2015年9月19日土曜日

9/19(土) 本日のFMさがみ『かぜ耕士のどこかでラジオが』


9/19(土) 本日のFMさがみ『かぜ耕士のどこかでラジオが』(23:00 ~23:59)

『かぜ耕士の昭和史』は1971(昭和46年)~1972(昭和47年)

1972年は言わずと知れた「沖縄県発足の年」。
新聞やテレビ各社の取材合戦は一挙に加熱した、ということは一切ありませんでした。
まあ、日本のマスコミが「基地の島・沖縄』を報せることに情熱を注いでおれば、僕のこの年の苦しみはなく、僕はフォーク史上に燦然と名を輝かせ売れっ子作詞家の一人に数えられていたと思う。間違いなく、ね。

1971年5月か6月のある日、僕は舟木一夫さんを育てたディレクターとして高名な栗山章ディレクターから「沖縄のレコードを作ってくれ」という依頼を受けていた。
栗山さんは当時、誕生したばかりの「ワーナー・パイオニア」レコードのLP課にいた。
企画そのものが唐突だったのは「琉球新報社」からの依頼だったからだ。
「琉球新報社」の社長と「ワーナー・パイオニア」の上層部のどなたかが同級生で「沖縄返還記念レコード」を作ってもらえないか? という打診があったのだという。
どんなレコードにしたいのかの案も出ぬ内、とにかく僕がこれを担当することになった。
僕には中三での文通相手が宮古島の洲鎌ケイ子さんだったこと、20歳の年に沖縄が舞台のテレビ映画『空手風雲児』の製作助手をしていたことの二つの沖縄体験があった、
だが、そこから「沖縄」についての知識を得ることは出来なかった。
僕はこの機会に沖縄について正しい知識を得たいと思った。

第一回目の取材はすべてそこに焦点を合わせた。
驚くべき事実が識者の口から次々にこぼれてくる。
僕は圧倒された。
沖縄への関心の低さは沖縄の歴史を知らぬが故の無知からくるのだ、と思った。

じゃあ、本土の人たちはみんなで沖縄の歴史を勉強をしましょう。
基地の島となる過程で何が起き、どんな問題を残しながら日本への復帰が行われるのか?
僕はレコードをそういった視点から構成することにして、取材先をリストアップした。
音楽はその歌が歌われた場所で録音することにした。
風すさぶ草原で、断崖絶壁の上の広場で、家の中で…。

僕の頭はすぐに壊れた。
構造が単純に出来た頭だから、こういう入り組んだ悲惨な歴史を受け止めきれない。
ノイローゼになり、すでに小室等+かぜ耕士として組み合わせが発表されていた「上条恒彦+六文銭」出場の『第三回合歓ポピュラー・フェスティバル』への出品作は仕上がりませんでした。
小室さんと上条さんは「かぜ耕士は病気のため不参加」と書いたり、語ったりしてくれてますが、ノイローゼじゃ先々の仕事に響くのでありがたい気遣いでした。

ただの体験をいつか正しい経験に変えなければ、来年の沖縄体験は一過性のもので終わる。
「沖縄県発足」で体験することになるに違いない摩擦・融合を一過性で終わらせず、経験に変えて行こう。それも正しい経験に。
『沖縄を語るとき~いつか正しい経験とするために』
レコードタイトルはそう名付け、構成、取材、ナレーション かぜ耕士でクレジットされた。
これを機に僕はだんだんメディアの表側にスライドし始めた。
そしてニッポン放送の『たむたむたいむ』にたどり着く。

曲は
①『島唄』(The Boom)
②『ポートランド・タウン』(ジョーン・バエズ)

FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。

スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただけるとありがたいです。

写真は3枚組LP『沖縄を語るとき~いつか正しい経験とするために』
\3,000- ワーナーパイオニア 1972年3月25日発売




2015年9月5日土曜日

本日(9/5)のFMさがみ『かぜ耕士のどこかでラジオが』

『かぜ耕士のどこかでラジオが』(隔週土曜日 Pm.11:00~11:59)

『かぜ耕士の昭和史』は1970年~71年(昭和45~46年)
僕が『出発の歌』でフォーク・ブームの先鞭を付けるまでの「上条恒彦+小室等と六文銭」の座付き作詞家だったことはあまり知られていません。
正直、『涙をこえて』で世に出てから声を掛けてくれたのは音楽出版社の「ユニオン・コルス」と小室等さんだけでした。
70年、小室さんの誘いで、僕は上条さんのコンサートのオリジナル曲や訳詞を手掛け始め、続いて71年には小室等と六文銭の詩を書き始めました。
「小室等と六文銭」はメンバーそれぞれが作った歌は何曲かあったのですが、グループとして歌う曲がなく、ちょうど71年4月頃からラジオにレギュラー出演するようになったために、彼らのソロと僕が外国曲に詩をつけたグループ・ソングで急場をしのいでいました。
僕の名はフォーク史に残っていませんが、僕が『出発の歌』を書かなかったことで日本のフォーク・ブーム、ニュー・ミュージック・ブームを招来させたのは本当です。
まあ、『出発の歌』の半年後に出る拓郎君の『結婚しようよ』で間違いなくフォーク・ブームは到来したと思いますが、『出発の歌』とのタッグが功を奏した側面は見逃せないと思います。
僕が何故『出発の歌』を書かなかったかは71年という時代にありました。
そう、沖縄県発足の前年でした。
僕はその夏に予定されていたミュージカル『ロック戦争』への出演と『第3回合歓ポピュラーソング・フエスティバル』への参加を蹴って沖縄取材に奔走していたのです。
今日はそんな話を。

