年構想」が結実する日を見ることが出来ないかも知れない。
けれど、その精神はこれからも「恩送り」という形で引き継がれ、受け継がれて行くに違いない。
その引き継ぎ手の一人として玉井さんが篠田伸二をウガンダに呼び寄せたのは正解だったと思う。
「玉井先生の頼みに応えない訳には行かないので」
篠田さんはこの映画の試写後のトークショーでそれしか語っていなかったが、彼の学んだ上智大学の教えは「他者のために。他者と共に」というのだそうだ。
その教えはこの映画にシッカリと刻まれている。
撮影開始当時、篠田さんはまだTBSの社員だった。
夏に長い休暇を取ってアフリカまで撮影に出かけ、短い休みには東北へ、と何とかスケジュールをやりくりしていたが、編集段階に入った昨年、ついに片手間では仕上げられないことを実感。定年まで何年か残しながら退職を決断し完成に漕ぎ着けた。
涙を禁じ得ないシーンが何カ所かある。
泣いてはイカン、子供たちのこの現実をキチンと受け止めなければ、と思うのだが、我知らず涙が溢れる。
まばたきを忘れたような、感情を失くしたかのような大きく見開かれた眼。子供たちのその眼はどんな過酷な現実を見てきたのだろう。
だが、ブロードウェイが近づくにつれ、子供たちはまばたきを始める。
眼の中に生きる歓びに溢れた輝きが見え始める。
篠田さんのカメラはその表情を優しく汲み上げる。
これは愛に溢れた素敵なミュージカル映画だ。
ナレーションは篠田さんの奥さんでもある女優紺野美沙子さん。
紺野さん自身、国連計画親善大使として各国を歩いているから、こうした子供たちの現実に(おそらく)理解が深い。
こなれた語りで、絵の邪魔をしないのは作品に対する咀嚼が充分なせいだ。
とてもいいコラボレーションだと思う。
「あしなが育成会」のプロパガンダ映画になっていないのも篠田さんの節度を感じさせて心地良い。
「この映画を見たい」という人が何人か集まればどこにでも出かけていくので是非お声がけを、だそうだ。
出来ればテレビでの放映機会を、とも。
この映画が多くの人の眼に触れることを僕も切に願っている。
そういう映画だ。
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