2014年10月18日土曜日

10月18日(土)

本日の『どこかでラジオが』(FMさがみ 23:00~0:00)

今日はしゃべることを何も思いつかず入院から退院後半月間に見たDVDの感想を思いつくまましゃべっています。
まとまりがなさ過ぎる感じですが、勝手なことしゃべるとこんな感じなんだな、と思ってやってください。

曲は
①ブレイク・ルイス 『ハートブレイク・オン・バイナイル』
②ゴティエ 『Somebady that I used to know』
③レディ・アンテベラム 『ニード・ユー・ナウ』
④ウォーブラーズ 『ヘイ! ソウルシスター』

PCならサイマル・ラジオ、スマホなどではTuneIn Radio というアプリが聞きやすいようです。お試しください。



2014年8月30日土曜日

8/30(土) 本日の『どこかでラジオが』

本日の『どこかでラジオが』
(FMさがみ 毎土曜23:00~0:00)

今日はお便りを読みっ放しの予定でしたが、コラアゲンはいごうまん君と、3ガガヘッズのパーマイ雅晴君、正源敬三君の3人が飯喰いましょう、とスタジオに遊びに来てくれたので、番組に出てもらってしまいました。
コラアゲン君は日本中を旅し、3ガガは世界を旅しています。
旅対決ではないけれど面白い収録になりました。

曲は
①ミーナ&森山加代子
 『月影のナポリ』
②アンソニー・パーキンス&ミッキー・カーチス
 『月影の渚』

サイマルラジオ、その他のアプリでお聴きください。
リクエストやお手紙も募集しておりますのでよろしくどうぞ♪

左から かぜ、コラアゲン、パーマイ、丈二君、正源、kuro-san。





2014年8月28日木曜日

8/27(昨日) プチ快気祝い

8/27(水)の午後、友人の津布久さん、hecoちゃん、菅谷さんのお三方が我が家を(「拙宅」とか言ってみたいが、どうも似合わないんだよな、俺ン家)訪れてくれ、なんとなく、なんとなく、まことになんとなく、「プチ快気祝い」なるものが始まった。
「プチ快気祝い」なる言葉も津布久さんのFBへの投稿で「ああ、3人で快気祝いをしに来てくれたのかあ」と認識したほど。
昨日の連絡を菅谷さんからFBの「メッセージ」でもらった時には実のところ、あ、3人で遊びに来てくれるんだあ、嬉しいな♪ という独居老人宅に茶飲み友達が来てくれる感覚。
なので掃除機は掛けたが拭き掃除までは手が回らない内、予定の時間になってしまった。
ま、茶飲み話だけならこれでも良いんでしょうけど、快気祝いとなると受け入れ体制が十分じゃないぞ。
しかし、そんなことにはお構いなしに会は山もなく谷もなく、構成的にはグズグズのまま、それなりに楽しく進行しているのであった。
赤飯をいただき、フランスパンにカマンベールチーズを乗せ、あるいはマヨネーズあえの高級コンビーフ乗せ、など満腹に近づいた頃、やおら登場したのが葡萄。
僕は種を出すのが億劫、でも種はとらなきゃイヤ、という理由だけで葡萄をあまり食べない。
子供の頃、大好きだったスイカもほぼ同じ理由で遠ざけた。面倒なのがイヤ。ただそれだけだ。
ところが今日の逸品は見た瞬間に、単純に、「喰いたい!」と思った。
緑と紫の色の取り合わせ、粒の大きさ、その上、なんと!、種がない、皮ごと食べられる、というではないか♪♪♪
実は、この葡萄は一昨日、hecoちゃんが宅急便で届けてくれたもので、多分、当日、みんなで食べるためのものだな、と中身も確かめず冷蔵庫に入れておいた。
イヤ、中身を見てしまい、一粒でも味わってしまっていたら、葡萄たちはみんなを唸らせることは出来なかったね。意地汚い僕は一粒残らず喰い尽くし、「hecoちゃん、ごちそうさま。昨日いただいたもの、すごく美味しかった」程度で済ませたに違いない。ヘッ、ずるい奴だ。
しかし、美味しいものこそみんなで食べるものですなあ♪
ま、とにかく美味しさにビックリ!
シャぶりついてしまいまして、アッという間に2房完食。
イヤ、久しぶりに楽しく美味しく食事をした気になりました。

お三方は夕刻には帰られましたが、菅谷先生の勤務先が比較的近くにあることが判ってから、我が家は以前より人の訪れが多くなっています。

菅谷先生が何度か来てくれた、ということもあるんだけど、なんか人が訪れやすい家になり始めたのかなあ。
少し、賑やかになると妙にはしゃいでる自分に気づいた昨日でした。


8/27(水)の午後、友人の津布久さん、hecoちゃん、菅谷さんのお三方が我が家を(「拙宅」とか言ってみたいが、どうも似合わないんだよな、俺ン家)訪れてくれ、なんとなく、なんとなく、まことになんとなく、「プチ快気祝い」なるものが始まった。
「プチ快気祝い」なる言葉も津布久さんのFBへの投稿で「ああ、3人で快気祝いをしに来てくれたのかあ」と認識したほど。
昨日の連絡を菅谷さんからFBの「メッセージ」でもらった時には実のところ、あ、3人で遊びに来てくれるんだあ、嬉しいな♪ という独居老人宅に茶飲み友達が来てくれる感覚。
なので掃除機は掛けたが拭き掃除までは手が回らない内、予定の時間になってしまった。
ま、茶飲み話だけならこれでも良いんでしょうけど、快気祝いとなると受け入れ体制が十分じゃないぞ。
しかし、そんなことにはお構いなしに会は山もなく谷もなく、構成的にはグズグズのまま、それなりに楽しく進行しているのであった。
赤飯をいただき、フランスパンにカマンベールチーズを乗せ、あるいはマヨネーズあえの高級コンビーフ乗せ、など満腹に近づいた頃、やおら登場したのが葡萄。
僕は種を出すのが億劫、でも種はとらなきゃイヤ、という理由だけで葡萄をあまり食べない。
子供の頃、大好きだったスイカもほぼ同じ理由で遠ざけた。面倒なのがイヤ。ただそれだけだ。
ところが今日の逸品は見た瞬間に、単純に、「喰いたい!」と思った。
緑と紫の色の取り合わせ、粒の大きさ、その上、なんと!、種がない、皮ごと食べられる、というではないか♪♪♪
実は、この葡萄は一昨日、hecoちゃんが宅急便で届けてくれたもので、多分、当日、みんなで食べるためのものだな、と中身も確かめず冷蔵庫に入れておいた。
イヤ、中身を見てしまい、一粒でも味わってしまっていたら、葡萄たちはみんなを唸らせることは出来なかったね。意地汚い僕は一粒残らず喰い尽くし、「hecoちゃん、ごちそうさま。昨日いただいたもの、すごく美味しかった」程度で済ませたに違いない。ヘッ、ずるい奴だ。
しかし、美味しいものこそみんなで食べるものですなあ♪
ま、とにかく美味しさにビックリ!
シャぶりついてしまいまして、アッという間に2房完食。
イヤ、久しぶりに楽しく美味しく食事をした気になりました。

お三方は夕刻には帰られましたが、菅谷先生の勤務先が比較的近くにあることが判ってから、我が家は以前より人の訪れが多くなっています。

菅谷先生が何度か来てくれた、ということもあるんだけど、なんか人が訪れやすい家になり始めたのかなあ。
少し、賑やかになると妙にはしゃいでる自分に気づいた昨日でした。





