2008年8月13日水曜日

戦争は知らない

大関琴欧洲のオフィシャルブログ
『ちゃんこ鍋とヨーグルトって意外と合うんです』http://kotooshu.aspota.jp/
が大好きで毎日覗いている。
日本語の練習のために作った感じがするほど簡潔な写真主体の日記で、この類稀なる笑顔を持った被写体はほぼ毎日、モノを喰っている。
タイトルからして「喰ったモン日記」だ。
舌足らずな文章が可愛っくってしようがない。

「8月7日
おみあげ
なまきゃらめる まち
すごく ひと」

写真があるのでこれで十分。
「お土産の生キャラメルを買おうと凄い人数の客がいっぱい待っている」というのだ。
ほとんどの写真は自分が被写体として誰かに撮って貰っているのだが、これだけは自分で撮ったのかも知れない。
他の写真よりサイズも小さく、下手な感じがするんだけど、それすらむしろ愛嬌になっている。
彼が名古屋場所を9勝6敗の決して褒められない成績で終えた後の夏巡業中の日記だが、各地で優しい声援を受けたに違いない。
屈託なさ気で、場所中の重圧から逃れた開放感が見て取れる。
どこでも彼は笑っていて、子供たちにふれあった日は文章も弾んでいる。

「すもうと カレーも ありがと
 おいしかた うれしかた☆
 あついのに ありがと」

読んでる内に思わずニンマリしている僕がいる。
この青年が僕は大好きだ。
横綱獲り。焦ることはない。僕らは十分待たされた。でも、まだ待てるから。

最高位小結の黒海はグルジアの出身である。
彼の故国は目下、ロシアとの戦争に巻き込まれている。
彼は15年前の内戦で家や土地を失くし、母方の祖父母の元に逃げ込んだ。
それをきっかけにレスリングを始め、欧州ジュニア130キロ超級で優勝。
スポーツアカデミーに入ったが、琴欧洲同様、体重制限が120キロまでとなったことから相撲に転向。
2001年に来日して5月に初土俵を踏んだ。
2年で十両。その後4場所で幕内。琴欧洲より早い時期に史上初の欧州出身関取となり、幕内力士となった。
肉親の死の報に接しながらも黙々と土俵を務め、場所後、急いで墓参りに帰国したこともあった。
黒海 太(こっかい・ふとし) 昭和56年(1981) 3月10日生。27歳。敢闘賞2回。
技にはあまりクセがないが、苦労の多い人生がそうせるのかインタビューでは人柄の良さが覗く。
弟を呼び寄せて力士にした(司海)が再起不能の大怪我で、廃業した。
戦争の報を見るにつけ、彼の家族の安否や司海のその後が気に懸かる。
7月の名古屋場所は西前頭10枚目で 5勝10敗と大負け。来場所は幕尻まで下がることが予想されるが、戦争が彼の相撲人生にさらなる影を落とさないことを心から祈っている。

黒海とは部屋が違うが、入幕ふた場所、最高位前頭14枚目の栃ノ心 剛(とちのしん つよし)もグルジアの出身である。
どこか曲者顔なのですぐには華やかな人気者にはなれないだろうし、今はまだ幕尻の番付を守るのがやっとの成績しか残していないが、この力士は強くなる。
外国人力士の中では抜群に相撲が上手い。どこかで殻を破れれば一気に上位を目指せると思う。

彼らの国と交戦しているロシア出身の力士には露鵬と白露山の兄弟がいる。
彼らはグルジアと接するオセチア・アラニア共和国の出身なので二人もまた気が気ではないと思う。
この日本の中に祖国が交戦中の人気者がいるという事実。
日本もやっとそういう時代に入ったんだな、と思う。
外国人を受け入れるということは日本人の目をいやでも世界に向けさせる効果を持っている。
日本で一番感度が低い相撲界が、今、我知らず最も先鋭的なシグナルを発していることに何だか妙な感慨を覚えている。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

オリンピック直前、ドイツの仲裁がうまくいかず開戦となりました。(次はフランスが交渉です)選手たちはどうするのかと思うとともに、黒海のことが頭に浮かびました。親方が以前「黒海は来日後、暫くしてから、夜電気を消して眠れるようになった。」と仰っていたことを思い出したからです。今は不整脈の手術中とか、本当にお気の毒です。
露鵬兄弟、栃の心はモンゴル勢の気遣いもあって、和やかでいるようでした。
今回のニュースでは「店主」さんと同じ気持ちでしたが、先ほど停戦したと報道がありました。よかったですね。
最後に琴欧洲のブログは観ていますが、海外のインタビューではとても知的な青年でしたから複雑な想いです。これはこれですね!