2016年2月6日土曜日

2/6(土) 本日の『どこかでラジオが』

(FMさがみ 23:00-0:00)
「かぜ耕士の昭和史」は1980(昭和55年)。
文化放送『セイ!ヤング』は終わりました。
『学校ってなんだ!?』(祥伝社)の印税が事務所でストップになったままのボクに単行本の話が持ち込まれました。
「飛騨高山の盲目の演歌師」の人物伝を書かないか?
すでにインタビューは終えているらしく、聞き書き原稿が届いたのですが、何故か興味が持てませんでした。
断りますと、代わりに彼の新曲を依頼されました。
すでに一曲は彼が自費製作していた『奥飛騨慕情』と決まっていました。
高音を生かした演歌のヒットが多い。
カラオケも高音に自信のあるのど自慢向けの曲が多かった時代です。
低音が得意な人向けのカラオケはないのか?
魅力的な低音自慢はこのカラオケブームに苛立っているのではないか?
低音を効かせた歌い手はいないか?
低音を生かしたヒット曲を作ろう!
さすが五木ひろし、森昌子を育て、千昌夫のロングセラー『北国の春』をヒットさせたプロデューサーです。我が事務所の社長和田宏はそこに着眼したのです。
しかし、僕は「盲目の流し」竜鉄也の新曲『せせらぎの宿』の原稿を書き上げ、届けようとして朝風呂に入ってしまいます。
4/18、陽気も良い日だったのに徹夜明けの風呂はいけなかったようです。
着替えを済ませて、いざ、と立ち上がった瞬間、僕はバランスを崩してリビングで倒れました。
妻を呼ぼうとしましたが声が出ません。唇が開かずよだれがこぼれ、左半身が動かなくなっていました。
Faxの普及はまだでした。
1980年6月25日、竜鉄也のデビュー・シングルは歌い慣れた『奥飛騨慕情』をA面として発売されました。僕と作曲家沖田宗丸の書いた『せせらぎの宿』は覚えきれなかったという理由で少し符が変わり、B面に入っていました。
しかし、『奥飛騨慕情』はなかなか売れませんでした。
流しの演歌師、新人で盲目、時流から外れた低音演歌…。
売れずに3ヶ月。あとひと月待って売れなかったらAB面を入れ替えよう。
幸いB面も評判が良くカラオケも出回っている。
………。
が『奥飛騨慕情』は見切られる間際になって突然、火がつき始めました。
すでに20万枚が売れていたのですが、オリコンでは『売れるはずのない曲が売れてる。関係事務所の買い占めだろう』という判断を下していたそうです。ですが、20万枚は一つの事務所で買い占められる枚数ではない、と気づきます。
チャート誌『オリコン』に登場すると、あれよあれよという間にヒット街道を爆走。簡単に100万枚を超えてしまいました。
さて、脳梗塞で倒れた僕はそれから40日の入院となります。
一時帰宅した僕が玄関のドアを開けるのを待っていたかのように電話が鳴ります。
「8月8日から『オールナイトニッポン』やる? 2部だけど」
僕は完治していなかったのですが、単なる抹消血行障害と診断した病院が信用できず、退院し、自分流のリハビリを始めます。
だって、収入が全くなくて、入院費も借金して支払っていたんだもの。
とにかく金が欲しかった。
自己流のリハビリは催眠術の道場に通うことでした。
まだ、口が充分に開きませんでしたから、僕は自己暗示をかける勉強に出かけたのです。
『僕は喋れる。上手く喋れる』
しかし、番組は運悪く7/2からスタートと早まります。自信にはほど遠いおそるおそるのスタートでした。
と、ここまで書いて気づいたんですが、コレは次回の予告ですね。
なんか面白そうなのでこのままにしちゃいます。
今日は『セイ!ヤング』に届いたお便りのおさらいをしています(『学校ってなんだ!?』と『再起不能講座』を使用)が、何故か文字の見えない一日で放送はちょっとひどいことになっています。
曲は
①清須邦義『夕星のひと』
②水木誠とヤング101『オレンジ』
③小原初美『ひとり寝づくし』
④佳代『心の唄』
FMさがみは、パソコンならサイマルラジオでお聴きください。
スマホではリッスンラジオ、 i-コミュラジオ、TuneIn Radioなどの無料アプリがあります。
これら専用のアプリは一度ダウンロードしておけば、いつでもラジオが聴けます。
僕の使い勝手ではTuneIn Radioがベストだったのですが、このところ調子が悪くリッスンラジオに助けられています。
ご自分のスマホと相性のいいアプリを試しておいていただくとありがたいです。
写真は
左 『ステージ101ベスト』右上『Girl in me KAYO』
右下『初美 愛の賛歌 初美&レガーロ』





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