2014年8月21日木曜日

8月20日(水) 昨日のこと

取材

日刊スポーツの小谷野さんが暑い中、こんな遠くまで来て下さいました。
小谷野俊哉(コヤノトシヤ)さんは中居くんの『ミになる図書館』(テレビ朝日系 火曜日 午後11時台)を初めテレビ出演などもされているベテラン記者
宅配版土曜日に連載されている『あの人に聞きたい』という2週続きのロングインタビューの「あの人」に僕を選んで下さったわけです。
僕を知ってて下さるのですから、当然、深夜放送族。2時間半も愉しくお話しさせて戴きました。
早ければ来週と再来週、2回連続での掲載になるそうです。

残念だったことがひとつあります。
実はこの町には喫茶店と呼べるような店がなく、駅から一番近くて静かなのは駅の構内にある改札口横の店だけ。
ところがその店、今日が定休日だったようで、急遽、ガストに変更して貰ったのですが、なぜか本日大繁盛。
雑音の中での(と言うのは僕側の見方で、店全体から言えば僕の声も雑音の一つに過ぎないんだけど)インタビューとなりました。

独居老人になってから僕は喋りすぎます。
特にギランバレー発症以後は電話する元気が無くなってしまったので、blake以外に話し相手がおらず、たまに人に会えると嬉しくてついつい喋りすぎます。
介護認定の調査に来た人にまでやたら喋りすぎて「本当に要介護5と認定されたんですか?」と言われる始末。去年の今ごろは喋れない、食べられない、箸も持てない、歯も磨けない、という状態だったんですから、そりゃ、疑われますわネェ。

ともあれ、騒音に負けまいと、大声で、しかも半分は喜んで喋ってるので、聞きようによってはまるではしゃいでいるかのような感じなんですね。
自分でもそれに気付いてるんだけど、なんか負けまいとして出してる大声がコントロール出来ないのですねぇ。
最近はラジオでも喋りすぎてるんだけど、人に会ってると嬉しくてしょうがないんですよね。
心臓の一件で休んでいた通所リハビリも9月から再開するので、また爺ちゃん婆ちゃん(だから、自分ももう爺さんなんだってばサ)と一緒に体操に励みます。
少し、気も紛れるでしょう。

そんなわけで、小谷野さんの録音機に上手く入っていれば良いがなあ、と思った午後でした。
5時。blakeと桜並木を散歩。
友人Kと丸亀製麺でざるうどんを食べて1日を終えました。

さて、宅配版というのはどうやって手に入れられるのか?
掲載が決まるまでには調べておきますね。

2014年8月16日土曜日

8月16日 昼飯

天気が悪くてベッドから起き上がれず何をする気も起きないが、悲しいことに腹は空く。
で、レタスを千切って揚げ麺を散らして胡麻ドレで。

ほぼ、病院食に準じる昼食です。

田川さんから病気見舞いにいただいた「花夢果夢」製ブルーベリーで初めてジャムを作ってみました。
手間をかけた(ただ要領が悪いだけ?)だけはある美味しさです。
買ったものより美味しくできてるのに感動♪



8/16(土) 『かぜ耕士のどこかでラジオが』

本日の『どこかでラジオが』(FMさがみ 23:00~0:00)

ハックルベリー・フィン篠根丈二君を迎えて、松村光芳(マークさん)を僕たちなりに番組でお葬りしました。

曲は
①携帯電話のなかった時代
②じゃ、またね(丈二君 弾き語り)
③涙の遅刻坂(マーク君作詞 新曲)
④流れ星(丈二君弾き語り)
⑤未来への伝言(ハックルベリー・フィン)

フォークソングに触れた頃、宛て先違いの『流れ星』、遅刻坂エピソード、などマーク君の想い出話などしながら新曲『じゃ、またね』を聞かせてもらいました。
スマホでは「TuneInRadio」で、PCでは「FMさがみ」を検索、そのまま聴くことができます。



2014年7月14日月曜日

古稀ですよ♪

もうすぐ古稀ですね、何かお祝いしましょうよ。
幸せなことに何人もの方たちからお声掛け戴いていた。
その度に「ンー、古稀は、ちょっと、ンー」などと言って「あとで電話させてもらう」と逃げ、そのままにしている内、アッと言う間に誕生月が間近に迫り始めた。

渋っていたにはいくつか理由がある。
①節目の祝いをすると良いこと起こらない人が多いんで、オラしねえ、という全くデータ不明の母の言葉の重さ。そのお陰か彼女は現在91歳。ボケてもいない。
②僕らが古稀の祝いをさせていただいたあとからあんなにお元気だった永六輔さんは不調を起こした。
③高校一年から55年もの友人を今年亡くした。さらに間もなく僕の番組と関わりが深かったバンド「ハックルベリー・フィン」の松村くんが亡くなった。
そして1972年の沖縄の日本復帰に先駆けて71年に僕を沖縄に送り込み、LP3枚組の大作になってしまった識者インタビューと音楽で綴る『沖縄を語るとき~いつか正しい経験をするために』を作らせてくれた超高名プロデューサーK氏の伏せられた死。
これはどう考えても僕にとっては「喪中」ではないのか?

そんなゲン担ぎと迷いなどがあって、実は通常の誕生日のようにスルッと通りすぎたかった。

ところが、その話のあとから時々意識が遠のく事態が起き始めた。
オンや? これは会いたいみんなに会っておかないと、機会はもうねえぞ、ってサインか?

覚悟を決めた。
「みんなにお会いしとこ」

その合間に病院に検査入院。2度にわたる3ヶ所の手術を決めた。
アア、俺って長生きしたい人間だったのかあ。
不思議な気がした。だったらあの不摂生と不始末だらけの人生の後片付けしろよ! そのためになら命を少し伸ばしてやる。
どなたかが何処かでそう言ってくれたような気がした。
どなたかは判らない。多分、僕の中にだけいらっしゃる「御都合神」だろうと思う。

7月13日はすぐにやって来た。関口宏さんにも、長谷川きよしさんにも、中山千夏ちゃんにも、石川秀美さんにも、遠藤章造さんにも、道重さゆみちゃんにも、記憶違いでなければ中森明菜さんにも、ハリソン・フォードさんにも来たはずの7月13日。
今日は久米宏さんにも古稀がやって来ているはずだ。
まあ、来るべくしてくる日なので何がどうした、というわけでは無いのだけど、僕だけは親しい方たちに
"Happy Super 70!"
なる催しを開いていただいた。

まあ、インターネットと『ヤング101復活コンサート』が重ならないと昨日はなかったような気がします。

ネット黎明期にさとなおさんが僕の消息を探してくれ、僕は友達の会社のPCから返事を書き、以後はFAXでお願いします、という今では笑っちゃう始まりだった。
佐藤さんが『たむたむたいむ』web versionの起ち上げの用意をしてくれ、間もなく『ヤング101復活コンサート』の話が持ち上がる。
そこにネットが深く関与したのは当然のことだった。

web版『たむたむたいむ』の最初のoff会には多くの方がやって来てくれたがしぼむのも早かった。
『セイ!ヤング』からのリスナーの大半が姿を消し、『たむたむ』からのリスナーが残った。
Off会が10人足らずで行われたりしたことも。
hecoちゃん、アプリさん、クーコさん、まりもさん、ちはるさん、むつらぼしさん、のほほん君、思えば3.11まではITSUMIさんも常連だったのにね。
やがて、友達で脚本家の高田純が茶室作りのお手伝い募集を僕のサイトでやったことから新しい遊びの形も加わって新大久保までスンドゥブ喰いに行ったり、カラオケしに行ったり、高田くんは晩年、僕らと遊ぶことで、創作のストレスを相当発散出来たんじゃないかなあ。
イベントの時以外、反応しない松前くん、
らんまるくんもまだ、病気しらずで元気だった…。

