2016年4月30日土曜日

4/30(土) 本日の『どこかでラジオが』

(FM HOT 839 23:00-0:00)
「かぜ耕士の昭和史」は1984~85(昭和59~60)年。
僕は仕事場をテレビに移して本格始動し始めます。
初めての仕事は84年3月4日放送TBS『日立テレビシティ』での「ハリウッド・シンデレラ物語」。
放送日決定にはこの冬行われたサラエボ冬季五輪のスピードスケート黒岩彰選手の結果が大きく影響していましたが惨敗。優勝すら期待されていたのに結果10位だったので五輪熱が残っている内に放送を、ということで僕のテレビデビューは1週遅れることとなりました。
五輪後、旧ユーゴスラビアは内戦という名の民族紛争に突入。
国は四分五裂して五輪会場は見るも無惨に傾き、そのまま放置。
僕は後に黒柳さんのユニセフ報告に携わったことから、その惨状画面にナレーションをつけることになります。
幸い、映画『フラッシュダンス』の主人公の吹き替えをつとめたダンサー物語は僕の不満とは逆に業界的には好評でした。放送直後にはレギュラー2本と単発のドキュメントが次々に決まり僕は一躍大忙しの放送作家になっていました。
でも、かぜさん、ラジオであんなに売れてて、他から仕事は来なかったの?という疑問が前回の放送のあと、届きましたので、それにも答えました。
松田優作主演『死亡遊戯』(東映セントラル)の主役の相棒役、『人間の條件』(フジテレビ)の丹下一等兵、『高知シコシコ節』(仮題、にっかつ)の焼き鳥屋の青年(主人公の相手役だったそうです)など、映像の仕事が来ていましたが、すべてお断りすることになりました。
まあ、それが今回の白眉となりましょうか?
役者を目指していた僕が、なぜ、その道を捨てたのか、について語ります。
曲は
①『マン・ハント』(カレン・カモン)
②『レッツ・ヒア・ボーイ』(デニース・ウイリアムス)
③『ウキウキ・ウェイク・ミ-・アップ』(ワム!)
FMさがみ(FM HOT 839と改称)は、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただくとありがたいです。

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