曲は
①『傷ついた小鳥』(ダリダ)
①『風に立つライオン』(中山エミ)

特に2曲目は一聴の価値あり。物語を歌うことに長けたシャンソン歌手ならではの一曲です。

FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
http://csra.fm/blog/author/fmsagami/
へアクセスを。
スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただけるとありがたいです。

写真はkuro-sanとProNex st.で。
もう一枚はこの日、寂しく一人で喰った池袋東武「和幸」のロースカツ定食。







2015年7月10日金曜日

7/11(土)のFMさがみ『どこかでラジオが』(23:00-23:59)

「わたしの昭和史」は 1968-70(昭和43-45)年。
凄く焦って先に行こうして、話が解りにくくなってない?という意見がありました。
バイト時代の話です。
『3時のあなた』を早々に切り上げた理由と『走れ!歌謡曲』に居続けてしまったわけ。

曲は
①『スピニング・ホイール』(ブラッド・スウェット&ティアーズょ
②『そばにいてほしい』(サム・スミス 2015 グラミー賞3冠)
③『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』(ザ・ビートルズ)

 ★以下はkuro-sanの紹介文を使わせてもらってます。
FMさがみは、サイマルラジオを経由することで、日本中、世界中どこでもパソコンでお聴きいただけます。
http://csra.fm/blog/author/fmsagami/
↑ からアクセスをお願いします。スマホの場合は専用のアプリが必要ですが、これも一度ダウンロードしておけば、いつでもどこでも FMさがみをお楽しみいただけますよ。お使いのスマホと相性のよいアプリを探してみてください。 TuneIn Radio をお使いの方が多いようです。

若い時の写真、何枚か載せてみます。
喰ちゃんを見たいという声があったので、喰ちゃんのいるものを。




2015年7月5日日曜日

「日刊ゲンダイ」の記事


取材してくれた山田さんがアップしてくださいました。

山田さんは演劇ジャーナリストなので、日記のように鑑賞記をご自身のタイムラインにアップされています。
最新記事はストレートプレイの古典的名作を音楽劇にしたワイルダーの『わが町』。

FBを活用されてらっしゃる方は新聞用ではない親しみに溢れた素敵な鑑賞記を是非ご一読ください。


江戸蜂蜜


獣医師として知られ、有機農園をお持ちの野澤先生から見るからに美味しそうな蜂蜜を送っていただきました。
左の明るい色のが今年の作品、右の色の深いものは去年からの越冬した蜜だそうです。
「黄金色」と呼ぶにふさわしいその色にまず驚いた。
舐めてみてさらに驚いた。
サラリとしながら口いっぱいに広がる上品な甘さは今年のもの。
蜜の深い色合いに似て味わいにも奥行きが感じられる越冬もの。

正直、濃厚というよりは単にこってりあまい、スーパーで買う蜂蜜しか食したことがなかった。
イヤ、三浦半島に養蜂業の方をお訪ねした取材で採ったばかりのを舐めさせていただいたことがあったな。
あの時も市販のモノよりくどくないサッパリした味わいに驚いた。
僕は食い物にはとやかく言わない、言えるほどのものを食べてこなかったので食レポは全く出来ないんだけど、この両「江戸蜂蜜」はこのすぐれない空模様の日曜の午後をとても幸せな時間に変えてくれました。
では、雨の来る前にblake散歩に出掛けてこよう。
野澤先生、ごちそうさまでした♪




2015年6月27日土曜日

6/27(土) 本日の『どこかでラジオが』

(FMさがみ 23:00-23:59)

「わたしの昭和史」は1967年~68年(昭和42年~43年)。

あまりに暇だった僕は教職課程(国語・高校乙、中学甲級)まで取ってしまった。
教育実習の場は大学内にあった「都立江古田高校定時制」。
時間待ちで映画学科の求人募集を見ていた僕は「ミュージカルに興味のある人求む」のビラを見つけた。
応募書類と作文を送った。
2次試験の「楽しい手紙をください」を送った数週間後、どうやら合格したらしいハガキが届き、僕はある創作集団に加わる。
のちに「ニコニコ堂」と名付けられるその集団に居残るには…。
僕は運良く4ヶ月目に作詞家デビューし、フジテレビ『3時のあなた』のADになる。
しかし…。
68年11月19日、文化放送『走れ歌謡曲』のAD。
相も変わらぬパシリ生活には思いもよらぬ事件が待っていた。

曲は
①フィフス・ディメンション『Up Up And Away ビートでジャンプ』
②ブルーノ・マーズ『Loked Out Of Heaven』
③ボブ・ディラン『風に吹かれて』

 ★以下はkuro-sanの紹介文を使わせてもらってます。
FMさがみは、サイマルラジオを経由することで、日本中、世界中どこでもパソコンでお聴きいただけます。
http://csra.fm/blog/author/fmsagami/
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写真は
①合格通知らしいハガキ
②「ニコニコ堂」となる前のメンバーと横浜で
③『走れ!歌謡曲』大阪万博見学旅行









2015年6月24日水曜日

日刊ゲンダイ7月3日


以前、FB友達の演劇ジャーナリスト山田勝仁さんに取材していただいた記事が7月3日に掲載されるそうです。
是非、忘れずにお買い求めくださいね。
東武デパート4階で山田さんと。