そして、ハックルベリー・フィン
の再結成とoff会ゲストにコラアゲンはいごうまん君の登場。
僕らはハックルとコラアゲン君のライブに良く付き合いました。
たむたむさん、みんちゃん、花豆さん、りみっとさん、さんがつさん、くすくすさん、あくびさん、静岡からむらさきさん、愛知から田中さん、北九州からアイナプーさん、北海道からWILLさん…。
遠距離からの参加やレギュラーメンバーが揃い始めたのも2006~7年の頃でした。

40年来の聞き手阿鬼羅君に35年ぶり位で会ったのがハックルの大江戸コンサート・ゲストの時だったね。
みんなでお好み焼きを食べに行った暑っい夏の日盛り。

一番星君、むつらぼしさん、りみっとさん、mmさん。もう、このころはいつも一緒だったような気がする。記憶だけだが…。
無糖歯痛君、あなぐまさんにも時々会ったね。

昨日はそこに『涙をこえて』のオリジナル・シンガー、シング・アウトのドラマー、ドンちゃんの同級生で彼の紹介で、勝手に弟子1号となっていた尾関くん、AD時代から人柄を信頼していた四倉君、レコード・デビューに際してジャケ写を撮って貰って以来の長い付き合いになっている栗原さんも来てくれた。

幹事は最も古い僕の聞き手でその美しい字のためか投書は全部放送で読んでいたtsubuさん、ハックルベリー・フィンのコンサートの常連ゲストSSUのギタリストで昨年末からこれまた突然弟子2号となった工学博士Sugayaさん、そして、仕切りはこの人にしてもらうと遺漏の無い石の花アーチストのhecoちゃんらがつとめてくれた。

ここにFBを始めたからこその友達、高岡さんと清水さんも加わってくれて、清水さんは友人Epoちゃんがセンチメンタル・シティ・ロマンスの督夫さんとともに僕向けに歌ってくれた『バースディ・ソング』を持ってきてくれた。
WILLさんはルーペ付き「誕生日新聞」を、アイナプーさんには会場近くに住んでらっしゃる娘さんやお孫さんから直接お花を届けていただいた。
仙台のmamiさんからは会場の皆さんに仙台名物「萩の月」を、山口の片岡さんからも…。
仕事前に寄ってくれたkuro-san、
闘病中にも関わらずやって来てくれた千春さん、同行してきてくれた娘の恵美里ちゃんはすでにプロのアニメーター。イベントごとにイラストを下さる。
フランスの街角でこれ描いて見せたら飛ぶように売れそう♪

そう、色んな方に、熊のプーさんのぬいぐるみ、とか、半袖シャツ、とか、UNIQLOの「ステテコ」、都電サブレ、赤と黒がイカしたタオルなどなどプレゼントを沢山戴きました。
書き落としがあったら御免ね。
中でも嬉しかったのは写真集『Blake』。
帰りつくまで魅入り、眠るまでニコニコし続けました。

そして、もうひとつ、書いたご本人は昨日が僕の誕生日だったことなど知らなかったはず。
日大芸術学部放送学科の金先生が元生徒の一文を載せてくれています。
金達郎先生のプロフィール・ページで昨日の記事を読んでいただけると幸いです。

皆さんのおかげで楽しい一日を過ごさせていただきました。
嬉しい一日でした。
もうちょっと長生きしたいなあ、と考え始めた一日でした。

参加してくださった皆さん、メッセージをくださった皆さん、写真集『Blake』の写真を提供してくれた友人K、編集をしてくれた赤穂くんにも重ね重ね礼を言います。

誕生日をお祝いくださり本当にありがとう。
長生きして、ご恩はいつか…。

残念、これは約束ができませんがまたの機会があることを祈りつつこの1年を大切に生きようと思います♪








2014年6月21日土曜日

またかよ的近況


実は先週末の定期検診の時、24時間、心電図計を装着させられていたんです。
何故、着けることになったかというと、僕は梅雨の時期、というか低気圧の力が強まる時、しばしば不整脈を起こすんです。
胸苦しくなって、フッと気が遠くなりかけるんです。
これは心臓のバイパス手術後、5年目頃から起きるようになって、検診の度、訴えたのですが、答はいつも
「そんな症状がなくなるように手術したんですよ」
そりゃそうだよなあ、と納得するしかありません。
でも、胸苦しくなったが最後、最低2時間、ひどい日は一日中、金魚が酸素を欲しがるみたいにベッドに横たわって喉だけでハアハアと呼吸しながら症状の収まるのを待つしかありませんでした。

改めて言うべきことではありませんが、僕は一般的なこの歳の人間に比べると、自分の症状を主治医に詳しく伝える能力があります。
でも、多くの医者はそういう患者が嫌いです。
「手術したんだからそんなことあるはずないでしょ!」
「大したことでもないのを大袈裟に!」
と怒り出す担当医やあからさまに嫌みを言う担当医もいました。
ま、苦しむのは僕で、あんたじゃないからな。
僕は明らかに年下の担当医たちをそう思うことで許してきました。
ただ、僕はこういった悪意を引き寄せる、なんか変な磁力を持っているんですよね。
それについて様々な評価を下されているのは知っていますが、ま、今は措いといて…。

心電図の異常なんてグラフを見れば解るのだから病院に行けるくらい元気な日には異常は顕れないんですよ。
ですから僕も通常の定期検診で心電図が異常だったことはありませんでした。

1994年6月。あるクリニックで24時間心電図を着けた時、「速やかなる処置を要する」という結果が出たのですね。
担当医のしたことは「ニトロ」の錠剤を12錠出すことだけでした。
その年の12月下旬、僕は仕事に出掛けられないほど疲弊して、初めて心臓が95%ほど機能していないことを知りました。
つまり、残りの5%で仕事をし、動いていたのです。仕事に行くのが辛かったのも道理だったのだ。
手術に耐え得る体力がない、と診断され3週間、病院のベッドの上で体力の回復を待ちました。
1995年、阪神淡路大震災のその日、心臓のバイパス手術。
それから5年後くらいには不整脈の症状が出始めたんだけど、まあ、担当医の対応は前述したものだったわけよね。
2001年、ロサンゼルスのレドンドビーチで半年がかりで本書くことにした際、L.A.の病院に留学していたN大病院のM先生に出会い、僕は病院を変えた。

僕は悪運を引き寄せる力が強いけど、良運を引き寄せる力も結構あるんだよねえ。

2002年のいつ頃だったか、運の良いことに病院で金魚パクパクが起きちゃったんだよね。
すぐに心電図をとると不整脈が発覚した。
「かぜさんのいつも言ってたこと、本当でしたねえ」
M先生もそう言ったくらいだから1/3くらいは、かぜさん、ちょっと大袈裟、と思ってたかもしれないな♪

