2015年3月6日金曜日

1月18日 阪神淡路大震災から20年


その日、僕は心臓のバイパス手術を施されることになっていた。
殺人的スケジュールと暴飲暴食の果てだった。
カテーテル検査をするためには体力が無さすぎる。
入院から3週間、身体の回復を待ち、3本のバイパスをつくることになった。
手術の朝、6時に起こされると、TVの中で街が燃えていた。
ほぼ無音の画面からは事情が全く伝えられず僕は燃える街を見ていた。
「あんまり被害がひどくならないとイイね」
と言ったら隣のベッドの桜庭さんから
「山田さん、今日は自分のことだけ考えた方がいいんじゃないの」と言われ、僕は間もなく手術室へと運ばれた。
それから4日間、ほとんど記憶がない。
これで心臓の問題はすべて片付いたのかと思っていたら、バイパスは10年が寿命なのだそうだ。
10年経ったら再手術、というのは周知の事実らしかったが、僕は格別な不都合を感じなかったのでそのまま19年も放ったらかしていた。
時々、気が遠くなる症状が起きたのが去年6月。
それもそのはず、1日に18回も心拍停止していたらしいのだが、深夜帯に多かったらしく、そんな大事とは感じていなかった。
急ぎ、夏に3回の入院で2回の手術をした。
結局、最後はペースメーカーを植え込まれて(くどいようだが「埋め込み」ではないらしい)しまい、現在、は電池と薬だけで動いてる。
なんかの加減で電池が作動不良を起こさない限りはどうやら長生き態勢に入ったことになるんだろうか?
ギランバレー症候群を抱えたまんま長生き態勢に入って幸せなのかな?
でも、ギランバラー完全克服の全貌が自分自身で確かめられるのなら、この難病と闘う人へ多少の寄与となるのかな?
もう少し生きてみよう、と思った阪神淡路大震災から20年目の夜でした。

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