2016年1月9日土曜日

本日1/9(土)放送の 『どこかでラジオが』

(FMさがみ 23:00~23:59)

『かぜ耕士の昭和史』は「セイ!ヤングの時代」。
1978(昭和53)年~79(昭54)年。

1977年。
来年3月でパーソナリティを辞めることにしていたので僕はいろんなことに挑戦しました。

ミュージカル『泣きたいスージー』(於:自由劇場)の制作上演。
喰始、武田全弘、崎南海子、中山茎子が一緒でした。
季刊誌『MUUM』(婦人生活者社)責任編集。
『コーラスライン』観劇旅行。

総体的に不始末な結果となり、仲間は分裂、創刊号は廃刊号、
旅行から戻ると雑誌は発売時期がずれ、ラジオでの予告が全部嘘、ということになっていました。

そして、突然、
『セイ!ヤング』の企画書を書いてくれという話が持ち込まれます。
注文主は『走れ!歌謡曲』のディレクターになっていた吉田誠ちゃんでした。
書いたものが多少のヒントになったのか、彼の所属する制作会社は週2本を担当することになり、僕と鶴瓶さんが月、火曜日をやることになりました。

しかし、ニッポン放送ではこれが大問題と化して、突然の遺留要請が始まりました。

この「かぜ耕士、LFに後足で砂」事件は下の番組機関紙がこの号だけLFの目に触れなかったことに原因があります。
今、それを誰の責任だと言ってみたところで、覆水が盆にかえる訳ではありません。

ただ、僕のパーソナリティ生活に翳りが出てきたのには違いありません。
くだらねえ仕掛けをしやがる連中が次々に出てきます。

今日の番組では話しているうちに怒りが込み上げてきて、気分が当時に戻ってしまっています。
もう少しで、馬鹿野郎たちの名前まで言っちまうところでした。危ねえ危ねえ。
「かぜさん、もう少し、感情を抑えてください」
とPから言われたので、頭を冷やすために年末の録音はこれ1本にとどめました。

曲は
①吉田拓郎『落陽』
②小林啓子『スライダーを覚えて』
③古屋かおり『さよならロンリーナイト』

FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただくとありがたいです。

写真は自ら降板について書いている『たむたむたいむず』77年12月1日号。



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