M先生のおかげで不整脈が収まって、生活は以後、あまり、トラブルなく過ごしてた。

でも、2007年、前立腺手術。
その検査の際、血流の悪い部分があることが発覚。血管の中に土管埋め込みみたいな作業をすることになった。
ステントの取り付け、ってやつですね。
ところが、そのために血管の中で風船を膨らませたら血管が破れて出血しちゃった。
以後はなるべく血管の手術をしないで済むよう、薬で血液サラサラを行ってきたわけです。

でも、バイパス手術ってそれ自体の寿命は10年なんですってね。
つまり、僕のバイパスはそのおよそ2倍働いてくれてたわけ。

イヤ、マ、何を言おうとしているのかと言えば、先週末の心電図計24時間装着で判ったことは、一晩で18回ほど脈と脈の間に長~いマが出来ていることだった。
心房細動? 『ER』でよく聞いた症状なので、あまりいい状態じゃないみたいね。

下手したら、また、手術?
血管、持つんでしょうかねえ?
心配はいくつもあるんですが、ま、来週月曜日に専門病院に検査に行ってきます。

『ルーズヴェルト・ゲーム』 明日最終回

『花咲舞が黙ってない』が終りました。
銀行版おんな水戸黄門。
展開は承知だが、主演の杏ちゃんは当たっている人を見る楽しみがあり、上川隆也さんはいつもながら折り目正しい芝居。
顔そのものが臭くなりがちな生瀬勝久さんもちゃんとやれば面白くなる役どころなのを心得ている上手さで全話楽しく見た。
原作の池井戸潤さんは『半澤直樹』で昨夏大当りした人だが入院直前に第6話まで楽しく見ていたものだからその後、大当りになったと聞き、僕、この作家と肌が合うんだと思った。
今シーズンは『花咲舞が黙ってない』の他に『ルーズヴェルト・ゲーム』を見ているのだがこちらも原作が池井戸さん。(次回が最終話)
全然意識せずに見始めたら一話目で両作とも同じ原作者だと知り、合点がいった。
歳取ってくるとこういう勧善懲悪ものが好きになる理由も何となく判ってきた。
展開の読める心地よさ、読後感の清々しさ、で気分が大分救われる
現実は決して楽しくもなんともないので、せめてテレビの中では清々しいそらぞらしさを見ていたい。
僕の中には、もはや「哀しみ体力」があまり残っていないので人生を変えさせられるようなドラマは困るんだ。
若い時は変わって行く自分が楽しくて仕方なかったけど、もうその体力はない。
安易でない暇潰しは他でやるのでテレビはもう安易な暇潰しをさせてくれればいい。
暇潰しの時しか見てないし…。
嘘さえつかずにいてくれればね。

自分も深く関わった時期もあるテレビというメディアを残念ながら今やそういう位置に置かざるを得ないのは寂しい…。
けど、1シーズンで2本のドラマを最終回まで見終えることあまりなかったので今シーズンは僕にとっては豊作だったのかも。
NHKの連ドラ『花子とアン』が良いという噂も聞くのですが、試しに見たら僕にはダメな種類の芝居をする人がいて、諦めました。

海外ドラマは目下『SUIT 3』のみ視聴。
弁護士事務所が舞台だが噂ほどではなく、暇潰し以上のなにものでもない。
同じ弁護士事務所物ではちょっと前の『スキャンダル』という政界フィクサーものの方が陰湿で面白かったかも。

ま、コレからしばらくはテレビでなく入院で見損ねていた映画を順次見て行こうかと思っています。

実は仕事もなく無為な日々を送っているというのが実情です。
どこでも伺いますので『要介護5からのリハビリ~ギランバレー症候群と私』みたいな講演会、またはトークショーをやらせてくれる方はいらっしゃらないでしょうか?
ドラマはネタ振り、本題は実はコレ、みたいな投稿ですみません。
ご検討くださるかたがいらっしゃると幸いです。
よろしくどうぞ。「

2014年6月11日水曜日

アイツは俺を‥‥


blakeは僕を操り始めたかも知れない。
彼はテレビがついている間中、僕の顔をジッと見ている。
おお、眠れないのか、すまないな、と言うと、迷惑そうな顔でベッドの横をノソノソと歩いて廊下に出て行く。
テレビを消すと、おお、やっと消したか、と言わんばかりに自分のベッドに戻ってくる。
しかし、ほどなくして、彼は再び、廊下に出て行く。
その時、僕にチラリと迷惑そうな視線を向けるのを忘れない。
つまり、テレビは消したが電気は消さないのか、という抗議の視線である。

こんな風に彼は僕をしつけ始めているのだが、なら、彼の知られたくない恥ずかしい話をバラしちゃおう♪

アイツは昨日(6/9夜)の雷がよほど怖かったのか、3回もチビったんだぜ。
主人を躾る前に、もう少し自分も鍛えないとな♪

写真は友人Kの投稿から借りました。
しかし、寝姿は僕しか目撃できない。





2014年6月10日火曜日

5月14日 さすがに疲れてる


先週木曜日の通所リハビリ以降、録音、2つの法事と遠出が続き、さすがに今日は今に至るもベッドから出ることが出来ない。

だが、もしかすると僕が最もマイってるのは第3の友人の死であるかもしれない。

彼はどうやら昨年6月に亡くなったらしい。
その死は何日か誰にも気づかれずにいた。
外国との往復が多かったので連絡が途絶えても不思議がられないという不運もあった。

しかし、訃報は最近まで僕に届いていなかった。

彼の死を報せる手紙は昨年の12月に投函された。
遺品整理をしていた人が僕との仕事が多かったことに気づいてくれたからだった。
そこでおそらくはネットで検索したのだろう。
彼はFMさがみの『かぜ耕士のどこかでラジオが』宛に手紙を送った。
だが、その当時、僕はまだ入院生活を送っており、復活の目処さえたっていなかった。
もし、僕に2度と復活の日が来なかったなら、僕は彼の死そのものを知らなかったろう。
僕と彼とが没交渉になったのは2002年のことで、理由はハッキリしているのだが僕にも彼にもその件に関しては非がない。

その詳細は省きたい。
僕は「嘘」はあまり言わないのだけれど「秘密」はとても多い人間です。
「秘密」を喋らないことが「嘘つき」になるのなら僕は「大嘘つき」です。

ともあれ、訃報は僕が番組復帰をしたことで初めて目に触れることになった。
つまり、訃報は4ヶ月誰にも開かれなかった。リクエストや番組へのお便りと同じ扱いを受けて、局預かりになっていたわけだ。
でも、正直、僕のもとへ届いただけマシと言うべきだろう。
復帰できるのかどうか判らないパーソナリティへの「お便り」を局は保存しておいてくれたのだものね。

それにしても僕はそれほどまでに無名だったかなあ。
彼の仕事歴のどの時点で多くの接触があったのかが遺品から推測できれば、JASRACでも日本脚本家連盟でも、あるいはFMさがみでも電話1本で住所くらいはわかったと思うがなあ。

遺品整理に携わってくれてる人は、少なくとも、マスコミ関係者ではないな、と想像した。
想像したからどうなるもんでもないのだが、手紙の終わりには「彼の死をマスコミには漏らしてくれるな」というのが「遺族」の希望だ、と添えられていた。
「遺族」…。さあ、誰だっけ? ああ、あの姉夫婦か、不仲だと言ってたっけなあ。

宙ぶらりんの訃報がひとつ。
「孤独死」以上の情報を一つも与えられず弔ってもやれない旧い友の死が妙に心に重い今日だ。

写真は昨日のマーク君の葬儀にて。
お焼香に訪れた方々のその人数で彼の一生が充実したものであったことを知りました。
57歳という若さですから無念の思いは否めませんが僕の記憶の中で彼はずっと微笑んでいます。




2014年3月10日月曜日

トークショーやります

第1回テーマ
「ギランバレー症候群を知っていますか?」

4/18(金)午後7時~9時。
於:日暮里「プロモボックス」
(日暮里駅から徒歩3分)
でトークショーを開きます。
入場数わずか40人。
聴いてくれる人がいるのか心配なので小屋も小さく、入場料も抑えられるところにしました。
お時間がありますればぜひおこし
ください。
よろしくお願い致します。





2014年3月5日水曜日

第86回(2013年度)アカデミー賞授賞式

 2014年3月3日 於: LA.ドルビーシアター

今年は授賞式に先駆けて何本かが公開されていたが健康上の理由で一本も見ていない。
ただ、僕は毎月『SCREEN』誌を愛読しているのでどれもが評判作なのは知っていた。
近年にない粒ぞろいの秀作揃いらしいのだ。
しかも主演賞、助演賞にノミネートされている俳優たちが『それでも夜は明ける』の出演者と『キャプテン・フィリップス』のバーカッド・アブディ以外はすでに全員知っている名前ばかり(でも20人の内4人知らないんだから相当知らないことになるね)。
特に『ダラス・バイヤーズクラブ』で候補になったマシュー・マコノヒー(『スクリーン』誌の記述は「マコナヘイ」。McConaugheyなのでアリかもね)とジャレッド・レトー(以前の記述は「レト」)に期待した。
78歳になるブルース・ダーンにもあげたいし、去年書いたようにブラッドリー・クーパーはテレビ『エイリアス(ビデオタイトル『二重スパイの女』)』からのファンなので2年連続ノミネートに驚いている。
ブルース・ダーンは僕ら世代には『11人のカウボーイ』で主役のジョン・ウェインを射った牧童役で認知された。
その他大勢から徐々に役がつき、台詞が増え、重要な脇役にまでのし上がったが、初めての主演作『サイレント・ランニング』は日本未公開でビデオ時代に入ってやっと評価された。
その間に娘のローラ・ダーンの方が有名になってしまった。
授賞式ではローラがずーっと父親の手を握ってやっていたのが印象的だった。一瞬、獲らせてやりたいなぁ、と思ったほどだ。

けど、どれも面白く良く出来た作品なのにインディーズ系もしくは低予算映画の主役という印象が強く、最近はテレビシリーズでお茶を濁してる感じの格落ち感があったマシュー・マコノヒーにオスカーを握らせてやりたかった。
僕は『評決のとき』『マーシャルの奇跡』『リンカーン弁護士』あたりが好き。
近年はオスカーにノミネートされないことに疑問が呈されるほどの名演が続いていたというのだから、まあ、このあたりで獲らないと一生獲れないタイプの演技派だ。
今回の作品ではHIV患者に扮するため20kg超を減量したため、体調が元に戻らず苦しんでいる、という噂も…。
ちなみに助演賞候補のじゃレッド・レトも20kg近い減量をしている。レトは『チャプター27』(日本では『ジョン・レノンを殺した男』という副題がついていた気がする)で演ったマーク・チャプマン役の印象が強くてやたらデブ、という印象があったためレッド・カーペットに登場した時は気づかなかった。
テロップで「エーッ、ジャレッド・レトって超ハンサムじゃん」と感じ入った次第。そう言えばこの顔、雑誌で何回か見たけど、チャプマン役の彼とは結びついていなかった。
日本のインタビューに答える時間がなく、「必ず戻ってきて答えるから」と約束して足早に通り過ぎたが、ちゃんと戻ってきて笑顔でインタビューを受けた。
それもそのはず、レトは「火星まで30秒」とかいうバンドも持っていてその日本公演がたしか間近い。そう言えばチケットを販売してたな、と思い出した。
ちゃんと自分のプロモーションを忘れなかったところがエライな。気に入った。
『アメリカン・ハッスル』で主演賞候補のクリスチャン・ベールは『バットマン』役者として知られるが、以前から役のためには命をも張る種類の俳優だ。
寝不足男の『マシニスト』では死にそうなほど痩せ、一昨年助演賞を獲った『ザ・ファイター』ではヤク中の兄貴を演じるためにまた激ヤセして魅せた。
『アメリカン・ハッスル』ではデブでおでこがハゲ上がった男を演るために、今度は激太りして、髪を何本も抜いたという。
身体を役に合わせることがニュースになり始めたのは『レイジング・ブル』(1980)でロバート・デ・ニーロが重量級ボクサーを演じるために30kgも太って主演賞を獲得した頃からで、日本でも「スッゲー」と大騒ぎになった。
この手の役作りを「デ・ニーロ・アプローチ」と呼ぶのはそのためだが、『ゴッド・ファーザー』でマーロン・ブランドがオーデションの時から口の中に含み綿を入れていた、なんてのは、もう、可愛いエピソードにしか過ぎないのかしらね。

WOWOWのレッドカーペット・インタビューは隣に『アメリカン・アイドル』(おまけにエンターテインメント紹介番組『E!』の司会もしている。ほかに『ジェイミー・オリバーの給食革命USA』などの良心作のプロデューサーでもある)で知られるライアン・シークレストがいたため、全部そっちに持って行かれ、ほとんど成功していない。
だが、あとでビックリすることになるのだが、レッド・カーペットで一番最初にインタビューに成功したのは『それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴ。初めて見た顔だけどその輝き方に一種独特な華があって、日本で生放送をしている人たちが「彼女、勝つかも」と予想していたのはさすがだ。

そうこう思う内、いよいよ授賞式は本番を迎えた。
司会はエレン・デジェネレス。実はこの人も『アメリカン・アイドル』のレギュラー審査員を務めたことがある。笑顔に嫌みのない女性で日本でも『エレンの部屋』(『徹子の部屋』アメリカ版)が放送されているのだが、レズビアンであることをテレビでカムアウトした最初のスターとして知られている。
みずからの冠番組では自身の経験からなのか、ゲストの嫌がる質問は最初から避けている感じがあって、好感は持てるのだが突っ込んだ内容は期待できないので評判ほどには面白くない。海外スターのゴシップだったら僕の方が詳しいくらいだ(笑)。

今回、日本人関連は3本。「長編アニメ」部門で宮崎駿さんの『風立ちぬ』、「短編アニメ」部門で森田修平さんの『九十九(つくも)』、「長編ドキュメンタリー」部門ではザッカリー・ハインザーリング監督が日本人の芸術家夫婦を追った『キューティー&ボクサー』。ボクサー篠原有司男さんと妻・乃り子さんの凄絶な芸術生活は少し覗いてみたい気がした。ま、怖い感じもするのだけど…。
と言っている内に日本関連はいずれも賞を逸してしまったのがちょっと残念。
ちなみに「長編ドキュメンタリー」部門の受賞作は『バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち』。僕の友人、藤井正博さんイチ押しの作品でした。

ところで授賞式の始まりは助演男優賞からなので早々とジャレッド・レトが受賞した。
好青年(と言っても40代半ばだと思う。ケネディ大統領も44歳で「青年大統領」と呼ばれてたんだから別にいいよね)の曲者俳優というのはちょっと面白い存在だと思う。

短編アニメの受賞者たちは受賞の言葉を用意していたが、メモを持つ手が最後まで震えていた。感動が伝わってきて、僕は泣いた。

ま、今年は粒揃いだけど、その分、点数もつけやすかったのか、僕の愛読誌『SCREEN』の予想は全部大当たり。

助演女優賞は『それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴ。

監督賞は『ゼロ・グラビティ』のアルフォンゾ・キュアロン。
過去に『リトル・プリンセス』やリメイク版『大いなる遺産』『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』など僕の好きな作品を監督していました。
でも、今度の受賞作は全く新しい手法で過去の作品の比ではない模様。

入院している間にずいぶん沢山のスターが亡くなってたんですね。テレビも活字も見られなかった(見る気が起きなかった)ので全然知りませんでした。
ジェイムズ・ガンドルフィーニ(テレビ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』)、カレン・ブラック(彼女の代表作ではないけれど『ナッシュビル』の病んだ歌い手役が好き)、ハル・ニーダム(超有名なスタントマン)、『ワイルド・スピード』シリーズのポール・ウォーカーも!
往年の美女『オーケストラの少女』のディアナ・ダービン、なんと『アラビアのロレンス』ピーター・オトゥール、特殊効果の巨人レイ・ハリーハウゼン(何日か前に彼の伝記映画を録画したばかり)、テンプルちゃん、ヒチコックの『レベッカ』『断崖』で知られるジョン・フォンテーン、『サウンド・オブ・ミュージック』の男爵夫人エレノア・パーカー、『エデンの東』ジミーの相手役ジュリー・ハリス、『ニュールンベルグ裁判』でアカデミー賞のマクシミリアン・シェル、『水着の女王』エスター・ウィリアムス、そしてフィリップ・シーモア・ホフマン。入院前、最後に見たのが彼主演の『ザ・マスター』だった。
他にも名脇役クラス何人かと名を知るプロデューサーがいた。
僕らの時代はスタントマンの名前まで知っているほど映画の時代だったんだなぁ、と改めて映画に感謝。ありがとうございます。
そして追悼・コーナーを締めくくるようにベット・ミドラーが『愛は翼に乗って』。
やっぱり涙が出てきました。

主演男優賞はやったね、『ダラス・バイヤーズクラブ』のマシュー・マコノヒー。
過去の作品も見直されて、みんなきっと面白い、と言ってくれると思う。
レオちゃんは今度も獲れなかった。いつもイイ仕事してるのにもったいないねぇ。ポール・ニューマン同様、若い頃から騒がれて、人気もたしか、腕もたしか、というスター性にみんなが嫉妬して、歳取るまで賞をあげる気がないという図式かな。

主演女優賞は『ブルージャスミン』のケイト・ブランシェット。
まあ、この人は上手いんでねぇ。メリル・ストリープみたいに何度候補になっても不思議のない人になって行くんでしょうね。そのメリル・ストリープはこれで18回目のノミネート。

そして作品賞は『それでも夜は明ける』。原題の通り奴隷モノです。辛そうな作品だが見るつもり。
なんと製作者はブラッド・ピットです。昨年の『アルゴ』(制作陣にジョージ・クルーニー、ベン・アフレック)同様、クルーニー一派はハリウッドでやたらな好感度の高さなんでしょうね。目利きって事もあるのかな、彼らは。

敬意を表して主要部門のノミネートを全部書きました。
★印が受賞作です。

作品賞
 ★それでも夜は明ける(12 Years a Slave)
  アメリカン・ハッスル(American Hustle)
  キャプテン・フィリップス(Captain Phillips)
  ダラス・バイヤーズクラブ(Dallas Buyers Club)
  ゼロ・グラビティ(Gravity)
  her/世界でひとつの彼女(Her)
  ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅(Nebraska)
  あなたを抱きしめる日まで(Philomena)
  ウルフ・オブ・ウォールストリート(The Wolf of Wall Street)
アニメーション作品賞
 ★アナと雪の女王(Frozen)
  クルードさんちのはじめての冒険(The Croods)
  怪盗グルーのミニオン危機一発(Despicable Me 2)
  アーネストとセレスティーヌ(Ernest et Celestine)
  風立ちぬ(Kaze tachinu)
監督賞
 ★アルフォンソ・キュアロン (ゼロ・グラビティ)
  デヴィッド・O・ラッセル(アメリカン・ハッスル)
  アレクサンダー・ペイン(ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅)
  スティーヴ・マックィーン (それでも夜は明ける)
  マーティン・スコセッシ (ウルフ・オブ・ウォールストリート)
主演男優賞
 ★マシュー・マコノヒー(ダラス・バイヤーズクラブ)
  クリスチャン・ベイル(アメリカン・ハッスル)
  ブルース・ダーン(ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅)
  レオナルド・ディカプリオ(ウルフ・オブ・ウォールストリート)
  キウェテル・イジョフォー(それでも夜は明ける)
主演女優賞
 ★ケイト・ブランシェット(ブルージャスミン)
  エイミー・アダムス(アメリカン・ハッスル)
  サンドラ・ブロック(ゼロ・グラビティ)
  ジュディ・デンチ(あなたを抱きしめる日まで)
  メリル・ストリープ(8月の家族たち)
助演男優賞
 ★ジャレッド・レトー(ダラス・バイヤーズクラブ)
  バーカッド・アブディ(キャプテン・フィリップス)
  ブラッドリー・クーパー(アメリカン・ハッスル)
  マイケル・ファスベンダー(それでも夜は明ける)
  ジョナ・ヒル(ウルフ・オブ・ウォールストリート)
助演女優賞
 ★ルピタ・ニョンゴ(それでも夜は明ける)
  サリー・ホーキンス(ブルージャスミン)
  ジェニファー・ローレンス(アメリカン・ハッスル)
  ジュリア・ロバーツ(8月の家族たち)
  ジューン・スキッブ(ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅)
オリジナル脚本賞
 ★Her/世界でひとつの彼女
  アメリカン・ハッスル
  ブルージャスミン
  ダラス・バイヤーズクラブ
  ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅
脚色賞
 ★それでも夜は明ける
  ビフォア・ミッドナイト
  キャプテン・フィリップス
  あなたを抱きしめる日まで
  ウルフ・オブ・ウォールストリート
主題歌賞
 ★"Let It Go"(アナと雪の女王)
  "Alone Yet Not Alone"(Alone Yet Not Alone)
  "Happy"(怪盗グルーのミニオン危機一発)
  "The Moon Song"(her/世界でひとつの彼女)
  "Ordinary Love"(マンデラ 自由への長い道)
外国語映画賞
 ★グレート・ビューティ/追憶のローマ(イタリア)
  オーバー・ザ・ブルースカイ(ベルギー)
  偽りなき者(デンマーク)
  The Missing Picture(カンボジア)
  Omar(パレスチナ)
長編ドキュメンタリー賞
 ★バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち
  アクト・オブ・キリング
  キューティー&ボクサー
  Dirty Wars
  The Square
短編ドキュメンタリー賞
 ★The Lady in Number 6: Music Saved My Life
  CaveDigger
  Facing Fear
  Karama Has No Walls
  Prison Terminal: The Last Days of Private Jack Hall
短編アニメーション賞
  ★Mr. Hublot
  Feral
  ミッキーのミニー救出大作戦
  九十九
  Room on the Broom

2014年2月26日水曜日

2月24日

25年ぶり

懐かしい、と言うにはあまりに久しぶりの来客があった。
ちょうど『セイ!ヤング』を始めた頃から終わりまでのおよそ2年、僕は音楽事務所に所属していた。
その事務所で僕の担当をしてくれていた「恵子ちゃん」である。

恵子ちゃんは吉本美代子ちゃんにそっくりの美人マネージャーで僕をシッカリ管理してくれた。
おそらく僕は彼女の仕事ぶりに不平や不満を言ったことはなかったと思う。
とてもいい関係だったので他の所属作家から「恵子ちゃんはかぜさんの仕事ばかり取ってくる」と嫉妬されたことさえある。

僕が事務所を離れて何年か経った頃、彼女は遠く青森に嫁いで行った。
お相手は新人歌手の売り込みに出掛けた「ねぶた祭り」の元締め。タレントを売らないで自分を売ってきた、とみんなにからかわれたらしい。
ミッチョン似だから、駆け出しタレントより彼女の方が目立っちゃうのは仕方ない。

嫁ぎ先は武内製飴所(セイタイジョと読むらしい)という創業155年の老舗水飴屋さんである。
林檎の蜜を砂糖と水飴で煮詰めた甘味料「紅玉蜜」というヒット商品を持っている。
で、当然のことながら毎日が大忙し。今回は大学生の娘さんのアパート契約更新に立ち合うために上京した。その合間を縫って訪ねてくれたのだが、まあ、相変わらずチャーミングな「恵子ちゃん」でしたね。
勿論25年のあれこれがわずか5時間で語り切れるわけもなく、再会を約してさよならしたのですが、ここ何日かよく人が訪ねてくれます。藤井さん、藤田くん、恵子ちゃん、そして明後日は菅谷さんと萩原くん。
このまま、いい春に突入してくれるといいなあ、とつくづく思う今日でした。





2月23日

退院から1ヶ月

病院から戻って1ヶ月経った。
戻った当初はこれからしたいこと、しなければならないこと、の準備で元気一杯だった。
何人かに電話し、退院報告やらコレからの相談をした。
疲れ知らずだった。
通所リハビリも苦にならなかったし、リハビリ用品も買いに出て、家での自主トレーニングにも余念がなかった。
ところが10日もすると突然、疲れが出てきた。
元気一杯のはずが精一杯になり始めた。
朝ごはんと洗濯だけで疲れる。洗濯物を干してしまうともう買い物に出る気も夕飯を作る気もしない。
TVを見るのも億劫で、見逃した映画も見る気が起きない。
何か1つの用事をこなすとそれだけで1日が過ぎてしまうようになった。

つまり、体力が「思い」について行けないのですね。
思えば病院は楽でした。
掃除も料理も洗濯も人任せ。1日の予定も人任せなんだもの。
従うだけ。考える必要もない。
だから、疲れなんか全く知らずにすんだ。

ところが家では結構雑用があるんですよね。
水が飲みたくなります。
10:00~12:00はリハビリの時間です。
階段の昇り降り1日5回です。
郵便物取りに出ます。
電話も出ます。
Blakeの頭も撫でてやらなくてはなりません。
かまってもらおうと擦り寄ってきた愛犬に知らん顔はできません。
普通なら何でもなかったはずのそんなことがひとつの用事として数えなければならないほど体力はなくなっていたんですね。
なんせ中腰という姿勢が無理なので寝転んでしまったBlakeを撫でるには低い椅子を運んでこなければなりません。

相変わらずウドンは啜れませんし、厚いコップの飲み物はこぼれます。
レトルト食品の「ここを開ける」は決して開きませんし、財布から小銭を取り出すのも時間がかかります。
脚はまだ痺れていますし指の感覚も戻っていません。
誰かと楽しく話をしながらなら10分歩けることは判ったのですが、一人で10分はまだ無理です。
首を通す物を着るときは椅子に座らないと転びます。
ちょっとした動作に危険が一杯です。

出来ないことを挙げるとこんな風に切りがないのですが、いつまでもそんなこと言ってられないしね。
2月中には仕事態勢に持ち込むべく部屋を片付け始めています。
とは言え2時間のリハビリも欠かせませんのですが…。

仕事への意欲も少し湧き始めたので始動に向けて歩き出そうと思います。
まずはスケジュールを入れてしまいました。

4/18(金) 19:00~21:00
日暮里プロモボックス
トークショー

詳しいことはまもなくお知らせできると思います。

近況報告のつもりが宣伝になり始めましたので、今日はこの辺で。

節分

鬼は内

で知られる鬼鎮神社の豆撒きに行ってみた。
とは言っても、鬼鎮様が有名らしい、ということ自体、15年くらい前まで知らなかった。
去年は豆撒きの時間を確かめずに出掛けたので閑散とした境内を散策しただけみたいなものだった。
今年はさすがに豆撒きのその瞬間に立ち合いたいと思って出掛けたのだが、こんな身体なのでねえ、人混みの中に入るわけには行かない。
で、一番外側から眺めることにしたのだが、昔もこんなものだったかしらねえ。
人の混み具合は今日の方が多いと思うんだけど、何かねえ、祭の気分というかテンションというか、低いんだよねえ、熱くない。
昔より演出は大仰に、派手になってると思うんだけど、何だろう? 全体に静か過ぎる感じ。
どこの祭も、今ではみんなこんなもんだろうかねえ?

昔は忙しい野良仕事の合間合間、例えば春の花祭、夏の七夕、お盆、収穫後の秋祭り、お正月、節分、と年に数回の小さな息抜きとして祭は存在したのかも知れない。
楽しみの少ない農家の人々が祭の日にだけ弾けたのは当然なのかもしれないなあ。

僕は小学校最後の節分に100円貰って鬼鎮様に来たことを思い出した。
前の年の何月号だか、とにかくえらく月遅れの月刊誌『相撲』を屋台の古本売りから70円で買って、豆をいくつぶか拾って帰った。
『相撲』は貪るように熟読した。
年数回の村祭は僕にとっては『相撲』が買える数少ないチャンスだったので、歩いて小一時間かかる隣町の祭にまでよく出掛けた記憶がある。

まあ、祭を心待ちにしているような子は今はあんまりいないでしょうね。
楽しいことはそこらじゅうに転がってるものね。
思えばあの頃はラジオしかなくて、雑誌も学年誌しか買ってもらえなくて、僕の楽しみと言えば古本の屋台が出る祭の日とラジオから流れる古賀さと子のレギュラー番組と『新諸国物語』を雷雨の日以外は欠かさず聴くことくらいしかなかったんだよね。
そんなこと思い出してどうなる?みたいな昔の節分を振り返りながら、そうね、多分、演出が加わった割りには赤鬼が豆を撒いているとき、青鬼が下向いて撒くための豆を掬ってる、みたいな、赤青揃って同じ掛け声とと共に一緒に豆を撒く、というような細かい配慮の欠けた演出のせいなんだ、なんて気づいちまった。

威勢が足りないのでなんだか穏やかに祭は終わった。
まあ、豆の撒き方にまで文句つける僕も僕だが行事を単なる行事として片付けるとこんな風に行事はつまらなくなって行くのだなあ、と思った今日でした♪♪





2014年1月28日火曜日

退院しました


みなさんに多大なご心配お掛けしましたが、1/18(土)に退院しました。
転院してちょうど4ヶ月。123日間のリハビリ生活でしたが、その前の緊急入院が1ヶ月と7日間ありますので正確には160日、およそ5ヶ月を病院で過ごしたことになります。
完治しての退院ではありませんので、今週から週2回、またリハビリセンターに通い、筋力を取り戻すための運動に励みます。
これまでは時間割に縛られて、否が応でもリハビリせざるを得ませんでした。ならば、なるべく楽しくやろう、と考えを切り替えられたのですが、週2、わずかに40分づつ。あとは本人のやる気のみ、となった場合、僕は頑張りが利くのかなー、と少し不安になっているのも事実です。

しかし、よくぞここまで回復させてもらえたものです。
発症当時の僕の介護評価は「要介護5」というもので寝たきり状態でした。
リハビリ病院に転院した時も車椅子からベッドに移るのがやっと、という状態でしたから、確かに何人かの先生が言う通り「驚異的」な回復だったかもしれません。自分でも驚いていますが真相は僕の入院していた「武蔵嵐山病院」のリハビリ・スタッフの力量でしょうね。ここの療法士たちの力で動かない身体が見事に回復した例を何例も見ましたもの。
僕の友達の中には「療法士の患者への接し方があまりに真摯なので感動して泣きそうになった」と言う者までいました。
先生方には改めて「ありがとうございました」と申し上げます。

ただ、課題は残っています。
手足の痺れ、強張りは自然治癒に委ねるしかありませんし、丸亀製麺のうどんはまだ上手にすすることができません。
低い所の物を取るのに、しゃがみこむのも無理です。家の中での移動も壁を伝い、外では杖をついて歩きます。
ま、色んな局面に戸惑いながら、自分の暮らし方を見つけて行くしかないのが現実です。

今日19日は主にスーパーでの買い物に費やしました。
というのも家を空けること5カ月。冷蔵庫のほぼすべての調味料、醤油、ソース、ドレッシング関係が賞味期限を過ぎていました。
驚いたのは練り歯磨き。
どうやらこれにも賞味期限があったようで、なんと粒塩の塩気が全く消えていました。

そんなこんなで1日は何とも速く過ぎて行きます。
一日も早く「山田功」の人生を、そして願わくば、一度は諦めていた「かぜ耕士」の人生をも取り戻したいと思い始めた今日この頃であります。

2014年1月12日日曜日

新年会開催

あんまりにもご難続きだった2013。
この劣勢をそのまま2014年に引き摺って行くのはイカン。
で、急に1/3(金)の午後、リハビリが手薄になることに気づきました。
1時間目のリハビリのあと、急いで家に戻りとりあえず新年会らしさを作り午後1時、みんなに集まってもらい、割と以前からあるスーパー銭湯「平成楼」小広間にて総勢9人のこじんまりとした宴会となりました。

僕の毎年の新年会は母の元へ縁者が集まる式のもの1つと友達3~4人だけでやるものに限られています。

母の家のには行かにゃイケんでしょう。見舞いに行きたいと言ってくれてた叔父や叔母に「麻痺した顔を他人に見られたくない」と頑なに拒否していたので、そのお詫びがてら出掛けました。
余りに年寄り顔になったことには驚いたようですが、回復を喜んでくれたので出席した甲斐もあったことになります。
ま、母も少し、ホッとしてくれたようなので役目を果たしたのを確認して、午後のリハビリ時間には病院に戻りました。

さて、僕的本番は1/3(土)。当初は(架空の)「一番弟子」尾関くんと(遊びの)「二番弟子」菅谷さんにお声をかけたのだが一番弟子からは返信がなかった。
二番弟子は自身の所属バンド「SSU」のメンバーにも声を掛けます、の返信。
その間にこちらも久しぶりに会いたい人たちをピックアップ。
そのほとんどは前回の大掃除に名乗りを上げてくれたんだけど、日にちを1日ずらせたので不参加だった方、など。
6人の参加が決定。ここに尾関くんと「SSU」で10人の宴会となる。
ただ「SSU」の参加はまだ決定していないので、他に2人、声をかけた。

やがて、「SSU」のお二人は不参加、だが「ハックルベリー・フィン」の丈二くんが参加してくれることに。
だが、参加10人で宴会場の予約がすんだところで菅谷さん宅にご不幸、尾関くんはインフルエンザに罹患と何と高弟(♪)2人が欠席。
でも、もう25~6年の付き合いになる四倉くんが奥さんと一緒に来てくれることになって、総勢9人に決定。

楽しかったです。
何が、というわけでなくみんなの声を聞いてるだけで元気になってきた。

2次会はカラオケ。
これもカラオケ大好きの尾関くん用プログラムだったんだけど主役を欠いての開催ながら丈二くんのサザンオールスターズを聴けたので大満足。
折り目正しく歌うとその歌の魅力がシッカリ伝わるという好例を実証してくれる歌い方で僕は感心してしまった。

途中から雑談で僕自身大した数歌ってないのだけど、声は7割方出るようになった事を確認しました。

その後は我が家に戻ってTVの悪口。
病院にいると会話は少ないし、わざわざ僕にしゃべる時間を用意してくれるST(スピーチ・テラピー)の先生以外との会話しかないので、実は僕の言葉が人に届いているのか不安でならなかったのです。
TVの悪口は元気な時の僕に帰っていたそうでホッ!

みなさんには8:47分発池袋行きに乗っていただきました。
ご参加くださった皆さん、本当にありがとう。
早く仕事に戻れるようリハビリに励みます。

どうぞ、今年もよろしくお願い致します。

丈二くん、阿鬼羅くん、金田くん、大林さん、四倉くん、奥さん、津布久さん、hecoちゃん、重ね重ねありがとうございました。



2014年1月1日水曜日

2014年元日の朝のご飯

少し、この記事に期待してくださってましたか?
下の写真をご覧になってくださっても結構ですよ。
さあ、僕にお雑煮は出たでしょうか?
実は出た人と出ない人とがおりました。
実は病院には食堂が3つありまして「大食堂」では数十人、「中食堂」では24人、僕ら「小食堂」は通常5人、今朝は4人だったんですが、なんと雑煮組2人、ない組2人に別れてしまいました。
小さな餅1切れでもあるとないではめでたさが違います、お正月ですもん。
さて、幸せの分岐点はどこに置かれているのかと言いますと「普通食」で何の制限もない人と「普通食」だが食品に「注釈」のつく人、例えば「野菜は粗刻み」とか、とにかく大きいと食べられないものがある人、とに別れたわけです。
見事ですよー、男1、女1ずつにシッカリ別れました。

残念ながら僕のには探せど探せどお餅が入っていませんでした。
まだ餅のような大きなものは食べちゃいけない、ということですね。
マ、これで今年の吉凶を占うつもりはなかったので商店街の籤に外れたくらいの残念さしかありませんが嬉しさの度合いは、…ネ?

そんなわけで餅なし朝食、ご覧あれ。これが日本の「お」「も」「ち」「な」「し」。
お後がよろしいようで。



さて、大晦日の夕食ですが…


イヤー、期待してたわけじゃないんですが、これだけ期待を裏切ってくれると\(´O`)/…。

つぼだいの西京漬、中華煮、うめびしお、ヨーグルト、ご飯